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草原演義  作者: 秋田大介
巻六
308/783

第七 七回 ④

シン・セク小虎公を救って聖知に(まみ)

スク・ベク麒麟児を(たす)けて蛮勇を討つ

 パンヤン高原から退いたセイヂュクは憤懣やる方なく、早馬(グユクチ)を送って援軍(トゥサ)を請うた。後方にはいまだ無傷の二万騎があって報告を待っているのである。


 セイヂュクは軍を留めてじっと援軍を待った。そこに本軍(イェケ・ゴル)から使者が来たとの報せ。喜んでこれを迎えれば、醜く肥えた(タルガン)目つきの悪い巨漢(アヴラガ)がそこにあった。


「やあ、セイヂュク老。ご苦労、ご苦労」


 肥満漢はやっとのことで馬車(テルゲン)を降りると、暑くもないのに大量に噴き出た汗を(ぬぐ)いながら、口角だけ上げて笑った。


「これはこれはデゲイ殿。援軍の件はどうなった」


「まあ、座して話そう」


 そう言いながらも、ふうふうと息を吐く。これをゲルに案内して上座に着ける。


「長旅は身体(ビイ)に応えるね、ほっほっほ」


 デゲイは(アマン)をすぼめて笑う。セイヂュクは(はや)る気を抑えられずに言った。


「援軍の件だが。こちらはササウェイを失って戦力が足らぬのじゃ」


 汗を拭きつつ、デゲイは(にわ)かに不快を示して言うには、


「無理だねぇ……。ウリャンハタの鋭鋒は今なお健在である。撤退と決した」


「何だと! ではササウェイの(オソル)は……」


「知らぬ。これは()()()()で決定されたことである」


 冷たく言い放つ。上卿会議の名を聞いたセイヂュクはがっくりとうなだれる。


「老将軍も上卿会議の重さは知ってるよね」


 目にますます冷酷な光を(たた)えつつ、また口許(くちもと)だけで笑う。


「老将軍も本来なら上卿の末席に連なっていよいのに、その(ナス)でまだ前線に立たれるとは。部族(ヤスタン)を思う(オロ)がよほど強いんだねえ」


 そう言って高らか(ホライタラ)に笑う。笑い収めると、(うつむ)いたままのセイヂュクを横目に見ながら苦労して立ち上がると、


「ともかく今日中に(デム)を払って撤退するように。さもなければ使者の僕が(とが)められる。ほっほっほ、よろしく(たの)みましたぞ」


 デゲイは巨躯を揺すりながら帰っていった。あとに残されたセイヂュクはぎりぎりと歯噛みしたが、上卿の意には逆らいがたくやむなく撤退の(カラ)を下した。




 上卿会議とは、クル・ジョルチ部独自の政体である。


 そもそもクル・ジョルチ部は以前述べたとおり、百年ほど前に叛乱(ブルガ)に失敗したジョルチ部のウラオス(注1)がメンドゥ(ムレン)を渡って建設した部族(ヤスタン)である。以降、草原(ミノウル)に通じる北方の商路を抑えて発展してきたのだが、初代ウラオスの死後、その血統は三代で絶えてしまった。


 そこで通常ならクリルタイによって新たなハーンの選出を行うのであるが、ときの長老(モル・ベキ)の一人カンダガイ・ベクは、ほかの長老と(はか)ってクリルタイを一向に開催しなかった。もちろんウラオス家の(ブスクイ)どもから抗議の(ダウン)が挙がったが、これを黙殺すると着々と野望の実現に向けて暗躍を始めたのである。


 もともとウラオスの代から長老と呼ばれる人々は隠然たる勢力を張っていた。というのも、叛乱に敗れたウラオスを支えてクル・ジョルチ部の基を築いたのは我らであるという自負が強かったためである。


 ウラオスは彼らの専横を苦々しく思いつつも、その支持を失っては身の破滅を招くことを承知していたので、対策を打つことなく(こう)じてしまっていた。


 さてカンダガイ・ベクは、長老たちの中でももっとも家格の高いビブン家のものであった。彼はウラオスに連なる血統が絶えたことを幸いとして、部族(ヤスタン)完全(ブドゥン)我がもの(エムチュレン)にしようと図ったのである。


 しかし自ら即位するという短絡的で危険な策を採らなかった。もしそれを企図すれば、ほかの長老たちの賛同を得られないばかりか、悪くすると孤立して放逐されるかもしれない。


 そこでハーンには傀儡を立て、長老による合議(クラル)部族(ヤスタン)を運営することにした。もちろんその中枢(ヂュルケン)にはビブン家を据える心算である。


 まず前代ハーンのハトンをはじめとするウラオス家の女どもを処罰した。罪状はハーンを呪殺したという怪しげなものだったが、カンダガイを支持する長老たちの決議により、処刑は(とどこお)りなく執行された。


 それから反対分子を炙りだし、策謀、征伐、あらゆる手を駆使して葬り去って、やっとクリルタイを開催したのである。選出されたのはまだ三歳の幼児(チャガ)で、ウラオス家と何の縁もない小家の出自(ウヂャウル)であった。


 このときよりクル・ジョルチ部は「ハーン」の称号を棄てて、西原風に「カン」の(ツォル)を採用する。


 カンダガイは左右も判らぬ幼いカンに長老たちの権限を認めさせ、己のために作った(ヂャサ)をことごとく通した。かくして彼らは「上卿」に任命されて世襲の特権を獲得したのである。


 上卿たちは政事についてのすべての権限を有し、毎年莫大な恩賞が下賜され、さらにはカンの罷免すら自由(ダルカラン)に行えた。軍の統帥権すら保持していたから、歴代カンは為す術もなく彼らの跋扈(ばっこ)を許したのである。


 とはいえカンには幼児か、心身の衰えた老人(ウブグン)しか選出されなかったので、現状を打破しようという気概を抱くものはほとんどなかった。


 一度だけアルカイというカンが決起したことがあった。アルカイは五歳で即位すると十年に(わた)って傀儡の座に甘んじていたが、上卿のあまりの専横に(たま)りかねてこれを一掃しようと決意した。


 しかし不穏な言動を示せばたちまち殺されてしまうので、じっと忍んで機会(チャク)を待った。カンとはいえ彼には動かすべき一兵卒もなく、実家(ナガチュ)の後援もなかった。幼少より高き座(オンドゥル)にあったので心を許せる(アンダ)の類もない。


 そこで数人の奴隷(ボオル)とオルドの(オキン)どもを用いてことに及ぼうと考えた。彼の示した才略(アルガ)はまさに草原(ミノウル)英傑(クルゥド)と呼ぶに相応しく、それだけで一個の物語(ウリゲル)になるべきものだった。


 が、いかんせん湖水(テンギス)に投じた一石のごとく、一人の小人の背反からことが露見し、捕まって処刑されてしまった。


 つまりクル・ジョルチ部にあってはカンは台上の飾りに過ぎず、実権はすべて上卿の手にあるのである。彼らの合議こそ上卿会議であり、これにより部族(ヤスタン)の政策を決するとともに、一家の勢力が突出せぬよう互いに牽制しているのである。


 先の肥満漢、シュガク氏族長(ノヤン)デゲイも上卿の一人である。彼はカンダガイを輩出したビブン家の傍系でありながら奸智に()け、ついに氏族(オノル)の長となった男である。


 かたやセイヂュクはタイクン氏の名門に生まれながら政争の機微を知らず、いつの間にか上卿になる(モル)を閉ざされてしまったという経歴を持つ。


 ちなみにときのカンは、ハヤスン・コイマル・カンなるインガル氏の温厚な老人である。俗事に興味を持たず、ただ静か(ヌタ)な暮らしを求める人物であったから、傀儡としては理想的であった。




 さて、話を本題に戻す。


 セイヂュクの撤退はすぐにウリャンハタ側に知られた。好漢(エレ)たちはおおいに喜んで意気揚々と凱旋した。これによってやっと内外の憂いを払拭し、衛天王の下で新たな時代を迎えることになったのである。


 代が改まれば当然天下に即位を宣するのが世の道理(ヨス)というもの。カントゥカも例に漏れず、いよいよカンとして草原(ミノウル)に名を知らしめるのであるが、果たしてどのような即位式が行われるか。それは次回で。

(注1)【ウラオス】クル・ジョルチ部の祖。第 一 回④参照。

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― 新着の感想 ―
[良い点] なんとか文字を追う感じで読んでます。私には登場人物の名前が難しすぎますが、中国の歴史小説が好きなので、気になります。違うジャンルの作品も書いてほしいですが、応援してます。 [一言] 大学生…
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