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草原演義  作者: 秋田大介
巻六
310/783

第七 八回 ②

カントゥカ西邑を合して公に即位を宣し

チルゲイ中原に使して親しく義君に(まみ)

 さて、このエルケトゥ・カンの即位において、ジョルチン・ハーンと異なる点が幾つかある。ひとつはナーダムを開催しなかったことである。もともとウリャンハタにナーダムの伝統(デグ・ヨス)がなかったからではあるが、より大きな理由がある。


 ジョルチ部は長年の分裂が終わったことを示すために統一の象徴となるものを必要(ヘレグテイ)としたのに対し、ウリャンハタ部の内戦(ブルガルドゥアン)は僅か一年で収束したために殊更(ことさら)にそれを行う必要を認めなかったのである。


 次には先にも触れたように、ハトンが冊立されなかったことである。これはカントゥカの性格(チナル)に由来している。何とこのあともずっとハトンを立てない。彼は女性(オキン)に対する審美眼は人並み以上に有していながら、なぜかオルドの整備に一切着手しなかった。


 だいたいにおいて草原(ミノウル)君主(エヂェン)は多妻で、幾人も公子(ティギン)を成すものだった。


 極端な例を挙げれば、ヤクマン部のトオレベ・ウルチ・ハーンは百人(ヂャウン)妻妾(エメ)を保有し、その子は成人したものだけで数十人に及んだ。タロト部のジェチェン・ハーンにはマタージなど三人の子があったが、これはむしろ少ないほうである。


 ただこのころは多子を成すものは少なくなり、カントゥカと同世代で数多の兄弟があるものはほとんどない。すでに己の子があるものに至っては皆無である。


 のちのちになっても四人以上の子を成すのはマシゲル部のアルスラン・ハーンのみだが、彼は八人と飛び抜けて多子である。


 話が先走りすぎたので、現在に返る。


 さらに相違点を挙げれば、彼は職制の頂点に丞相(チンサン)を置いたが、カンの牧地(ヌントゥグ)を分掌する左右の王を立てなかった。五人(タブン)万人長(トゥメン)はあくまで軍制における役職であり、ジョルチ部のように王を指すものではない。


 それどころか彼は近衛軍(ケシクテン)の将すら任命していない。すなわち近衛軍は、大カン自身がこれを(ひき)いるということである。カントゥカの武勇は冠絶していたため、誰も異を唱えなかった。


 ひとつ共通点があるとしたら、インジャがサノウを断事官(ヂャルグチ)として政柄(せいへい)を預けたように、カントゥカもまたヒラトを執政として政事を一任したことであろうか。


 とはいえその動機はまったく異なる。インジャは「黄金の僚友(アルタン・ネケル)」を信頼(イトゥゲルテン)して軍事民事を問わずことごとく権限を与えたのに対して、カントゥカは単に内政が不得手だったのである。彼は何よりもまず卓越した武将であった。




 余談はさておき、カントゥカが四方に派遣した使者の中にチルゲイの姿(カラア)があった。奏して言うには、


「タロト、ジョルチとは先年干戈を交えましたが、今後はこれと和していくことが良策。知己も多いゆえ私が使者となりましょう」


 カントゥカはおおいに喜んでこれを許したが、それを聞きつけたシンが言った。


「常々お前が(うらや)ましかったのだ。今回は俺も連れていけ」


「私はかまわぬが、君はいまや軍の中枢(ヂュルケン)。大カンが許すかどうか」


 するとシンは、待ってろと言い置くや、(くだん)の神足の法(注1)を用いてさっさと許可を取ってくる。チルゲイは笑って、


「それなら問題ない。行こう、行こう」


 二人がいろいろ算段していると、そこへ今度はスクがやってくる。彼もまた話を聞くと散々羨んで、


「俺も行く。大カンに聞いてくる」


 そう言って飛び出していく。チルゲイとシンは(ヌル)を見合わせて大笑い。


「俺はともかくスクは無理だろう。カムタイの守護官(タンマチン)だぜ」


 ところが大喜びで戻ってくると、


「許しが出たぞ! さあ、連れていけ」


(ウネン)か? ヒラトが何か言わなかったか」


 驚いたチルゲイが問えば、


「ああ、何やら渋い顔をしていたが、知ったことか。カムタイのことは紅大郎(アル・バヤン)がいれば問題ない」


 またもや二人は大笑い。ともかく三人はすばやく準備を整えて出発した。メンドゥ(ムレン)を越えるには、イシの渡し場(オングチャドゥ)を経由しなければいけないので、(ウリダ)に向かおうとしたところで偶々(たまたま)ヨツチが来るのに()った。


「まさかヨツチも行くなんて言いださないだろうな」


 スクが言ううちにも笑顔で寄ってきて、


「おお、お揃いじゃないか」


 シンは有無を言わさずいきなり言うには、


「矮豹子、お前は連れていかんぞ!」


「はぁ? 何のことだ。さっぱり判らんぞ」


 (ニドゥ)を円くしておおいに驚く。タロトに向かうことを告げれば、


「そんな遠い(ホル)ところに誰が行くものか。気をつけて行ってこい」


 そこで三人は礼を言って別れ、一路南を指して駆けた。格別のこともなくイシに着くと、ミヤーン邸で一泊する。翌日、イェシノルとミヤーンに見送られてメンドゥを渡った。


 すでに季節は(ゾン)だった。草原(ミノウル)ではもっとも過ごしやすい時節である。のんびりと(サルヒ)に当たりながら物思いに(ふけ)る。つい先日まで生死を賭した砂塵吹き荒れる戦場にあったのが夢のようであった。


 東岸に達すると、今度は北上である。シンは呆れて言った。


「ずいぶん遠回りだなあ。これでは帰るころには(ナマル)だな」


 チルゲイが答えて、


いや(ブルウ)、ジョルチにも行くから(オブル)さ」


 勢いで同行した二人の万人長は、おおいに狼狽(うろた)える。スクはテンゲリを仰いで、


「……そうかぁ。カントゥカはよく許したな。そりゃヒラトも渋い顔をするわ」


 その顔を想像して三人はまた笑い転げる。

(注1)【(くだん)の神足の法】第六 一回②参照。

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