第七 七回 ③
シン・セク小虎公を救って聖知に見え
スク・ベク麒麟児を祐けて蛮勇を討つ
ウリャンハタ軍はおおいに喜んで金鼓を打ち鳴らすと、まずは左翼からタクカが躍り出る。得物はひと振りの剣。馬を飛ばして、いきなり打ちかかる。
ササウェイは余裕を持ってこれをあしらう。次々と剣を繰り出すも、
「ぬるい。そんな腕では俺は斬れぬぞ!」
そう叫ぶや金剛球が唸りを挙げる。があんという音とともにタクカの得物は空高く撥ね上げられる。タクカは青ざめて馬首を廻らすと、
「なるほど、やはりお前は無智蒙昧の輩だ」
言い捨てて一散に逃げ戻る。ササウェイはおおいに怒って追わんとしたが、
「待て! 俺が相手だ、無能め!」
そう呼びかけつつ、カムカが黒塗りの槍を掲げて突出してくる。ササウェイは、やはり怒って今度はカムカへ向かっていく。
両雄は激しく闘ったが、さすがの牙狼将軍も次第に押されはじめる。カムカは一撃を繰り出すと、さっと離脱して言った。
「さすがに強力だ。頭の中まで肉が詰まっている奴は違う」
またしてもササウェイは逆上する。そこへ今度はシンが馬を飛ばしてきて、
「こののろまの大牛め! 俺と勝負だ!」
幾度も幾度も侮辱されたササウェイの面は紫色に変わる。口腔からもはや言葉にならない咆哮を迸らせると、金剛球をぐるぐると回しつつ麒麟児に猛進する。
「まるで獣だな」
シンが呆れて呟く。迫るササウェイの形相は凄まじく、さすがのシンも心を引き締めて手綱を握る。アサンから必勝の策を授けられていなければ、気圧されていたかもしれない。
いよいよ敵将が近づくと、さっと馬首を廻らせて、
「さあ、ついてこられるか。この肥満め!」
「小僧が! 目上に対する礼を教えてやる!」
「ははっ、礼を説くような面か!」
適当な間隔を保ちながら、さらに罵言を投げつける。ササウェイは躍起になって追い、シンは逃げ続ける。ササウェイは怒りのあまりすでに何も見ていない。ただシンの背を見てひたすら追ってくる。
シンは自陣の前まで駆け戻ると、
「ころや善し!」
とて卒かに振り返る。その手にはひと振りの強弓。構えるや目にも留まらぬ早業でひょうと放つ。
たん、と乾いた音がしたと同時にササウェイの巨躯がぐらりと傾いた。
「な、何だと?」
見れば額に深々と矢が突き立っている。ウリャンハタの陣から大歓声が巻き起こった。
が、次の瞬間、それは驚愕の悲鳴に変わった。
「小僧どもめぇぇっ!」
落馬するかと思われたササウェイが、ぐっと踏ん張って身を起こしたのである。そのまま麒麟児めがけて突っ込んでくる。
「嘘だろう?」
あわてて二の矢、三の矢を繰り出せば、ことごとく命中する。兵衆も矢の雨を降らし、その巨躯には次々と矢が刺さる。が、意に介する様子もなく突進し、シンとの間合いは指呼の間に迫る。
驚きあわてるシンの横にふと人の気配がしたかと思うと、
「並の矢じゃ無理だ」
そう言って一騎飛び出していくものがある。彼はササウェイに正対すると、手にした長槍を掲げて、
「これでも喰らえ!」
渾身の力を込めて投げ放つ。それは眼前に迫っていたササウェイの胴を貫き、刀身は背中から飛び出した。
「どうだ、長槍の味は!」
これにはたまらず身を屈し、どばどばと大量の血を吐いて落馬する。今度こそ陣中から大歓声。倒れ伏したササウェイに駆け寄って、胴から長槍を引き抜いたものこそ誰あろう、一角虎スク・ベクであった。
「おお、スク! 傷はもうよいのか?」
シンが駆け寄ると、顔中に巻かれた布の下で笑って、
「俺の鼻が歪むようなことがあれば、殺すだけでは飽き足らぬわ」
ともかくこれで士気はテンゲリを衝かんばかりとなり、クル・ジョルチ軍はどっと浮足立つ。アサンがすかさず総攻撃の合図を出せば、旌旗がうち振られ、金鼓がテンゲリをどよもした。わっと喊声が挙がり、馬蹄の響きがエトゥゲンに轟く。
セイヂュクはこれを支えるべくもなく、瞬く間に敗走した。アサンは帰還した諸将を迎えると、感慨深げに言った。
「それにしても人知を超えた将というのはいるものです。麒麟児の一矢で易々と殺せると思ったのですが」
シンが答えて、
「それよ。あれは人じゃない。やはり化物だ」
ササウェイを屠ったスク・ベクの名は一躍高まり、クル・ジョルチの間でも勇将として広く知られることとなった。