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草原演義  作者: 秋田大介
巻五
287/785

第七 二回 ③

カントゥカ死地を脱して天護の賛を受け

カコ・コバル東城を(まも)りて猟犬の鋭を(くじ)

 いざカトメイに会ってみれば、その変わり果てた様子に好漢(エレ)たちは等しく息を呑んだ。(ハツァル)()け、(ニドゥ)は窪み、青白い(ヌル)()している。


 チルゲイが来意を告げたが、小さく頷いたきり顔を(そむ)けてしまった。みな言葉(ウゲ)を失って、思わず顔を見合わせる。チャオが悲しげな顔で言うには、


「先日来あの調子で、食事もあまり()らぬ」


「とりあえず飯は食わないとなあ……」


 僅かにミヤーンが呟く。チルゲイが面を伏せつつ遠慮がちに言うには、


「心痛察するに余りあるが、彼我に陣営が分かれてしまったからには、互いに(クチ)を尽くすのはやむをえまい。こういうことが起こりうるとは最初から解っていただろう……」


 語尾は消え入るほどになっていたが、カコが(フムスグ)(ひそ)めて、


「解っていたからこそ苦しんでいるのではありませんか。今の言葉は酷というものです」


 小声で(たしな)めれば言葉もない。ともかく辞去することにしたが、去り際にチルゲイが言った。


「私とミヤーンはカムタイに寄ってから草原(ケエル)に帰る。イシには雪花姫(ツァサン・ツェツェク)を残していくから、あとはよろしく(たの)むぞ」


 寝台(オル)に向かって言ったが、反応もない。溜息を漏らしつつその場をあとにしたが、この話はここまでにする。




 ミクケルはシルドゥ平原で快勝したあと、


「ツォトンがなければわしは孤児(オノチ)のごとく南原を徘徊していただろう」


 そう言ってこれを激賞した。またフワヨウも奮戦が認められて先の失態を許された。ひとつにはその甥のシャギチが退却を諫めた功もあっただろう。


 猛将(バアトル)の遺児、ムカリとボロウルに対しては、


忠実なる猟犬(シドゥルグ・ハサル)


 と呼んで、これを(たた)えた。


 一度は叛した小氏族(オノル)も、陸続と使者を送って戦勝を祝賀した。ウリャンハタの版図(ネウリド)は、再びミクケルの威勢が覆わんとしているかのようであった。


 四姦(ドルベン・クラガイ)の一人ジャルは、斥候(カラウルスン)を放ってカントゥカの行方を探索させたが、


「西方に去り、所在明らかならず」


 との報を受けると進言して、


叛徒(ブルガ)は逃げ去ったようです。大カンに祝辞(ウチウリ)を奉ります」


 傍ら(デルゲ)からチンサンが言った。


「今や大カンの威光は旧のごとくあまねく大地(エトゥゲン)を覆っております。イシ、カムタイの双城もひと声で、(ウヴス)(サルヒ)に伏すように(エウデン)を開くでしょう。逃げた賊徒に対しては一将に精兵を預けて追わしめればよろしいかと思われます」


 イギタ氏のクルドも賀を述べつつ、


「賊徒にはすでに反抗する力もありますまい。逃走(オロア)するうちに兵は減り、糧食(イヂェ)にも事欠いておりましょう。彼奴らは今ごろ、大カンに逆らった己の暗愚を呪っていることでしょう」


 ミクケルは満悦すると、フワヨウに一万騎(トゥメン)を与えて残敵を掃討するべく西方に派した。


 またムカリ、ボロウルに五千騎を授けて双城の接収を命じた。ミクケルは奸臣の言葉を(ごう)も疑うことなく、それだけで双城を奪還できると信じていたのである。大カンの猟犬(ハサル)は、勇躍(ブレドゥ)して即日出陣した。


 五千騎が迫りつつあることは、すぐにイシに知られるところとなったが、もとより二頭の猟犬は抵抗されるなどとは思っていなかった。チンサンの言葉どおり、すぐに門は開かれると(たか)(くく)っていたのである。


 さて報告を受けたチャオは、カコ、イェシノル、ヤムルノイと(はか)って、カムタイに急使(グユクチ)を送る一方、防戦の準備に着手した。このときチルゲイとミヤーンはすでにカムタイへと向かっていた。


「雪花姫殿、カトメイにこのことは教えるべきだろうか」


 チャオが問えば、


「イシの知事(ダルガチ)はカトメイ殿です」


とだけ答える。


 チャオは感心して、イェシノルをカトメイのもとへ()った。カトメイは報告を受けてはっと上体を起こしかけたが、またすぐに横になる。それでも尋ねて、


「敵の主将は誰か」


 弱々しい(ダウン)で言えば、答えて言うには、


「おそらくはムカリとボロウルの二将」


「そうか」


 短く言ったが、その表情にはどこか安堵の色が浮かんでいるように見えた。イェシノルはその意を量りかねて問う。


「いかがいたしましょう」


 するとカトメイが何と答えたかといえば、


「雪花姫に(まか)せる」


 イェシノルはやむなくそれを(カラ)として帰ったが、カコは白い頬を上気させると珍しく怒気を(はら)んだ声で、


「しかたありませんね。城門を閉ざして奇人殿を待ちましょう」


 そう言ってチャオとともに籠城の準備に奔走した。チャオがまたも感心したことには、雪花姫カコは鉄鞭(テムル・タショウル)のアネクなどとは異なり、武に長じた女傑ではないにも関わらず、敵襲を前にしていささかも動じることなく諸事に冷静であった。


 まがりなりにも従軍経験のあるチャオよりも沈着かつ豪胆(スルステイ)であり、イシの官兵もことごとくこれを信頼(イトゥゲルテン)して敵を待つに至った。おおいに敬服して思うに、


「なるほど、カトメイが(まか)せると言うのも当然だ。武のある人ではないが、まことに勇ある人だ」

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