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草原演義  作者: 秋田大介
巻五
294/785

第七 四回 ②

花貌豹雪を払ってミクケルの営を焼き

蒼鷹娘風を破ってボロウルの肘を射る

 ともかくミクケルはこの襲撃によって甚大な損失を(こうむ)った。何よりも人心の離反(カガチャクイ)が進んだことが大きかった。このあと逃亡(オロア)が多発することになる。


 彼らは一様にカントゥカに投ずるべく走った。冬営(オブルヂャー)を焼いたことは怨むべきだが、何より強い庇護を求める草原(ミノウル)の民にとって、カントゥカはミクケルより(たの)みとするべき(エヂェン)に見えた。


 ボッチギンはそこまで計算していたわけではなかったが、この策戦は果たしてそういう効果を生んだのである。


 奇襲を受けたミクケルは卒倒せんばかりに怒った。以後、周囲を厳重に警戒したが、当然二度も同じ策が繰り返されるわけもなく、いたずらに士卒の負担を増やしただけであった。


 また報復しようとカントゥカの冬営を探るよう命じたりもしたが、これはみなが(こぞ)って反対したので実現しなかった。例年と同じ冬営地を選んだミクケルとは異なり、どこにいるかも判らぬ(ブルガ)(もと)めて兵を送るのは無謀だったからである。


 かくしてミクケルは打つ手もないまま不安と焦燥のうちに(オブル)を越えたが、くどくどしい話は抜きにする。




 (ハバル)になった。メンドゥ(ムレン)も氷塊を漂わせながら流れはじめた。


 しかし漠土(エレド)に近い西原の春は、(ヂェウン)のそれと比べて厳しい季節であることは冬以上と言っても過言ではない。西域(ハラ・ガヂャル)の漠土から、強烈な(サルヒ)に乗って砂塵が運ばれ、吹き荒れるのである。


 その凄まじさたるや筆舌に尽くしがたく、備えもなく戸外に出ればたちまち(ニドゥ)(ハマル)(ホオライ)をやられることになる。


 メンドゥ以東では風も砂塵もこれほどではない。かつてミクケルがヒスワの誘い(スドゥルゲン)に乗って東征に及んだ要因のひとつには、砂嵐のない土地(コソル)を手に入れたいという思いもあったであろう。


 さらに(ナマル)に蓄えた越冬用の糧食(イヂェ)尽きる(エチュルテレ)のも春であった。特に一度冬営を焼かれたミクケルのアイルは、その欠乏に苦しめられた。やむなく痩せた軍馬(アクタ)を屠殺して飢えを(しの)いだ。


 一方、カントゥカらは少なからず楽に春を迎えることができた。ドゥルガド台地の西(バラウン)(そび)えるドルベン・ウルに遮られて、砂塵の害が軽減されたからである。すべては知世郎の知識の賜物(アブリガ)であった。


 両陣営にとって春の到来はその過酷さにおいてこれほどの差があったが、とりあえず(ツァサン)が溶けたことで再び事態は動きはじめる。


 ミクケルは斥候隊(カラウルスン)を送ってカントゥカの所在を(もと)めたが、その活動は難渋を極めた。というのも砂嵐に向かって進むことになるからである。


 それでも何とかドゥルガド台地に彼らが集結していることを突き止めた。とはいえ、カントゥカたちはドゥルガド台地での決戦を欲しているため、所在を隠すどころかそれを知らしめようとしていたのではあったが。


 案の定、ミクケルは勅命(ヂャルリク)を下して言った。


「即日、軍を興して叛徒(ブルガ)を討つべし」


 ツォトン以下、みなこれを諫めたが聞く(チフ)もあらばこそ、怒り(アウルラアス)に燃えて出師を決してしまった。応じて全軍が動員されたが、その数は二万騎にも満たない。また冬の間に馬は痩せ、兵は疲れていた。


 しかしミクケルは、


「馬が痩せているのは敵も同じではないか。大カンの威信において、かの叛徒を放置しておくことはできぬ」


 とて反論を封じた。


 先鋒(ウトゥラヂュ)には亜喪神ムカリと醜面亀ボロウルが任じられた。この「忠実(シドゥルグ)なるカンの猟犬(ハサル)」たちは、先のイシでの汚名を返上しようと勇躍(ブレドゥ)して先行した。


 以下、ツォトン、フワヨウ、チンサン、ジャル、クルドといった将も残らず従軍した。砂塵吹きつける中、その軍勢は苦労しながら西征の途に就いた。


 それはすぐにカントゥカらの知るところとなった。斥候を放って動向を探っていたのももちろんだが、北辺を守る牙狼将軍(チノス・シドゥ)カムカが、真っ先にそれを察知したためである。カムカはそれとともに恐るべき報をもたらした。


「砂塵の季節のうちに(ソオル)を終わらせよ。(ゾン)までに乱が収束しなければ、クル・ジョルチ部が南下してくる恐れがある」


 というもの。これはカントゥカらを戦慄させた。クル・ジョルチ部(注1)は以前に述べたとおりジョルチ部から分かれた部族(ヤスタン)で、ウリャンハタの北方に牧して(アドゥウラヂュ)いる。カムカはその抑えたるべくカントゥカに代わって北辺を守っている。


 カントゥカは諸将を集めて言った。


「この一戦でミクケルを討たねば、我らの人衆(ウルス)はことごとくクル・ジョルチの奴隷(ボオル)となろう」


 それはもとより誰もが承知していること。冬の間に迎撃する策は十二分に練られている。早速全軍が動員された。やはり二万騎足らずである。前軍(アルギンチ)を率いるはカオエン氏の誇る女将軍、花貌豹サチ。以下、一帯に予定どおり布陣する。


 諸将は総じて十三人。すなわち、カントゥカ、アサン、ヒラト、サチ、シン・セク、タクカ、ボッチギン、タケチャク、ササカ、ガネイ、クミフ、クメン、ヨツチの錚々(そうそう)たる面々。


 さらにイシとカムタイに急使(グユクチ)が送られた。応じてすぐに別働隊が編成される。併せて一万騎(トゥメン)。将領はすなわち、チルゲイ、カトメイ、スク・ベク、チャオ、ミヤーンの五名。


 留守としてイシにはカコ、イェシノル、ヤムルノイが、カムタイにはクニメイが残った。


 決戦が始まろうとしていた。形勢は待ち構えるカントゥカが有利であったが、新たに北方の脅威が現出し、単に勝つだけではやはり部族(ヤスタン)を滅ぼしかねない。一戦にて敵を撃滅することが求められる。双城の兵を動かしたのはそのためである。

(注1)【クル・ジョルチ部】ジョルチ部から分かれた経緯については、第 一 回④参照。

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