第八 一回 ②
カコ義君に見えて衛天王を称揚し
ソラ英王を拝して梁公主と相対す
インジャは居住まいを正すと、拱手して言った。
「失礼なことを申し上げました。お恕しください。盟友となるエルケトゥ・カンの人となり、十分に解りました。私も大カンの名を辱めぬよう努めさせていただきます」
そのあとはお決まりの宴、ジョルチ部の好漢たちは代わる代わる席を立っては、二人の使者に杯を勧める。
酒に強いヨツチは片端からこれを受けて果たして酩酊したが、さして飲めぬカコのほうは節度を保ち、好漢たちの問いにも澱みなく答える。その様子に一同感心せぬものとてなく、ますますカコに信頼を寄せた。
そこに噂を聞きつけたオノチとカナッサがやってきて、さらに賑やかになる。こうして暗くなるまで飲んでやっと散会となる。
雪花姫カコと急火箭ヨツチは、冬を通してジョルチに滞在し、さまざまな折衝に当たった。金写駱カナッサと小白圭シズハンが接待役に任じられたが、くどくどしい話は抜きにする。
ジョルチとウリャンハタの同盟が進行しつつあるこのころ、共通の敵たるヤクマン部は冬営地に籠もって英気を養っていた。例年どおり梁と通交して物資の援助を仰ぐ使者も派遣した。
冬営とひと口に云っても、ヤクマン部は壮丁十万と言われる大部族である。草原南半の至るところに営地を構えていた。
中でもトオレベ・ウルチ・ハーンは、長城近くに居を構えて一帯に睨みを利かせていた。その大規模なオルドも無論ともに移動している。各氏族の族長は、厳しい冬の間も定期的にここを訪れてはハーンの機嫌を伺わねばならない。
前線を守るムジカ、アステルノも例外ではない。その日、二人は約会して隊伍を組み、オルドへと向かった。従う将はムジカの妻たる打虎娘タゴサ、奔雷矩オンヌクドである。
このころにはムジカの英明と用兵の才を知らぬものとてなく、いつからか人は彼を「超世傑」と渾名して敬慕するようになっていた。
近隣の小族にとって、その名は神風将軍アステルノと並んで畏怖の対象であった。この二将のおかげで、版図の北半は兵乱もなく治まっていると言ってよい。
道中、アステルノがオンヌクドに語りかけて言った。
「西原へ行ったそうではないか。もしやミクケルの遺児がヤクマンに在ることを告げに行ったのか?」
「そうだ」
アステルノは眉を顰めると、
「ムジカが行けと言ったのか」
頷くと、ますます難しい顔で、
「たしかにチルゲイとの友誼は重んじなければならぬ。だがそれは我が部族に対する背信にならぬか。ハーンに知れたらどうする。まったくムジカもいつもは俺などよりよほど忠臣面しているが、思いきったことをするものだ」
オンヌクドが答えずに黙っていると、
「それでチルゲイは何と?」
「残念ながら奇人殿には会えなかった。革命を伝える使者としてジョルチに向かったあとであった」
「ジョルチ部? インジャだな。……では四頭豹のことは?」
「伝えた。ウリャンハタの新カンは、中原に向けて急使を立てたはずだ」
アステルノは一瞬考える風だったが、言うには、
「戦になるぜ。ムジカめ、気づいているかどうか判らんが、大変なことをしてくれた。ジョルチとウリャンハタが結ぶと、ちと面倒だ」
「そうだな」
「ずいぶん暢気じゃないか。チェウゲン・チラウンの盟(注1)を実現させたチルゲイのことだ、きっとジョルチ、ウリャンハタ、タロトの会盟だって成立させてしまうぞ。草原をふたつに分けた戦となると一大事だ」
オンヌクドは小声で何か答えたが、強風に掻き消される。アステルノはかまうことなく、
「もしだぞ、それにマシゲルの獅子でも加わった日にはどうする。最前線に立つのは俺たちだ。ムジカはちゃんと解っているのか」
だがもはや何も答えない。やむなくアステルノも口を噤む。
四将は予定どおりハーンの冬営に到着した。早速拝謁が許される。英王トオレベ・ウルチの隣には、梁より下賜された公主が侍っていた。ハーンは彼女が来てから独りこれに寵愛を傾け、従来の妻妾はすっかり忘れられたかのようであった。
梁公主は名目上は梁帝(章宗)の娘ということになっているが、実際は後宮にあった貴人の一人である。トオレベ・ウルチと盟を結ぶにあたり、寵薄い中から選ばれたのである。
いよいよ草原に送り出すと決まったときには、遠い異郷に嫁がねばならぬ彼女の境遇を哀れんで、数多の詩賦が創られ、民間でも戯曲となって上演された。一連の作中で彼女は慎ましやかで婦人の範たる美徳を備えた薄幸の美人として描かれた。
まさに悲劇の主人公として衆人の落涙を誘ったのであるが、実のところは彼女のために多くの好漢が災厄に遭うことになる。しかしそれについては次第にお話しせねばならぬこと。
ともかく梁公主は、ハーンの傍にあって艶美な姿形を見せていた。
さらに脇に侍しているのは、かの四頭豹ドルベン・トルゲである。タムヤ脱出以降、どういう経緯を経たかはわからぬが、いつの間にかハーンの信頼を得て側近に収まっていた。今では何をするにも彼の意見が求められるほどであった。
そもそもハーンの左右には「七卿」と呼ばれる寵臣があった。すなわちダサンエン、コルスムス、スーホ、ウルイシュ、チンラウト、大スイシ、小スイシの七人である。そのほとんどは西域の出身で、俗に云う色目人の類であった。
四頭豹は彼らにも疎まれることなく、巧みに取り入って重んじられていた。ところがアステルノなどは最初から四頭豹を嫌って、
「ああいう口先だけで成りあがったものほど信用できぬものはない」
そうムジカらに会うごとに漏らしていた。その日も四頭豹がハーンの傍に親しく侍っているのを見て、気づかれぬように舌打ちした。
(注1)【チェウゲン・チラウンの盟】ヒィ・チノ、ギィ、ムジカによる盟友の誓い。第四 一回②参照。