第七 五回 ④
サチ寡兵を用いて善く大敵に伍し
シン軽騎を飛ばして其の不意に趨く
ネサク軍は傍若無人に敵陣を蹂躙した。その馬は疾く、剣は鋭く、気は満ちていた。麒麟児の七星嘆は存分に血を吸い、黒亜騏はその馬蹄の下に敵兵を踏み砕いた。
ミクケル軍は命を待たずに遁走しはじめる。
「ミクケルの首を奪うぞ!」
シンが高々と宣言すれば、三千騎は奔流のごとく大将旗を目指す。遮るものはすべて骸と化して地に転がった。
「ひ、退け! 退けぇ!」
ミクケルは震える唇で叫ぶと、真っ先に馬首を転じた。クルドら奸臣も為す術もなくこれに従う。
「逃がすな!」
シンは躍起になってこれを追う。その前に一隊の人馬が立ち塞がった。フワヨウである。
「ふん、またお前か。退け!」
七星嘆を掲げて馬腹を蹴る。フワヨウもしっかと得物を握り直して身構えたが、
「無益なことを!」
すれ違いざまにさっと剣を振るえば、応じる間もなく頸脈に喰い込む。あわれ近衛の猛将フワヨウも、呆気なく戦場の塵と消える。
逃げるミクケルは鞍上に身を伏せて馬を急かしながら、ジャルに命じて、
「お前はここに残ってときを稼げ!」
「……承知」
やむなくそう答えて手勢とともに離れたものの、ジャルはそのまま遁走してしまった。チンサン、クルドもいつの間にか姿を消している。変わらず従っているのはシャギチと醜面亀ボロウルのほか、ウラカン氏、スンワ氏の騎兵併せて三百騎ほどである。彼らはあてもなくただ東を指して駆け続けた。
そのころ戦場にはさらに衛天王カントゥカ帥いる中軍も到着、いよいよ追討戦が遂行されようとしていた。
とはいえ、ミクケル軍の逃げ遅れたものは次々に馬を降りて降伏し、恭順の意を示したので大規模な戦闘には至らなかった。彼らはことごとくヒラトに預けられて監視された。その数は数千騎以上になった。
檻車にあったツォトンは、麒麟児来襲を知った瞬間にテンゲリを仰いで、
「ああ、我が太陽は没した」
そう嘆じるや、自ら舌を噛んで命を断った。
亜喪神ムカリは、追撃を逃れた数少ない将の一人である。群がる兵を叩き伏せて主君を追う。途中、息の上がった馬を捨てて敵騎の乗馬を奪うこと数度、何とか先行するミクケルに追いついた。
ミクケルはこの猛将に会って安堵の表情を浮かべたが、その顔は再び恐怖に歪むことになった。地を埋めるほどの大軍が駆け来たるのが見えたからである。
すなわち竜騎士カトメイと一角虎スク・ベク率いる一万騎である。振り向けば麒麟児シンと知世郎タクカの三千騎が土煙を上げて迫る。
悲鳴を挙げると、ムカリに向かって言うには、
「お前は疑うべくもなくウリャンハタ一の勇者だ。それを見込んで頼みがある。我が子を託す。メンドゥ河を越えてこれを逃がせ」
ミクケルは戦に先立ってオルドを東方に残していた。ムカリは頷くとシャギチを伴って去った。かつての大カンは足を止めると、その場を動こうとすらしなかった。形ばかりの脆弱な陣を布くと、一万の大軍を正面から迎える。
先駆けるスク・ベクは、あっさりとこれを蹴散らすと、その長槍でまず手負いのボロウルを貫き、ついにそれをミクケルに突きつけた。
「お前を殺すのは俺の悲願だったが、お前を仇とするのは独り俺だけではない」
そう言うと縄で縛って捕虜とした。最後まで抵抗を試みたウラカン勢も、カトメイの姿を見て得物を棄てた。
彼らはネサク軍と合流して、意気揚々とドゥルガド台地へ向かった。諸将は集まって戦勝を喜び合った。
ミクケルを見捨てて逃げた奸臣もことごとく擒えられた。すなわちジャルは矮狻猊タケチャクが、チンサンは妖豹姫ガネイが、クルドは笑破鼓クメンが発見して捕縛した。カントゥカは彼らを引見すると、眉を顰めてひと言、
「斬れ」
そう言っただけであった。三人の奸臣はがっくりとうなだれる。周囲からは罵声が滝のごとく浴びせられた。誰もが万言を費やしても飽き足らない思いであった。
次いでミクケルが引き出された。さらに罵声は熱を帯びる。言うだけでは収まらない兵衆は、石を拾って投げつけた。スク・ベクの言葉どおり、これを仇とするものは部族中に溢れていたのである。
アサンは悲しげに首を振ると、立ち上がって群衆を鎮めた。たちまち辺りは静かになる。それを待ってカントゥカは言った。
「テンゲリに罪を得たものの末路は決まっている」
あとは無言であった。右手を挙げて合図すると、ミクケルは衛兵に連れていかれて処刑された。
かくしてウリャンハタ部を揺るがした内戦は終わった。論功行賞があり、諸将ことごとく賞された。特に花貌豹サチとその三人の副将は大歓声とともに厚く褒賞された。
が、そこで蒼鷹娘ササカが、憤然として渾沌郎君ボッチギンを睨みつけると言うには、
「ひとつだけご説明願います。敵の総攻撃に際してカンは、僅か千騎の援軍しか寄越さず、三倍もの敵を半日防げという無理な命令をされました。偶々麒麟児が間に合って勝利を得たものの得心がいきません。我々を捨て駒にするおつもりだったのですか。それとも深慮遠謀あってのことだったのでしょうか」
居並ぶ諸将は浮かれた気分に水を差されて、はっと息を呑んだ。たしかにシンが少しでも遅れれば、サチら四将の生死は測り知れなかったところである。
ササカは低く抑えた静かな口調であったが、それこそ忿怒が尋常ではないことを示していた。視線がカントゥカに集まる。カントゥカは傍らを顧みた。応じてボッチギンが進み出る。
さて、その返答によっては貴重な勝利の意義すら殆うくなるのは言うまでもない。僚友の結束を崩さぬためには、誰もが得心する釈明が求められる。
まさしく仇敵すでに亡きも新たな疑義生じて心休まらずといったところ。果たしてボッチギンは何と言ったか。それは次回で。