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草原演義  作者: 秋田大介
巻五
280/785

第七 〇回 ④

カントゥカ奇人の報に接して戦地を定め

シン・セク豪勇の衆を率いて奸臣と争う

 サチは手勢とともに脇目も振らず敵陣の一角に突き入った。ネサクとの攻防に追われていた近衛軍(ケシクテン)は途端に浮足立つ。


 サチが無言で(ヂダ)を繰り出せば、誰も止めることができない。スンワ軍は男装の女将軍を先頭に一直線に斬り進んでいく。(ブルガ)戦列(ヂェルゲ)は、さながら衣の糸を抜いたように崩れていく。


 望見したチルゲイは感心して、


「見事なものだ。魔術(エルベス)でも見ているようだ」


 ガネイも興奮して、


「ねえ、すごいね!」


 アサンが涼しい(ヌル)で答えて言った。


「それが用兵というもの。さあ、渾沌郎君。敵も無知ではない。後続が来ますよ」


 指差すほうを見れば、イギタ氏の(トグ)を掲げた一隊が繰り出してくる。


「もとより承知。急火箭を前へ」


 再び金鼓が鳴り響き、ダマン軍二千が凄まじい勢いで飛び出す。それもそのはず、主将のヨツチは、戦う(アヤラクイ)ときをもっとも待ち望んでいた好漢(エレ)である。朴刀を頭上で旋回させつつ、わっと喊声を挙げて突撃する。


 花貌豹サチの突入で八方破れの有様だった近衛軍は、ダマン軍によって完全(ブドゥン)に戦意を喪失した。ヨツチはこれまでの鬱憤を晴らすべく鬼神(チュトグル)のごときはたらきで戦場を駆け回る。


 シン・セクと激闘を繰り広げていたフワヨウは、はっと我に返ると辺りを見回して顔色を変えた。


「いかん! 麒麟児の相手をしている場合ではない」


 悟るや否や、渾身の一撃を繰り出してさっと馬首を(めぐ)らせる。


「待て、卑怯者! 逃げるか!」


 シンは(フムスグ)を吊り上げて怒ると、手綱(デロア)を握ってこれを追う。フワヨウは必死に駆けたが、黒亜騏(こくあき)を振りきることができない。周囲の近衛兵(ケシク)がシンを止めようと群がったが、瞬く間(トゥルバス)に斬り捨てられる。


 背後に麒麟児の脅威が迫っていては、さすがのフワヨウも兵をまとめるどころではない。ミクケルの誇る一万(トゥメン)の近衛軍は、今や先を争って背走(オロア)に転じる。援護(トゥサ)に来たイギタ軍も、その波に呑み込まれて思うように動けない。


 フワヨウはぎりぎりと歯噛みしつつも逃げるほかない。シン・セクはひたすら追ってくる。


「奸臣、どこへ行く」


 驚いて(ダウン)がしたほうを見れば、細身の武将が立ちはだかっている。


「私はカオエンの花貌豹サチ。(アミン)を貰うぞ」


 フワヨウはふと思い当たって、


「ははあ、お前か。男装の女将軍とやらは。退()け、小娘(オキン)! 痛い目を見るぞ」


 凄んでみせたがサチは臆する気配もない。フワヨウはおおいに怒って戟を構えると、一撃にて(ほふ)ってくれんと打ちかかったが、サチはひらりと身を(かわ)す。狙いが外れて馬上に平衡を失いかけたところに、強烈な突きが飛んでくる。


「わわわっ!」


 紙一重でこれを避けると、内心思うに、


「小娘の遊戯かと侮っていたが、恐ろしく腕の立つ将だ。麒麟児一人でも持て余しているというのに、こんな奴の相手はできん」


 そこでやはり馬首を(めぐ)らせる。


「女に(ノロウ)を向けるか!」


 罵声が飛んだが無視して駆ける。と、そこへまた一人の将が現れると、


「急火箭の怒り(アウルラアス)を受けてみよ!」


 猛然と朴刀で打ちかかってくる。これも何とか(かわ)して、また別の方向へ転じる。かくして麒麟児、花貌豹、急火箭に追われて、フワヨウは自軍の中を逃げ惑う。それを見て、何とか踏み止まっていたものも逃げ散った。


 そのころ本陣ではカントゥカが最後の命令(カラ)を下そうとしていた。言うには、


「敵の前軍(アルギンチ)は崩れた。今こそ全軍をもって、奔流(キヤト)のごとく敵を押し流せ」


 一斉に金鼓が鳴らされる。待機していた中軍(イェケ・ゴル)六千騎が負けじと大喊声を挙げた。ついにカントゥカ自ら先頭に立ち、どっと繰り出す。


 その得物は言うまでもなく二丁の戦斧。それを左右に大きく広げて馬上に傲然と敵を睨み据える。そのまま乱戦の中に分け入れば、敵兵は彼の魁偉な風貌(ガタル)(ニドゥ)にしただけで悲鳴を挙げて遁走する。


 不運にも逃げ遅れたものは、ひゅっと(サルヒ)を切る音が鳴ったかと思えば、いとも容易(たやす)く首を飛ばされる。猛勇(カタンギン)は当たるべきものなく、通るところ屍の山(ウクレン・アウラ)が築かれる。


 後軍(ゲヂゲレウル)のカオエン軍も動きだした。先頭に立つのは蒼鷹娘(ボルテ・シバウン)ササカ、七千騎が一丸となって突っ込めば、無論支えるべくもなく、(ソオル)は一方的な追撃戦となる。


 近衛軍は制止の声も振りきって敗走する。その先にはミクケルの中軍五千騎があり、左右をシモウル、ウランダンなどの兵が固めていたが、後退してくる友軍(イル)に巻き込まれて上下の別も判らなくなる。


 それはまさしく左は右を救うあたわず、右は左を(たす)けるあたわず、上は下を罵り、下は上を怨むといったところ。


 悲鳴と怒号が入り乱れ、(たの)みの諸将も己の命が大事とばかりに次々と戦列を離れる。叛乱軍の猛攻は激流のごとく、(オトグス)の名将といえどもここに至っては為す術もない。さて非道の(エルキム)ミクケル・カンはいかなる手を講ずるか。それは次回で。

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