第八 一回 ④
カコ義君に見えて衛天王を称揚し
ソラ英王を拝して梁公主と相対す
ソラの身を案じたものが、あるとき密かに告げて言った。
「将軍はハーンの寵臣と云うべきですが、それも姉上のご寵愛の余福に過ぎません。俚諺にも『男の愛情は留まることなく、女の容色は必ず衰える』と申します。このままでは姉上が寵を失えば瞬く間に罪を得るでしょう。自重なされませ」
しかしソラはおおいに怒って、
「それでは美人の弟というほかはまるで無能のようではないか。これでも俺は、外に出ては赫々たる武勲があり、内に在っては死を賭して大道を陳べている。決して姉を恃んでいるわけではないぞ。二度と言うな」
そう言って一向に改めようとはしなかった。それどころか徐々に驕慢な言動が目に付くようになったので、一部の盟友、すなわちムジカやアステルノを除く諸将は、彼を次第に疎んじるようになった。
一方でその屈せざる気性は、世間の一部からおおいに評価された。これを慕って四方から罪人や無頼の徒が集まってきたが、元来ソラは些事に拘泥しない男だったので、深く考えもせずに片端から受け容れて厚遇した。好漢たちの間では、
「天罪すら逃れうるに三あり。一に赫彗星、二に超世傑、三に紅火将」
と謳われた。紅火将についてはいずれ機会もあろうから、今は触れない。
余談はさておき、もちろんソラも公主の存在を快く思っていなかった一人である。姉であるテラン・ゴアの境遇を憂えたこともあって、いずれハーンに苦言を呈そうと機を窺っていたが、バンフウの件があったためひとまず沈黙していた。
しかし、公主はすでにテランが陰で己を呪詛していたのを知っていたので、ソラの才略をおおいに警戒していた。隙あらばこれを失脚せしめようとオルドで智恵を絞っていたのである。
ソラが伺候したのはそういう時期であった。進み出て拝礼し、自信に溢れた顔を上げると、ハーンが言うには、
「赫彗星。西方に変事がないのはお前のおかげだ。忠勤に励むことみなお前のようであれば、わしも枕を高くして寝られるというものだ」
変わらぬ信頼ある言葉をかけられて、ソラは満面に笑みを浮かべると、
「すべてはハーンの威光の賜物でございます」
そう言って深々と頭を下げる。その頭上から、卒かに公主の声が降ってきた。
「赫彗星」
ソラは公主に渾名を呼ばれたことが心外だったので、不快も顕に顔を上げて、
「何でございましょう」
「妙な噂を耳に入れたのでお尋ね申し上げますが、どうやら領内で罪を犯したものが、ことごとく将軍のアイルへ逃げ込んでいるとか。将軍はそれを咎めるどころか、むしろ手厚く遇していると奏上してきたものがあります。それは真ですか?」
公主は唇の端を歪めてソラを見下ろした。続けて言うには、
「もしそれが真なら、将軍は法を破る輩を幇助していることになります。上はハーンに背き、下は人衆を惑わす行為ではありませんか」
トオレベ・ウルチの顔色がみるみる変わったが、当のソラは一向に動じることもなく、かえって公主を睨みつけて言った。
「そのような事実はありません。たしかに多少規矩に収まらぬような力猛きものどもに門戸を開いてはおります。しかしそれも一朝有事の際に、その武勇がハーンのお役に立つと考えたゆえであり、決してハーンの定めた法を軽んじているわけではありません」
「まことにそうでしょうか?」
「どういう意味です?」
ソラは憤然として聞き返す。公主はやはり笑みを浮かべつつ、
「赫彗星は無頼の徒を集めて、善からぬ計画を進めていると言うものもあります。よもやとは思いますが、まさかハーンの身に危害を加えんとして……」
「何をくだらぬことを!」
大声で遮ると、向き直ってハーンに言った。
「まさか大ハーンがかような誹謗中傷を信じられるとは思いませんが、あえて申し上げます。古言にも『讒言は容れやすく、忠勤は達しがたし』と謂います。ゆえに明君は讒言を忌み、目を広く天下に向けて、忠義の士を見落とさぬよう努めるのです。今、公主は小人の諛辞(注1)に踊らされて忠道を塞ごうとしています」
平伏して叩頭すると、さらに言うには、
「私は浅学非才ながら、幸いにもハーンの恩顧を賜って鎮西の要務を担っております。その恩に報いようにも不才ゆえ至らないのではないかと常々畏れておりますのに、どうしてそのような大それたことを考えましょう。小人の讒言に欺かれてはなりません。たったの一語で長年に亘る赤誠を疑うのは凡君の業でございます」
それを聞いた公主の目に一瞬憎悪の炎が揺らめいたが、すぐにもとの微笑を取り戻すと言うには、
「身に疚しいところがないのであらば、それを実際に見せてもらいましょう」
ソラは胸中むかむかしつつ、何を言いだすかと身構える。
公主が勝ち誇ったような顔で促せば、ハーンがあることを言ったのであるが、その言葉から宝珠の上に赤い流星が降り、豪勇の人々がおおいに雪原を賑わすこととなる。
まさしく君命には逆らいがたく、女禍は防ぎがたしといったところ。果たしてトオレベ・ウルチは何と言ったか。それは次回で。
(注1)【諛辞】へつらって言う言葉。