第 八 回 ④
諸将十面に埋伏してサルカキタンを虜にし
六駒忠義を貫徹してインジャを嘆ぜしむ
インジャは諸将の功を賞したあと、サルカキタンとシャキを引見した。主のほうはうなだれて目を合わせようともしない。臣のほうは毅然として背を伸ばし、まっすぐにインジャを睨みつける。
「どちらが主君か判らないな。貴公は名を何と言う」
「シャキ」
「仕える主を誤ったようだな」
「このたびは不覚をとったが、もう一度戦えばお前のような小僧に負けるわけがない。運好く勝っただけでいい気になるな」
コヤンサンが激昂して腰の剣に手をかけたが、セイネンに制される。インジャは次にサルカキタンに向かって、
「大人、我々はベルダイに恨まれるようなことはしておらず、弓を向けられる覚えもありません。わざわざ無道の軍旅を興して草原を騒がし、多くの人衆を死なせた罪は軽くはありませんぞ」
答える言葉もなく、口をもぐもぐさせるばかり。シャキが代わって言う。
「お前こそジョルチ部の和を乱し、己の分限をわきまえず野望を逞しくする侫者、タロト部に我が部族を売らんとしているではないか!」
罵られたインジャは呵々と笑って、
「では聞くが。ヤクマン部の謀略に惑わされてハーンに叛き、同じ氏族で相争い、無益な戦を続けているのは誰だ。無道の主を恥じよ!」
さすがのシャキもぐっと唇を噛むばかり。目だけは屈するを潔しとせず、インジャを睨み続ける。と、卒かにシャキはがくんと首を折って倒れ伏した。
はっとして傍にいたナオルが抱き起こすと、口の端からひと筋の血を流している。不遇の策士シャキは、無道の主に忠義を貫いて果てた。すなわち自ら舌を噛んで命を絶ったのである。
諸将はシャキの最期に等しく息を呑んだ。漸くインジャが口を開いて、
「主に忠を尽くすこと、かくまでとは。惜しむらくは明主に恵まれなかったか……」
これを手厚く葬るよう命じると、怒りも顕にサルカキタンを罵って、
「お前のような暗君に仕えたために、あたら有能な将が何人命を落としたか。今さらお前一人を斬ったとてしかたない。どこへなりとも去るがよい!」
サルカキタンは恥じること甚だしく、満面を朱に染めて俯いた。セイネンが馬を牽いてきてこれに与えると、
「二度目はありませんぞ。また我らの牧地を侵そうものなら、容赦いたしませんからそのつもりで」
これには答えず無言で馬上の人となり、独りメルヒル・ブカを去った。
セイネンが進言して、
「捕虜にした敵兵のうち、老兵や老いた親のあるものなどで、帰らんと欲するものは自由にさせて、それ以外の壮丁は分配いたしましょう」
「それがよい」
三千人の捕虜のうち半数は東帰を許された。こうしてインジャらはメルヒル・ブカをあとにした。草原に戻ってアイルを定めると、早速勝利を祝う宴を開く。併せて論功行賞を行った。
一番の功はもちろんセイネン、捕虜五百人と馬五百頭が与えられる。次がナオルで、捕虜四百人と馬四百頭。三番手にはコヤンサンが呼ばれて、捕虜三百人と馬三百頭。そしてハクヒとシャジがそれぞれ捕虜百人と馬二百頭。イエテン、タアバ、タンヤンは馬百頭を得た。
残りの馬は各氏族に分けられ、傷ついた馬は屠られて宴席に並んだ。そこでセイネンが言った。
「義兄の取り分がないようですが」
インジャは莞爾と笑うと手を振って、
「私は何もしていない。どうして分け前に与れよう」
それを聞いて拱手して言うには、
「このような恩賞を賜ってもいまだキャラハン氏の民は少なく、これを養うことができません。義兄に献じようかと思うのですが」
インジャは驚いて、
「何を言う、君のものを貰うわけにはいかない。今回は君がいなければ勝てなかった。そんなことを言ってはいかん」
「しかし……」
インジャは少し考えて、やがて言うには、
「ではしばらく預かっておくことにしよう。どうだ」
「よろしゅうございます。ただ、ひとつお願いがあります」
「何だ」
「捕虜の五百人は、これを調練して、義兄の盾にしようと思います。それを私に委せてください」
「もとよりセイネンのもの、存分にするがよい」
この五百人が「ハーンの紅き盾」と呼ばれる、いわゆる近衛軍の基になるのだが、それはまたあとの話。
さて祝杯が幾とおりも廻ったころ、事件が起こった。陣中にあったジュマキンが突如消えたのである。シャジは逃亡を疑っておおいに怒ったが、インジャらはそうは思わず四方を捜させた。
案の定、ジュマキンはアイルから少し離れたところで、自らの喉を貫いて死んでいた。これはシャキに恥じて命を絶ったのである。
インジャらは大きな悲しみとともにこれを葬った。そこで宴も終わり、みな眠りに就いた。
一夜が明けてもインジャは鬱々として気が晴れなかった。そこでふと思い出したことがあってセイネンに諮ることにしたのだが、このことからさらに宿星は運って主星の下に新たな輝きを点ずるということになる。さてインジャはいったい何を思い出したのか。それは次回で。