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草原演義  作者: 秋田大介
巻五
298/785

第七 五回 ②

サチ寡兵を用いて善く大敵に伍し

シン軽騎を飛ばして其の不意に(おもむ)

 前線にあるフワヨウも首を(かし)げて、


「彼奴らは何を考えているのだ。血迷ったか? ここで一軍を突入せしめて(ブルガ)の横陣を突破すれば、勝利は疑うべくもない」


 しかし中軍(イェケ・ゴル)からは何の命令(カラ)も下らない。相変わらず大軍をもって包囲(ボソヂュ)しようと、外へ外へと動いていくばかり。多くの部隊が移動して、代わりにミクケルの所在を示す大将旗が()りだしてくる。


 (いぶか)しく思いつつも独断で突撃するわけにもいかず、振り返っては指示の出るのを待った。以前の彼なら戦機(チャク)(とら)えれば、主命なくとも単独突撃を敢行したはずだが、先にガルチェン高原で敗れた身であるため自重したのである。


 それがサチの賭けに光明を見出ださせることになった。


 ミクケル軍はひたすら外からの包囲を試みて軍を動かし、サチ軍もまたそうはさせじと外へ外へ兵を運用するという奇妙な(ソオル)になった。直截の激しい戦闘(カドクルドゥアン)はひとまず治まり、矢の応酬と小部隊による牽制が続いた。


 サチは慎重に兵を移しながら叫んで言った。


「囲まれたら壊滅、囲めば勝機はあるぞ! あるかぎりの矢を放て!」


 こうしてしばらくは互いに利を奪うべく兵の展開にときを費やした。フワヨウは歯軋(はぎし)りして、


「クルドは機というものを知らないのか! 一挙に包囲殲滅できる機会は失われた。今こそ数を活かして敵の中央(オルゴル)を破るべきなのだ! 敵が引き摺られているのではない、我が軍が敵に同調して無用に兵を動かしているのだ!」


 しかしそのころクルドは、


「敵陣は広がれば広がるほど薄く(ニムゲン)なっていきます。あれでは包囲が成るより前に崩れるでしょう。楽しみにお待ちください」


 ミクケルはクルドを信頼(イトゥゲルテン)すること厚かったので頷くばかり。たしかにミクケル軍にとっては正面から砂塵を(おか)して攻めるよりも、左右に流れていくほうが楽ではあった。


 しかも敵の背後に回りさえすれば風上を占めることができる。あとは圧倒的な兵力をもって包囲殲滅すればよいのである。誰も疑いを挟むものはなかった。


 最前線のフワヨウを別にすれば、である。業を煮やして伝令を立てると、中軍に走らせて告げさせた。


「敵陣は薄く、ひと押しで突破できます。悠長な策は棄てて、突撃によって中央から背後に回るべきです」


 ミクケルは左右を顧みた。チンサンが冷笑して言うには、


「敗軍の将が兵を語るとは笑止千万。きっと先の汚名を晴らすべく戦功を欲しているのでしょう。採るべきではありません」


 クルドもこれを支持したので、ミクケルはフワヨウの策を退けた。この瞬間、数年に及ぶ四姦(ドルベン・クラガイ)の協同も消滅(ブレルテレ)した。


 さてフワヨウは()()()と形容したが、実際は熾烈な戦闘こそないものの、双方の両翼は凄まじい勢いで互いに牽制しながら動いていたことを明記せねばなるまい。


 特に数で不利なササカ、ヨツチは必死であった。後背に回り込まれないように、また同時に陣形(バイダル)に間隙が生じないように、神経を尖らせて細かく指示を下さなければならなかった。


「やっぱり()()()()()()()()()なんて無理よ! このまま戦線が伸び続けたら、いずれ隙が生じて寸断されるわ」


 ササカは続々と増え続ける敵を見て(ようや)く弱音を吐く。


 と、そのとき、中央で高らか(ホライタラ)に金鼓が鳴り響いた。両軍とも驚かぬものはなかった。それは花貌豹サチが鳴らさせたものであった。言うには、


「機は熟した。狙うは暴君(ハラ・エルキム)の首級のみ」


 周りにはサチ軍の中核(ヂュルケン)を成す精鋭三百騎があった。朱塗りの(ヂダ)を高々と掲げると、勢いよく馬腹を蹴る。三百騎はひと固まりとなって俄かに敵陣に斬り込んだ。


 突如膠着を破った敵騎の乱入に、ミクケル軍はあっと息を呑んだ。


 サチ軍は脇目も振らずに一直線に突き進む。その先には押し出してきたミクケルの大将旗があった。もちろんその下には当のミクケルがいる。知らずサチと指呼の間にまで迫っていたのである。


 ミクケル軍は左右に広がる運動の中にあり、(きり)のごとく縦に進入してきたサチ軍に即座の対応ができない。無論、両翼の先端にあるものは何が起こっているのか理解もおぼつかない。


 サチは無人の野を行くがごとく大将旗に迫った。あわてたのは悠然と戦況を眺めていたミクケルである。


 不意に訪れた危機(アヨール)にすっかり動転して、わけのわからぬ叫び声を挙げると一散に馬首を(めぐ)らそうとする。近侍するシャギチがあわてて手綱(デロア)を抑えなければ、兵を置いて独り駆け去ったであろう狼狽ぶり。


「誰か! 賊を撃て! 誰か!」


 チンサンが大声を挙げたが、大軍の悲しさかどの部隊もすぐに返すことがかなわない。クルドが何やら指示を出したが、いたずらに混乱を招くばかり。我が返るのか、彼が行くのか、あちらこちらで右往左往する有様。


 そもそもよく統制された軍でさえ数が多ければ動きは鈍るもの、それでいながら将の動揺だけは数に反比例してすばやく伝わると決まっている。


 大将旗がふらふらと揺れ、指揮が混乱したことによってたちまち隊伍(ヂェルゲ)は乱れ、将兵は恐慌に(おちい)った。特に遠く離れた部隊ほど、何が起こったか判然としないだけに激しく動揺した。


 ササカ、ヨツチも状況が見えないのは同じであったが、優れた将領である二将が敵の混乱を見逃すはずがなかった。(フル)の止まった騎兵ほど役に立たないものはない。ササカらは快足を飛ばして接近(カルク)すると、動かざる敵軍に散々に矢を浴びせる。


 サチは大将旗だけを見据えてひたすら進む。たかが三百騎の小勢なるも、さながら雷のごとく(いかずち)のごとくミクケルに肉薄する。


「討ち損じたら、そのときは(アミン)をくれてやろう」


 内心壮絶な決意を秘めていたが、表情はやはりいつもと変わらない。幾人かがばらばらと立ち(ふさ)がったが、一刀の下に斬り下げられる。サチの足はいささかも衰えない。


 そのころやっとフワヨウが兵をまとめてサチを追いはじめた。虚を衝かれたフワヨウは、怒り(アウルラアス)心頭に発していた。


小娘(オキン)め、この機を狙っていたとは恐るべき奴! しかし思うとおりにはさせぬ!」


 手勢は千五百騎ほどだったが、背後から三百騎を襲うには十分すぎる数である。

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