第八 二回 ③
トオレベ・ウルチ赫彗星に命じて宝珠を欲し
タルタル・チノ盤天竜に託して流星を迎う
「喧しいぞ! 俺はムジカに訊いているんだ」
ソラはついに癇癪を起こす。アステルノももとより短気な性分だったので、
「何だと。こっちはお前のために言っているんだ。あの淫婦の思惑どおりに踊らされる奴があるか!」
「知ったことか、ハーンの命令だぞ。出陣するしかないんだ!」
アステルノは憤然と席を立つと、さっと戸張を開く。振り向いて、
「好きにしろ。ただし亜喪神には気をつけろ!」
言い捨てると寒風の中へ出ていく。ムジカらは呆気にとられて引き留める暇もない。ソラは舌打ちして言った。
「何だ、あれは。わけのわからぬことばかり言いやがって」
「まあ、あれにはあれの考えがあるのだ。多少言い方がまずかったが、君を慮って言ったことだ」
と、ソラは無言で立ち上がる。ムジカはあわてて座らせようとしたが、その手をさっと払うと言うには、
「ダルシェなど恐れるに足らぬ。捷報(注1)を待ってろ」
ムジカは諦めて言った。
「魔軍にはハレルヤという猛将がある」
「礫を喰らわせてやるさ」
「侮るな。それと陣中で何かあったら、迷わず難を避けよ。紅火将軍を恃め」
これには答えることなく去った。ムジカはタゴサへと顔を見合わせて何ごとか語り合ったが、くどくどしい話は抜きにする。
翌日、ソラはハーンに挨拶してアイルへと戻った。これに亜喪神ムカリと小スイシが随う。梁公主と四頭豹は姿を見せなかった。トオレベ・ウルチは、自ら言葉を与えて言った。
「赫彗星、期待しているぞ」
「お委せください。ハーンのご威光を知らしめてまいります」
ソラは足早に帰って早速出陣を告げた。季節外れの戦に人衆はおおいに困惑したが、もとより剽悍な氏族のこととて勇躍してことに臨んだ。
ただ、小スイシがいちいち口を挟むのには誰もが閉口した。ソラに訴えるものもあったが、ハーンが付随せしめた軍監ゆえ強い抗議はできなかった。自らが忠誠を疑われていることもあり、迂闊に怒らせると何と報告されるかわからなかったのである。
亜喪神ムカリはというと、ハーンから授けられた百騎とともに加わっていたが、準備を助けるわけでもなく、従者を連れてうろうろしては駆け回るジョシの兵を冷やかしていた。それだけならまだしも、駿馬や良質の馬具などを見つけると、無理に取り上げて己のものとした。
軍中からは不満の声が挙がったが、これも捨て置くしかなかった。亜喪神の武勇を恃みにしていたこともあるし、無意識のうちではアステルノの忠告も引っかかっていたのである。
こうしていろいろと問題を抱えつつも何とか態勢は整ったので、新年が明けて早々、ジョシ軍八千はアイルを離れた。目指すは長城に近いダナ・ガヂャルである。幸い天候は好く、風は冷たいものの行軍は順調であった。
ソラは彗孛に騎乗して先頭を行き、その周囲はよそのアイルを追われてきた無頼の徒で固めていた。赤流星は白い雪原の中を粛々と進む。
軍監の小スイシと亜喪神ムカリは、後軍に配されていた。初日の夜営で小スイシがソラを訪ねて言った。
「将軍が赤を尊ぶのは存じているが、雪中の行軍には目立ちすぎぬか」
「我が軍はこの軍装で士気を高め、意をひとつにしているのです。だいたいダルシェの哨戒の網は厳しく、軍装が何色だろうと関係ありません。ならば堂々と赤流星の武威を示して臨んだほうがよいのです」
小スイシがなおもぐずぐずしているので苛立って、
「そもそも今になってそんなことを言ってもしかたないでしょう。卿は軍監であって参謀ではありません。戦についてはお委せください」
なぜか俄かに不機嫌になった小スイシが言うには、
「なるほど。たしかに門外漢が口を出すことではなかったわ。では将軍の戦をとくと拝見させてもらおう」
そう吐き捨てて退いたが、この話はここまでにする。その後は格別のこともなく、ダナ・ガヂャルに接近した。多くの斥候が放たれ、俄然緊張が増す。
一方のダルシェもジョシ軍の姿を捉えていた。ダルシェは天下に盟邦なく孤立を保っていたから、その警戒たるや尋常ではない。いついかなるときでも輪番で近辺を哨戒し、他部族の接近に敏感であった。
一定の距離を越えて近づいた軍は、その目標がダルシェであろうとなかろうと無差別に攻撃して退けた。すなわちダルシェの民に平時はなく、常に戦闘態勢を布いてしたのである。
ジョシ軍は二百里の距離に近づいたところで早くも発見されていた。早馬が走り、大ゲルに報告される。タルタル・チノは諸将を集めて言った。
「赤い狗がやってくる。彼奴らを根絶やしにして雪原を血で染めてやれ」
そのひと言で諸将は咆哮を挙げて勇み立った。タルタル・チノは背後に掛けてあった戦斧を取り上げて、前列の一将に授けると言った。
「ハレルヤ。すべてお前に委せる。怒りをもって彼を討ち、喜びをもって我に伝えよ」
応じて八尺超の身を低くして戦斧を受け取る。
「承知。お言葉のままに」
(注1)【捷報】勝利の知らせ。