第七 二回 ②
カントゥカ死地を脱して天護の賛を受け
カコ・コバル東城を衛りて猟犬の鋭を挫く
初めに口を開いたのはやはりアサン・セチェン。言うには、
「我らはウラスス平原で得た有利を一戦にして失いました。というのも敵の手を読むことができずに遅れを取ったからです。……しかし」
なおも言葉を続けて、
「今なおイシ、カムタイの双城は我が手のうちにあり、北には牙狼将軍カムカが精兵を保持しています。対するミクケルはシルドゥに勝利を治めたとはいえ、擁するのは新たにウラカン軍を加えても二万騎を僅かに超えるばかりです。つまり互いに一勝一負して勝負はこれからということです」
満座の好漢はじっと耳を傾けている。
「小氏族が去ったことでみな気落ちしているようですが、彼らは実際には役には立ちません。最終的に勝てば帰服するものどもです。それはミクケルにとっても同じこと。すなわちもとより度外視してかかるべきで、我に附こうが彼に靡こうが、かまうことはありません。これをもってこれを覩れば、彼我の兵力は同等です。あとは戦略の優劣が問われるでしょう」
ヒラトが口を挟んで言った。
「アサンの言うとおりだが、具体的にはいかにすればよい?」
「戦においては、まず敗因を極力減らすことから始めねばなりません。これを兵法では『まず勝つべからざるを為す』と謂います。そのあとで『敵の勝つべきを待つ』のです。そのために南原に牧している雪花姫に急使を送って、そのアイルを移動させなければなりません。ミクケルがその在所を知れば、必ずこれを襲うでしょうから」
それを聞いて諸将は戦慄した。雪花姫カコの預かるアイルが襲われれば、多くの家畜と家族を一瞬に失うのである。
「イシに逃れさせると良いでしょう」
麒麟児シンが言うには、
「それはもっともだが、カトメイにイシ軍を出させてはどうだろう。その一万騎があれば、我らは数の上で優勢になるではないか」
アサンは莞爾と笑うと、ゆっくり首を振って、
「それはよろしくありません。カトメイにはイシを堅く守ってもらいます。そのほうがミクケルを圧迫するはずです。イシを空ければ、ミクケルに退路を与えることになりかねません。……それにカトメイも、実父と兵を合わせることは躊躇うでしょう」
そう言われれば反論の余地もない。さらにアサンは続けて、
「現有の兵力で確実に敵を破るには地の利を得るほかありません。兵力はほぼ互角、また敵に亜喪神、醜面亀という二人の猛将がいることも判りました。是非とも有利な地勢に敵を誘い込まねばなりません」
ヨツチが勢い込んで尋ねた。
「それはどこだ?」
「地勢については私より知世郎が詳しい。どこか良い土地はありますか?」
問われたタクカはしばし考え込んでいたが、やがて口を開くと、
「西原はもとより平原が多く、絶対に有利な地勢というのは少ない。ウラススは格好の地であったが、敵も二度は来るまい。となると……」
諸将はじっと次の言葉を待つ。タクカはふと顔を上げると、
「ひとつある。遠く西方だが、平原の尽きるところに大山があって名をドルベン・ウルと云う。その周囲に広がるドゥルガド台地こそ、アサンの言に近い」
これを聞いてみな愁眉を開き、あとはそこにミクケルを誘うべく策戦が練られた。万事定まると、カントゥカはチルゲイにカコへの使者となることを命じた。例によってミヤーンと行をともにして、そのままイシへ入ることになった。ほかの諸将は直ちに兵をまとめて翌日には何処へともなく去った。
チルゲイとミヤーンは一散に駆けて、カオエンに雪花姫カコを訪ねた。シルドゥの敗戦を噂に聞いて憂えていたカコは、チルゲイの来訪をおおいに喜んだ。
その白き頬は心労のために幾分痩せていたが、清楚な美しさは以前のままで、二人を迎えるとまず諸将の安否を気遣った。みな無事なことを知ると漸く安堵して酒食を供した。アサンの言葉を伝えると、ふと顔を曇らせて、
「イシに難を避けよということは、戦況は思わしくないのですか」
「いや、念のためにということだ。街の暮らしは慣れぬだろうが、少しの間の辛抱だ。来年の春には平和になっているだろうさ」
殊更に陽気を装って言ったが、元来慧敏なカコは険しい顔のままで、
「だとよいのですが……」
呟いてそっと胸を押さえる。ともかく翌朝からカコの指揮で、瞬く間にアイルを畳んで出発した。ミヤーンが嚮導として先頭に立ち、カコ、チルゲイと続く。
幸い道中は格別のこともなくイシに辿り着くと、城外に家畜や人衆を留めて三人で門前に立った。門を衛るヤムルノイがすぐに気づいて、大喜びで出迎える。知らせを受けたチャオ、イェシノルも駆けつけて、カコと挨拶を交わす。
チルゲイは真っ先にカトメイの様子を尋ねた。チャオが答えて、
「叛乱軍の敗退を聞いて鬱屈として楽しまず、ずっと臥せっている」
おおいに憂えると家畜や人衆のことをイェシノルに託し、カコたちを連れてカトメイのもとへ赴く。




