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草原演義  作者: 秋田大介
巻六
314/783

第七 九回 ②

タケチャク奇人を(もと)めて奔雷矩の言を伝え

ナオル叡慮を量りて衛天王の信を得る

 その名を(チフ)にした好漢(エレ)たちはみな言葉(ウゲ)を失った。ドルベン・トルゲといえば知らぬものはない。


 かつて統一に向けて山塞を下りた彼らを散々に苦しめ、二度もインジャの(アミン)を奪いかけた希代の策士である。一度目はメルヒル・ブカで(ガル)によって(注1)、二度目はタムヤで矢によって(注2)。


 ナオルが震える(オロウル)で呟いた。


「あの四頭豹がヤクマンにいたとは……」


 座はしんと静まりかえっている。沈黙を破ったのはやはりチルゲイ。


「四頭豹の恐ろしさは私もよく知っております。その奸智にヤクマンの兵力が加わったのです。さらにミクケルの遺児とともにあるのは、あの喪神鬼イシャンの長子(クウ)ムカリ。これが亜喪神の渾名(あだな)が示すとおり、父親(エチゲ)に劣らぬ猛将(バアトル)。まったく猶予ならざる事態となりました」


 諸将はもはや開いた(アマン)(ふさ)がらない。イシャンの驍勇も記憶に新しいところである。彼一人のためにタロト、ジョルチは草原(ケエル)を追われたようなもの。


 酒宴の喧騒は遠い過去のものとなった。卓上(シレエ)料理(シュース)も冷め、(ガル)にした杯を干すものもない。軍師サノウがぽつりと呟いた。


「ジョルチの統一も、ウリャンハタの革命も、いまだ終了していないということか……」


 みなはっとしてこれを顧みる。が、あとに言葉は続かない。と、突如コヤンサンがばんと卓を叩いて叫んだ。


「またヤクマン部だ! 乱世を(あお)って何がおもしろい(ソニルホルトイ)んだ、ふざけやがって!」


 これを契機にうってかわって怒号と憤激が座を占めた。ドクトは意味不明の(わめ)き声を挙げ、いつもは冷静なイエテンも、


中華(キタド)(ノガイ)め!」


 などと吐き捨てる。憤怒(アウルラアス)と焦燥で誰もが青ざめている。彼らが頭領(アカ)と仰ぐインジャは黙ってそれを眺めていたが、やがて言った。


「……草原(ミノウル)は、草原(ミノウル)の民のものだ。中華(キタド)のものではない」


 ひと言で場は静か(ヌタ)になり、次の言葉を待つ。インジャは続けて、


「トオレベ・ウルチの方略は、草原(ミノウル)を誤り、人衆(ウルス)(そこな)うものだ。中華(キタド)に媚びていては真の安寧を得ることはできない」


 一同、強く頷く。インジャは立ち上がると、諸将を見廻して断乎として言った。


草原(ミノウル)を売らんとする奸賊を、テンゲリに替わって必ず討つ!」


 わっと同意(ヂェー)(ダウン)が挙がる。相変わらずサノウ独りは(フムスグ)(しか)めていたが、ほかの諸将はおおいに盛り上がる。


 チルゲイがつと進み出ると、拝礼して言うには、


「今やトオレベ・ウルチは独りジョルチ部の(ブルガ)ではありません。伏してお願い申し上げます。我が大カン、エルケトゥ・カンと会盟していただけないでしょうか」


 この提案にはみなあっと驚く。それはシンとスク、ウリャンハタの二将にとっても同じこと。チルゲイはかまわず言った。


「無論、私の独断では決められませぬゆえ、戻って大カンと(はか)ってまいります。まずはジョルチン・ハーンのお考えをお聞かせください。もしよろしければ、必ず衆議をまとめてまいりましょう」


 インジャは腰を下ろすとしばらく考える風であったが、やがて頷くと、


「願ってもないことです。奇人殿にお(まか)せしてよろしいでしょうか」


 大喜びで尽力することをテンゲリに誓う。また言うには、


「ではジョルチ部の正使をお定めください」


 インジャは即座に一人の名を挙げる。誰かといえば諸将の信望すこぶる厚い右王ナオル。(ヂャルリク)を受けると拱手して言うには、


「必ず義兄上の期待に沿えるよう努めます」


 もともとチルゲイはナオルと肝胆相照らす仲だったこともあり、この人選をおおいに喜んだ。ナオルはチルゲイの帰還に同道して西原に赴くことになった。副使にはナオル自ら神道子ナユテと美髯公(ゴア・サハル)ハツチを指名した。


 インジャはさらに往復の護衛としてドクトとナハンコルジの二将を選んだ。彼らも嬉々として拝命する。


 翌日、双方の好漢併せて九名は出発した。道中は飢えては喰らい、渇いては飲み、夜休み、朝発つお決まりの行程。


 格別のこともなくタムヤに到着する。一日宿泊してメンドゥ(ムレン)沿いに南下、渡し場(オングチャドゥ)から舟に乗ってイシに入ると、竜騎士カトメイに(まみ)える。


 事の次第を聞いてカトメイは驚いたが、遠来の(ヂョチ)をおおいに歓迎する。ミヤーン、チャオ、イェシノルが出仕していたので、例のごとく宴席が用意される。


 夜はカトメイの家にところを移し、ナオルら五人はそのまま宿泊した。余の好漢はミヤーンの家に泊まって、翌朝またともに出立する。


 ころはすっかり(オブル)である。スクは(モル)を分かってカムタイへ帰ることにしたが、別れ際に言うには、


「直接タムヤと西原が繋がれば、行程は半分(ヂアリム)ですむだろう。紅大郎(アル・バヤン)にマタージ・ハーンの言葉を伝えておこう」


 チルゲイは莞爾と笑うと、


「身をもって知ったか。ではそのことは君に(まか)せる。我が大カンとジョルチン・ハーンの会盟は、直にタムヤに乗り込んで行おう」


 再会を約して別れた。八人の好漢は(くつわ)を並べて(ホイン)へ向かう。やはり遮るものもなく、予定どおりに衛天王のアイルに到着した。

(注1)【火によって】ドルベン・トルゲが連丘に火を放ってインジャらを焼き殺そうとしたこと。第五 二回①参照。


(注2)【矢によって】タムヤ攻防戦でドルベン・トルゲの放った矢がインジャに命中(オノフ)したこと。第五 六回②参照。

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