第七 九回 ③
タケチャク奇人を索めて奔雷矩の言を伝え
ナオル叡慮を量りて衛天王の信を得る
道中があまりに無事だったので、護衛のために随っていたドクトが残念そうに言うには、
「何だ、もう着いたのか。わしらの出る幕はなかったな」
ハツチが窘めて、
「何もなくて良かったではないか。喜べ、喜べ」
ナユテもまた微笑んで、
「我が版図も、ウリャンハタのカンの版図も治安が良いということだ。美髯公の言うとおり喜ばしいかぎりだ」
麒麟児らは誇らしげな顔で聞いていたが、そこで矮狻猊が言うには、
「ここでしばらくお待ちください。大カンに報告してまいります」
余の七人はそこで馬を留めて待った。ほどなくして戻ってくると、
「大カンは殊の外喜ばれて、すぐお連れするようにと仰せです。こちらへどうぞ」
しばらく進むと、漸くカンの大ゲルが視界に入る。八人は馬を馬飼いに預けて、戸張をくぐる。
チルゲイもにやにやしながらあとに続こうとしたが、タケチャクはその袖を引いて小声で言った。
「潤治卿がかなり怒っているぞ」
「ううむ、ちと遊びすぎたか。ナオルを連れてきた功で帳消しにならぬか」
「万人長を二人も連れて、三月も留守にしたんだ。心するがいい」
さしもの奇人もやむなく神妙な顔を作って中に入る。すでにナオルらは挨拶をすませて、ねぎらいの言葉を受けていた。
カントゥカの左右にはアサン、ヒラト、サチ、ボッチギンの四人の重鎮が控えている。ヒラトは、チルゲイを目敏く見つけると無言で睨みつける。
チルゲイがばつが悪そうに笑いかけたが、もちろん応えない。そのままシンと並んで跪拝して帰参を報告すれば、
「チルゲイ、お前が今まで何をしていたかはあとでじっくり聴かせてもらう」
これには小さく舌打ちをすると、伏したまま傍らのシンに囁いて、
「カンも怒ってるみたいだぞ。まずかったか」
「お前が悪いんだぞ。俺は早く戻ろうと言ったではないか」
「いやあ、毎日飲んでましたなんて言ったら、さらにまずいだろうな」
ぼそぼそと言葉を交わしていると、ついにヒラトが眉を顰めて口を開きかけた。が、その前にナオルが涼しい顔でさらりと言った。
「大カンに申し上げます。このたびは三名もの名高き好漢を派遣していただき、我らジョルチの人衆は心から喜んでおります」
「うむ……」
ヒラトもナオルの言を遮るわけにはいかず、口を閉じる。続けて言うには、
「ウリャンハタの英傑方の高邁な志に、我がジョルチン・ハーンをはじめみな感嘆いたしました。それで惜別の情を堪えがたく、つい長々と引き留めてしまいました。伏してお詫びを申し上げ、お赦しを請う次第であります」
そして深々と平伏する。カントゥカが言った。
「うむ、ああ、ともかく顔を上げられよ」
ヒラトは肩を竦めて首を振り、アサンは楽しそうに微笑む。それを覗き見て、チルゲイは心中快哉を叫ぶ。さてナオルは顔を上げると言った。
「このたび答礼の使者として我らが参ったのは、ここにあるチルゲイ殿の発案によるもの。詳細は彼にお尋ねください」
問われるのを待つまでもなく奇人は進み出ると、
「そうです。我が部族の将来のために提案があり、わざわざジョルチの右王にご足労願ったのです。というのは、先にヤクマン部のオンヌクドが報せてくれた大事に関係がございます」
そのことについては一同承知している様子だったので、先を続けて、
「ミクケルの遺児と亜喪神がトオレベ・ウルチの援助を得たとなると実に由々しき事態でございます。単独で抗するにはヤクマン部はあまりの大族、信頼ある部族と結んで対抗するほかありません」
ひとつ咳払いすると、
「信頼ある部族とは、第一にハーンが英邁で信義に厚く、逆境にあっても決して約定を違えないこと。第二に輔臣に有用の材多く、かつ固い結束をもってハーンの意志に背かないこと。第三にヤクマン部を共通の敵人としていること。この三者を同時に満たしていれば、盟邦としてこれに勝る相手はありません」
カントゥカは深く頷いて黙っている。チルゲイは意を強くして言った。
「そこでジョルチ部を観るに、かのジョルチン・ハーンの英明は天下に轟き、その信義のほどは、先年ミクケルがタロト部を攻めた際にこれを決して見捨てなかったことからも明らかです。麾下に集う黄金の僚友はいずれもまことに英傑好漢と呼ぶに相応しく、みなハーンの義兄弟として私心なくこれを戴いております。またトオレベ・ウルチのために三十年の内乱を戦い、今では幼児に至るまでこれを仇敵として深く恨んでおります。これをもってこれを覩れば、我がウリャンハタの新たな盟友として、ジョルチ部ほど優れた部族は、草原中を探してもいないでしょう」
チルゲイは一旦言葉を切ると、居住まいを正して言った。
「ウリャンハタの安寧のために、ジョルチン・ハーンと会盟してください。両部族が車の両輪のごとく親しみ合えば、いかなる敵人をも退けましょう。そこで僭越ながら、臣の独断でジョルチ部の右王をお連れした次第です」