第七 九回 ④
タケチャク奇人を索めて奔雷矩の言を伝え
ナオル叡慮を量りて衛天王の信を得る
カントゥカはううむと唸ると左右を顧みる。ヒラトは眉間に皺を寄せて智恵を運らせている。サチは相も変わらぬ無表情、ボッチギンは何やらぼんやりした様子。独りアサンが口を開くと、ナオルに尋ねて言った。
「ジョルチの人衆は山塞の恨みを忘れられるでしょうか」
答えて言うには、
「ミクケル・カンはすでに討ち果たされました。我がハーンは、革命を遂げたウリャンハタをまったく別の部族だと考えています」
アサンはなぜかここで初めて笑みを消すと、
「たしかに我々自身、ミクケルの代とは一線を画していると考えてはいます。しかし、ひとつ問題があります」
「何でしょう?」
アサンは言いにくそうにしていたが、やがて意を決すると言った。
「神威将軍の仇怨……。それでもジョルチン・ハーンは、ウリャンハタと結ぶ意志がありますか?」
ジョルチの好漢たちの顔色がさっと変わる。
神威将軍、すなわちインジャの伯父たるハクヒは、ウリャンハタ軍の夜襲でインジャの身代わりとなって戦死(注1)した。それを知ったインジャは悲憤のあまり気を失い、諸将も臓腑を引き裂かれる思いで山塞へ向かったのである。
五人の使者のうち、その場に居合わせたのはナオル一人である。当時、ハツチとドクトは家畜や人衆を連れて山塞へ先行しており、ナユテとナハンコルジはまだ麾下に加わっていなかった。
そのナオルがやや青ざめた顔で言うには、
「たしかに神威将軍のことは無念です。誰も忘れたりはしません。しかし……」
みな次の言葉をじっと待つ。しばらくして、
「しかし我らに代わって仇敵ミクケルを討ってくださったのは、ほかならぬ大カンです。無念と言うのは我らの手で仇を討てなかったこと……。大カンに感謝することはあっても、どうしてこれを恨みましょう。我が人衆は正邪の別もつかぬような蛮族ではありません。神威将軍のことはお気になさらぬようお願い申し上げます。それに……」
また言葉を切る。次に口を開いたときにはすでに顔色は復し、語調も力強くなっていた。
「それに我がハーンは、旧怨をもって新たな友を失う愚は犯しません。父の仇であるテクズスの子(注2)ですら今では黄金の僚友の一員、いわんや大カンにおいてをや、盟約成れば冥府の神威将軍もきっと喜ぶでしょう」
アサンはおおいに頷くと、向き直って言った。
「すぐに諸将を召集して諮りましょう。かの右王の語りたる言葉は、チルゲイの云う『信頼ある』ものです」
「よろしい。万事そのようにせよ」
カントゥカはそう言うと、即座にタケチャクに諸将の召集を、ヒラトに諸準備を、チルゲイに賓客の接待を命じた。
ナオルらは拝礼して退出すると、チルゲイによってゲルをあてがわれた。責務を了えて腰を落ち着けると、ハツチが嘆息して言った。
「正使がナオル殿でよかった。ハクヒ殿のことを尋ねられたときは、心臓が止まるかと思ったわ。わしらは誰もそこにいなかったからな」
ドクトは素直に感心して言った。
「義兄上はそれを予想してナオルを選んだのだ。単にチルゲイと仲が好いからだと思っていたが浅慮だったわ。さすがは義兄上だ」
ナオルは少し悲しそうな顔をして、
「そうだ。私を遣ることで、ハクヒ殿の件が支障ないことを示されたのだ」
ハツチは見事な長髯をしごきつつ、
「我がハーンはまことに英主じゃ」
それからしばらくは誰も言葉を発しなかったが、ふとナハンコルジが呟いて、
「それにしてもよ、ウリャンハタの大カンはいかにも恐ろしい人物だったな。俺は顔を上げることもできなかったぜ」
ドクトは傲然と胸を張って言った。
「そんなことあるかい! わしは山塞の戦で奴に一騎討ちを挑んだものだぞ」
ナオルが笑って訂正して言うには、
「違う、ドクトが戦ったのはこの前来ていた一角虎のほうだ。カントゥカとやり合ったのはアネク、コヤンサン、カトラ、タミチの四人(注3)。ところがまるで相手にならなかった。たしかに恐るべき猛将だ」
「ん? そんなこと知ったことか。とにかくわしは恐ろしくなどないぞ!」
「わかった、わかった。それにしても『威勢あるカン』とはよく名付けたものだ。まさしくその名のとおりだ」
ハツチが感心して言ったが、くどくどしい話は抜きにする。
ただここでナユテが独り会話に加わらず物思いに耽っていたことは記憶しておいてよい。実は先の大カンとの拝謁以降、ずっとこの調子なのである。なぜかと云えばそれはいずれわかること。
ともかくその日のうちに四方に使者が飛び、ウリャンハタの好漢諸将が一堂に会することになる。
そこでジョルチ部との同盟の是非が諮られるわけだが、まさしく昔日の敵は明日の友、干戈をもって相対したものが、ときを経て酒杯をもって再会するというのも乱世ならではの宿運というもの。
このことから大は両個の大族が血盟を交わし、小は両個の英傑が交誼を結ぶことになる。果たしてナオルらはいかなる命運に巡り合うか。それは次回で。
(注1)【身代わりとなって戦死】第二 五回③参照。
(注2)【テクズスの子】アイヅム氏族長コニバンのこと。初登場は第一 七回③。
(注3)【カントゥカと……】第三 一回④参照。