第 八 回 ③
諸将十面に埋伏してサルカキタンを虜にし
六駒忠義を貫徹してインジャを嘆ぜしむ
インジャはひとまず軍勢をまとめると、セイネンに言うには、
「ジュマキンを生け捕りにしたはよいが、サルカキタンは逃したな」
「心配は要りません。シャジ殿に追わせております。さらには先に配したズラベレン三将がいますから、到底逃げられません」
インジャはおおいに感心して、
「それにしてもこの勝利、いまだに信じられぬ。ベルダイ右派を相手にかくも痛快な戦ができようとは。君の用兵は鬼神のようだ。これまでの草原では見られない戦ぶりだ」
讃えられたセイネンは小さく首を振ると、
「それほどのことではありません。偶々大勝を博しましたが、勝敗は兵家の常。いつもうまくいくとはかぎりません」
「謙遜しているな」
「いえいえ、敵に兵法を知るものがなかっただけ。私などもほんの少しこれを齧ったに過ぎません」
ますます感心して、
「兵法か。君はどこでそれを?」
「神都に兵法の大家がおります。機会があって少々」
「ふうむ、その方にお会いしたいものだ」
「まことに残念ながら、すでに亡き人でございます」
「何と、それは残念だ」
そこでセイネンが顔を上げて言うには、
「しかしそれに代わるものなら存じております。私とともに学んだもので、用兵はおろか天文、地理、占卜にまで通じております」
「君と比べてどうだ」
「私などは及びもつきません。兵を語らせれば、おそらく草原に比肩しうるものはないでしょう」
インジャは俄然興味を掻き立てられて、
「その方を招くことはかなわぬか」
問えば、急に言い淀んで、
「できなくもないとは思いますが、そのぅ、その男は少々難がありまして……」
そこへナオルが、捕らえたジュマキンを引っ立ててきた。それに気づいたインジャはあわてて駈け寄り、その縄を解く。ジュマキンはおおいに驚いて、
「何をされる」
拱手してインジャが言うには、
「我々は将軍に刃を向けはしましたが、決して本意ではありません。自らの身を護るべくやむなく剣を取ったのです。よろしければ私の話をお聞きください」
「敗軍の将に何を言うことがある。さっさと斬るがよい」
それを宥めて、
「まあまあ、お聞きください。今、草原は乱れに乱れております。ジョルチ部にはハーンもなく、諸氏は放埓のかぎりを尽くし、血縁にも信なく、昨日の友は今日の敵という有様。このままでは内にあって安からず、外にあってはなお殆うい。このような状況を憂えているのです」
「……それで、貴公はどうしようというのだ」
「同じ部族として、ともに草原に生きるものとして、平和を望むだけです。トオレベ・ウルチの謀略よりこの方、我々は多くの血を流し過ぎました。同族で相争うのは終わりにしたいのです。そのためには部族を再び強力に結びつける力が必要です」
ジュマキンはなおも警戒を解かず、
「貴公がそれをやるなら、いくら美辞麗句を並べても私欲のためと云われようぞ」
インジャは心の底から驚いて、
「私が? とんでもない! そのような才略も徳もありません。然るべき人が現れれば喜んで従うつもりです。今はまだそのような英雄に巡り会えないので、恥ずかしながら上席を汚しているまで、何の私欲がありましょう」
サルカキタンのもとに在ったジュマキンは、これまでこのようなものに会ったことがないのでわけがわからず、
「俺にそのような話をしてどうするのだ」
インジャは居住まいを正して、
「ご賛同いただけるなら、フドウに留まって若輩の我々を導いていただきたい。これは居並ぶ諸将みなの願いです」
ジュマキンは色を成して首を振ると、
「それは二君に仕えよということか! それはできぬ」
ナオルはじめ入れ替わり立ち代わり説いたが、頑として聞き容れない。みな残念がったが、何と忠義の将よと感嘆もしたのであった。
「将軍のお心が変わらないのであれば、やむをえません」
「では斬るがよい」
「いえいえ、将軍のような真の好漢を斬ったとあっては大きな恥。しばらく我々の歓待を受けてください。帰るのはそのあとでも」
ジュマキンはそれすら固辞した。しかし諸将が懇願したのでしぶしぶながら承知したが、それはさておく。
さて逃げるサルカキタンとシャキは迷いに迷った挙句、やっとメルヒル・ブカの出口に近づいていた。と、そこに一隊の人馬が現れる。先頭の将はこれぞズラベレン氏の猛者、コヤンサン。
「待ちかねたぞ。その首を置いていけ!」
敗残の主従はあわてて道を戻ろうとする。と、背後にもわらわらと軍勢が現れた。率いるはジョンシ氏の宿将シャジ。
「潔く馬を降りるがよい!」
サルカキタンは生きた心地もしない。
シャキが言うには、
「左の丘に登って逃げましょう」
「いや、我が命運もこれまでだ」
「弱音を吐かれますな! 命があれば、また再起もかないます」
その言葉に何とか力を得て、馬首を廻らす。
「まだ諦めぬか、笑止な」
コヤンサンは余裕綽々でこれを追う。
主従は丘の上に至って、我が目を疑った。すでに眼前に兵が展開しており、彼の姿を認めて一斉に喊声を挙げる。
追いついたコヤンサンが言うには、
「ははは、ここではイエテン、タアバ、タンヤンの三将がお前の来るのを楽しみに待っておったんだぞ。諦めるがよい」
ついにサルカキタンは膝を屈し、シャキも馬を降りた。コヤンサンは二人を縛らせると、諸将と轡を並べてインジャのもとへ向かった。