第七 〇回 ④
カントゥカ奇人の報に接して戦地を定め
シン・セク豪勇の衆を率いて奸臣と争う
サチは手勢とともに脇目も振らず敵陣の一角に突き入った。ネサクとの攻防に追われていた近衛軍は途端に浮足立つ。
サチが無言で槍を繰り出せば、誰も止めることができない。スンワ軍は男装の女将軍を先頭に一直線に斬り進んでいく。敵の戦列は、さながら衣の糸を抜いたように崩れていく。
望見したチルゲイは感心して、
「見事なものだ。魔術でも見ているようだ」
ガネイも興奮して、
「ねえ、すごいね!」
アサンが涼しい顔で答えて言った。
「それが用兵というもの。さあ、渾沌郎君。敵も無知ではない。後続が来ますよ」
指差すほうを見れば、イギタ氏の旗を掲げた一隊が繰り出してくる。
「もとより承知。急火箭を前へ」
再び金鼓が鳴り響き、ダマン軍二千が凄まじい勢いで飛び出す。それもそのはず、主将のヨツチは、戦うときをもっとも待ち望んでいた好漢である。朴刀を頭上で旋回させつつ、わっと喊声を挙げて突撃する。
花貌豹サチの突入で八方破れの有様だった近衛軍は、ダマン軍によって完全に戦意を喪失した。ヨツチはこれまでの鬱憤を晴らすべく鬼神のごときはたらきで戦場を駆け回る。
シン・セクと激闘を繰り広げていたフワヨウは、はっと我に返ると辺りを見回して顔色を変えた。
「いかん! 麒麟児の相手をしている場合ではない」
悟るや否や、渾身の一撃を繰り出してさっと馬首を廻らせる。
「待て、卑怯者! 逃げるか!」
シンは眉を吊り上げて怒ると、手綱を握ってこれを追う。フワヨウは必死に駆けたが、黒亜騏を振りきることができない。周囲の近衛兵がシンを止めようと群がったが、瞬く間に斬り捨てられる。
背後に麒麟児の脅威が迫っていては、さすがのフワヨウも兵をまとめるどころではない。ミクケルの誇る一万の近衛軍は、今や先を争って背走に転じる。援護に来たイギタ軍も、その波に呑み込まれて思うように動けない。
フワヨウはぎりぎりと歯噛みしつつも逃げるほかない。シン・セクはひたすら追ってくる。
「奸臣、どこへ行く」
驚いて声がしたほうを見れば、細身の武将が立ちはだかっている。
「私はカオエンの花貌豹サチ。命を貰うぞ」
フワヨウはふと思い当たって、
「ははあ、お前か。男装の女将軍とやらは。退け、小娘! 痛い目を見るぞ」
凄んでみせたがサチは臆する気配もない。フワヨウはおおいに怒って戟を構えると、一撃にて屠ってくれんと打ちかかったが、サチはひらりと身を躱す。狙いが外れて馬上に平衡を失いかけたところに、強烈な突きが飛んでくる。
「わわわっ!」
紙一重でこれを避けると、内心思うに、
「小娘の遊戯かと侮っていたが、恐ろしく腕の立つ将だ。麒麟児一人でも持て余しているというのに、こんな奴の相手はできん」
そこでやはり馬首を廻らせる。
「女に背を向けるか!」
罵声が飛んだが無視して駆ける。と、そこへまた一人の将が現れると、
「急火箭の怒りを受けてみよ!」
猛然と朴刀で打ちかかってくる。これも何とか躱して、また別の方向へ転じる。かくして麒麟児、花貌豹、急火箭に追われて、フワヨウは自軍の中を逃げ惑う。それを見て、何とか踏み止まっていたものも逃げ散った。
そのころ本陣ではカントゥカが最後の命令を下そうとしていた。言うには、
「敵の前軍は崩れた。今こそ全軍をもって、奔流のごとく敵を押し流せ」
一斉に金鼓が鳴らされる。待機していた中軍六千騎が負けじと大喊声を挙げた。ついにカントゥカ自ら先頭に立ち、どっと繰り出す。
その得物は言うまでもなく二丁の戦斧。それを左右に大きく広げて馬上に傲然と敵を睨み据える。そのまま乱戦の中に分け入れば、敵兵は彼の魁偉な風貌を目にしただけで悲鳴を挙げて遁走する。
不運にも逃げ遅れたものは、ひゅっと風を切る音が鳴ったかと思えば、いとも容易く首を飛ばされる。猛勇は当たるべきものなく、通るところ屍の山が築かれる。
後軍のカオエン軍も動きだした。先頭に立つのは蒼鷹娘ササカ、七千騎が一丸となって突っ込めば、無論支えるべくもなく、戦は一方的な追撃戦となる。
近衛軍は制止の声も振りきって敗走する。その先にはミクケルの中軍五千騎があり、左右をシモウル、ウランダンなどの兵が固めていたが、後退してくる友軍に巻き込まれて上下の別も判らなくなる。
それはまさしく左は右を救うあたわず、右は左を佐けるあたわず、上は下を罵り、下は上を怨むといったところ。
悲鳴と怒号が入り乱れ、恃みの諸将も己の命が大事とばかりに次々と戦列を離れる。叛乱軍の猛攻は激流のごとく、古の名将といえどもここに至っては為す術もない。さて非道の主ミクケル・カンはいかなる手を講ずるか。それは次回で。




