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草原演義  作者: 秋田大介
巻五
296/785

第七 四回 ④

花貌豹雪を払ってミクケルの営を焼き

蒼鷹娘風を破ってボロウルの肘を射る

 緒戦に利を得なかったことにミクケルはおおいに憤慨し、命じて言うには、


「全軍挙げて猛進せよ!」


 すなわちカンを守護するべき侍衛軍(トゥルガグ)も、後軍(ゲヂゲレウル)も一人余さず投入せよという(カラ)にほかならず、これにはさすがの四姦(ドルベン・クラガイ)(チフ)を疑ったが、ミクケルの憤激は凄まじく結局諫止するものはなかった。


 応じて全軍は台地の東方四十里にて集結し、一団となって進撃を開始した。それはすぐさまサチらの知るところとなり、中軍(イェケ・ゴル)へ報告された。ボッチギンは驚いた様子もなく言うには、


「花貌豹らは、十里退いてそこを死守せよ。その線を半日保てば、あとはこちらに考えがある」


 そしてヨツチを呼ぶと、


「ミクケルが不退転の決意で攻めてくるそうだ。君は麾下の兵を率いて花貌豹を援けよ」


 急火箭はおおいに喜んで勇躍(ブレドゥ)して去る。次いでシンとタクカを招いて言うには、


「貴軍の迅速(クルドゥン)を見せてもらうぞ」


 麒麟児は(ニドゥ)を輝かせて、


「おお、ということは例の策を為すときが来たのだな」


いかにも(ヂェー)。存分に(ブルガ)命運(ヂヤー)を制するがいい」


 ネサクの精兵三千が発ち、中軍も十里ほど前進して改めて陣を張った。()()()がいかなるものかは、いずれ明らかになること。


 ミクケルの総攻撃を支えるのはダマン軍千騎(ミンガン)を加えた六千騎である。ヨツチを迎えたササカは、切れ長の目をさらに吊り上げて、


「敵は三倍の兵を擁してくるのよ! それを半日喰い止めろなんて無理だわ。渾沌郎君は私たちを殺す(アラハ)気?」


 喜び勇んで到着するや否や、凄い勢いで怒鳴られたヨツチは身を縮めて、


「お、俺に言われても知らぬわ。考えがあるとは言っていたが……」


「考えって何よ!! 命令自体がおかしいでしょ! アサンが何か言わなかった?」


 あわてて考える風であったが、やがて首を振ると、


「……いや(ブルウ)、何も。その場にはいたはずだがなあ」


「しっかりしてよ! 亜喪神だって来るのよ。半日なんて無理に決まってるわ」


 ササカは苛立って怒鳴り散らしたが、まことに美人(ゴア)怒り(アウルラアス)ほど恐ろしいものはない。さしもの急火箭も首を(すく)めて(ボロアン)が過ぎるのを待つばかり。見かねたサチが(ようや)く重い(アマン)を開いて言うには、


「しかたあるまい。渾沌郎君が考えがあると言った以上、信じてこの(ガヂャル)を死守するほかない」


 ヨツチがほっとした(ヌル)で頷く。ササカはなおも下唇を噛んでいたが、やがて首を振ると言った。


若い娘(ヂャラウ・オキン)をこんな危ない目に遭わせて……。あとでたっぷり抗議してやるわ」


生きて(オスチュ)帰れたらな」


 サチは呟いたが、幸い余のものには聞こえなかった。四人はすぐに迎撃のために布陣した。中央(オルゴル)に花貌豹サチが、左翼(ヂェウン・ガル)蒼鷹娘(ボルテ・シバウン)ササカが、右翼(バラウン・ガル)に急火箭ヨツチが、後衛に娃白貂(あいはくちょう)クミフが配置された。


 そこへ濛々と土煙を巻き上げてミクケル率いる二万騎が押し寄せた。まさに地を圧する勢いで、砂嵐をものともせず駆けてくる。先頭には例によって猛将(バアトル)ムカリの姿(カラア)がある。近衛大将フワヨウがそれに続く。


 陣頭に立つサチが望見してひと言、


「来たか」


 そう呟くと、矢を放つ頃合いを計る。敵兵は躊躇なく突撃してくる。じりじりと緊張感が高まっていく。たまらず弓を引き絞った兵卒をサチは低い、しかしよく通る(ダウン)で制した。


「まだだ」


 地を揺るがすほどの大軍を目前にしても、泰然自若として動かない。まるでそもそも敵兵などいないかのごとく涼しい顔で佇立している。右翼のヨツチなどは今にも飛び出しそうになるのをぐっと堪えている。


 すでに敵は指呼の間に迫り、馬蹄(トゥル)の響きは耳を圧し、敵騎の顔まで識別できるほどになった。(ようや)くサチはゆっくりと(ガル)にした(ヂダ)を掲げる。そして、


「撃て!」


 短く叫ぶや、さっと振り下ろす。その瞬間を待ちに待ったサチ軍の矢が一斉に放たれる。矢は(クラ)となり、唸りを挙げて両軍の間を埋め尽くし、突っ込んできた敵の前列を薙ぎ倒す。


「次!」


 間髪入れず叫べば、応じて二の矢が敵を襲う。そうして立て続けに五の矢まで撃ち込んだところで、ついに敵の足が止まる。それを見て、


「突撃!」


 朱塗りの槍を掲げて馬腹を蹴り、自ら先頭に立って強大な敵へと突っ込んでいく。勇を奮い起こされた六千騎が喊声を挙げてこれに続く。


「ここが勝敗の岐路と心得よ!」


 かくして壮絶な戦闘(カドクルドゥアン)が始まった。サチ軍六千に対して敵はおよそ三倍。ここで半日踏み止まらねば、勝利はおぼつかない。


 強固な意志(オロ)と卓抜した用兵をふたつながらに要する難しい(ソオル)である。忍耐を要する策戦は花貌豹のもとより得手とするところなれど、これはまさに身命を賭した大勝負。ミクケルもあとがないこととて必死である。果たして両雄の衝突はいかなる決着を見るか。それは次回で。

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