第八 二回 ①
トオレベ・ウルチ赫彗星に命じて宝珠を欲し
タルタル・チノ盤天竜に託して流星を迎う
さてジョシ氏の族長赫彗星ソラは、トオレベ・ウルチの冬営に伺候したところ、梁公主からあらぬ嫌疑をかけられたので言うには、
「古言にも『讒言は容れやすく、忠勤は達しがたし』と謂います。つまらぬ小人の讒言に欺かれてはなりません。たったの一語で長年に亘る赤誠を疑うのは凡君の業でございます」
すると公主は微笑を浮かべつつ、ハーンを促した。
「身に疚しいところがないのであらば、それを実際に見せてもらいましょう」
応じてハーンが何と言ったかといえば、
「赫彗星よ。わしは欲したものはすべて手に入れてきたが、唯一、漠土に泉を求めるがごとく欲しながら、いまだに望みどおりにならぬものがある。それをお前に奪ってきてもらいたい。お前の雄略は我が部族の中でも傑出している。だから特にお前に命ずるのだ」
心中おおいに不安を覚えながら、
「偉大なるハーンでも意のままにならぬものとは何でしょう?」
そう尋ねたところ、すました顔で言うには、
「ダナ・ガヂャルに冬営を置きたい」
それを聞いたソラの心には衝撃が走った。思わず瞠目し、開いた口は塞がらない。公主がくっくっと声を立てて笑ったが、耳に入らない。やっと震える声で言うには、
「……ダナ・ガヂャルでございますか」
「そうだ。赫彗星、わしにかの地を献じてくれ」
ソラはすぐには答えられない。
ダナ・ガヂャル(宝珠の地の意)が何故に獲得しがたいかと云えば、覚えている方もおられよう、あの草原最強を謳われる放浪部族ダルシェの冬営(注1)だからである。天地に恐れるものなきソラですら、その名を聞いては動揺を隠せない。
以前、トオレベ・ウルチは超世傑ムジカを派遣してダナ・ガヂャルを収めようと図ったが、その際にはダルシェがいなければ速やかにこれを占めて守りを固めよという命令だった。
実際はすでにダルシェが営していた上に、ムジカの接近を知って勇将ハレルヤが迎撃に出た。ムジカはおおいに肝を冷やしたが、偶々陣中にいた奇人チルゲイのおかげで衝突を免れたこと、先に述べたとおり(注2)である。
思案していると、トオレベ・ウルチが、
「平時より力猛きものどもを養っているのだろう。楽しみにしているぞ」
そう言って立ち上がる。公主もあとに続いたが、去り際に振り返ると、
「身の潔白を証明したければ命に従うことです。軍監として小スイシを連れていきなさい。小スイシはハーンの目となり耳となって将軍の挙措を観察するでしょう」
「お待ちください!」
あわてて引き留めようとしたが、不意に背後から、
「将軍、命はすでに下されましたぞ!」
声がかかったので振り返れば、いつの間にか四頭豹ドルベン・トルゲが座している。驚くソラに言うには、
「ハーンの言葉は重く、ひとたび発せられれば変更はありません。すでに命は下されました。従うほかありますまい」
「何だと!」
「まあ、落ち着かれよ」
四頭豹は衛兵や内臣の類を退かせると、額を寄せて耳打ちした。
「ダルシェを討ち、ダナ・ガヂャルを得ればすむことです」
「安易に言うな。貴公はダルシェの実体を知らぬのだろう」
これを聞くと唇を歪めて、笑いながら言った。
「いえ、よく存じております。しかし将軍の兵は実に精強、異族からは赤流星と呼ばれて恐れられております。さらに平時より養う屈強のものは百人を超え、いずれも将軍の盾となる気概に溢れています。氏族を挙げて挑めば、いかに魔軍といえどもたちまち撃ち破れましょう。すべては将軍の決断如何です。いずれこのまま座していては冤罪を免れないでしょう」
最後のひと言にソラは言葉に詰まる。それを見て言うには、
「将軍に潔白を証明して勲功を立てる気概があるならば、このドルベン、助力は惜しみませぬぞ」
「どういう意味だ?」
不審に思って問えば、
「ダルシェの勇将に匹敵するものを推薦いたしましょう。ウリャンハタより亡命してきたムカリは、亜喪神の異名を持つ名将です。きっとお役に立つでしょう」
その名を聞いたソラは、思い当たるところがあっておおいに喜んだ。
「おお、知っておるぞ。それは心強い。よし、公主の奸謀になど屈してたまるか。ダルシェを討って、その高い鼻を圧し折ってくれよう」
四頭豹は莞爾と笑うと、
「その意気です。きっと栄誉がもたらされるでしょう」
ソラは厚く礼を言うと意気揚々と退出する。四頭豹は悠然とそれを見送ったが、やがて肚の底から笑いが込み上げてくる。最初は声を殺していたが、ついにそれは哄笑へと変わる。
(注1)【ダルシェの冬営】ダナ・ガヂャルの初出については、第二 一回③参照。
(注2)【先に述べたとおり】事の次第については、第二 二回④参照。