第七 四回 ①
花貌豹雪を払ってミクケルの営を焼き
蒼鷹娘風を破ってボロウルの肘を射る
ミクケルは、シルドゥ平原での勝利に乗じて二方面に軍を派遣したが、イシを攻めた猟犬二将は、竜騎士カトメイと一角虎スク・ベクに追われ、西方に向かったフワヨウはガルチェン高原で衛天王カントゥカに敗れた。
ともに壊滅に近い大敗で、その兵力は大幅に減少した。ミクケルは激怒して、側近を鞭打ち、従臣を罵った。敗北を喫した将軍は、拝謁も許されずに謹慎を命じられる。処刑を免れたのは、単に彼らに代わる有能な将軍がいなかったからに過ぎない。
さて、敗報が届いた日から雪が降りはじめた。
例年に比べて遅い初雪であったが、ウリャンハタの人衆は内乱により冬の備えが遅れていたため、数多の家畜を失った。それもまたミクケルを苛立たせる一因となった。
一方のカントゥカたちも大急ぎで冬営に入った。僅かなりとも恵まれていたのは、その陣を置いた地、すなわちドゥルガド台地が寒気を避けるのに最適だったことである。
もちろんかの地を推した知世郎タクカが、そこまで考慮していたのである。諸将がおおいに感謝したのは言うまでもない。
ミクケルは多大な損失を顧みる余裕もなくあわてて移動して、何とか冬営地に辿り着くことはできた。全軍は疲弊し、倒れた軍馬、兵士は数えきれなかった。
ミクケルのオルドはほかの人衆のゲルのごとく解体して持ち運ぶものではなく、そのまま車に載せて移動できたので、やや快適に道中を過ごすことができた。
人衆はそれを見て当然のごとく深い恨みを抱いた。大カンは家畜と財産の庇護者であるべきだったが、今のミクケルはその責務すら一顧だにしなかった。
そうこうするうちに年は改まり、蛇の年となった。カントゥカたちはドゥルガド台地で英気を養い、イシとカムタイではささやかながら正月を祝う祭祀が催された。
この間、草原は大地は凍り、烈風が吹き荒れる酷寒の中にあった。よってすべての兵事は停止されたかのように思われた。しかし実はそうではない。
カントゥカが渾沌郎君ボッチギンの献策に順って、密かに兵を動かしたのである。その数、二千。完全な防寒を施してミクケルの冬営に向かわせる。主将は花貌豹サチ。これに地理に詳しいタクカを同行させた。
サチ率いる二千騎は、雪と氷に覆われた大地を長躯して敵営を目指した。天候の悪い日は宿営して収まるのをじっと待った。サチはこうした忍耐を要する策戦に向いていた。
そうしてついに察知されることなく敵営の背後に達した。放った斥候がいずれも言うには、
「タクカ様の予想のとおり、敵は狭隘の地に固まってゲルを並べています。我らの侵攻に気づいた様子はありません」
これを聞いたサチは表情を変えることもなく、
「知世郎、うまくいきそうだ」
いかにも暢気な調子で答えて、
「渾沌郎も恐ろしいことを考える。まったく敵じゃなくてよかったよ」
頷くと、無言で合図を下す。応じて二千騎がやはり音もなく進撃を開始する。手には弓を携えている。ボッチギンの示した策とはすなわち、
「敵の冬営を焼き払い、冬の猛威をしてこれを攻撃せしめる」
という峻烈なものであった。無論、それを実施するため当日の天候には十分の配慮がなされた。雪が止み、空気が乾燥した強風の日が望まれたが、その日はまさにすべての条件が揃っていた。
二千騎は手に手に火矢をつがえて突入した。駆け抜けつつ四方八方にそれが放たれる。矢はゲルを貫き、風に煽られた火は瞬く間に燃え広がった。さらに食糧を集積していある地下壕を発見したので、これも中に火を投じて焼き払った。
突然の敵襲と火災に驚いて飛び出したものはことごとく刀槍の下に倒れた。サチ軍は駆け回って大暴れすると、燃え盛る炎を背にすばやく去った。
ミクケル軍の将兵は為す術もなくこれを見送った。というより鎮火が最優先で、追撃どころではなかったのである。
「かわいそうに」
帰路、サチが呟いた。聞き咎めたタクカが意外そうに言った。
「何だ、花貌豹でもそんな感慨を抱くのか」
「人衆が苦しむ」
これにはタクカは言葉を失って俯く。




