第 七 回 ④
サルカキタン大軍を弄ばれ竟に連丘に迷い
テクズス小心を嗤われ僅かに一命を得る
アイヅム軍の動きがあわただしくなったのを、向かいの丘から一人の将が見ていた。インジャの盟友、セイネン・アビケルである。
「ふふ、漸く動くか。愚かな連中だ」
とて諸方に伝令を放ち、迎え撃つ準備を整えた。すでにアイヅム軍を囲む兵は、すべて真の兵であった。そうとは知らぬテクズスは、薄暮のころを見計らって凄まじい銅鑼の音とともに一斉に南へ向けて突撃した。
「偽兵なら止めるものとておるまい。駆けろ、駆けろ! サルカキタン大人と合流するのだ」
と、行く手の丘の黒い旗がさっと動いて、一隊の人馬がこれを遮った。
「テクズス殿、あわててどこへ行きなさる。ジョンシ氏のシャジがお相手しますぞ」
その言葉が終わるや、矢が雨のように降り注ぐ。
「くうっ、偽兵ではなかったか。かまわん、突っ切れ!」
先頭に立って剣で矢を払いながら突撃する。ここに初めて両軍が正面からぶつかった。が、時とともに数で勝るアイヅム軍が押しはじめる。
「よし!」
テクズスがそう感じた瞬間、不意に後方が崩れた。
「敵の援軍です! 赤い旗の軍勢千騎が横合いから現れました!」
「なっ、いかん!」
さらに続けて、
「後方より白い旗の軍勢千騎!」
「しまった、囲まれた。血路を開くぞ、我に続け!」
テクズスは手近な兵をまとめて必死に突っ込んだ。その勢いに気圧されたか、一角が崩れる。しめたとばかりにそこを衝いて何とか包囲を逃れた。従う兵は百騎に満たず、バタクの姿もない。
また後方に喊声が挙がり、一隊の人馬が追ってくる。生きた心地もせず、折れよとばかりに鞭を振るい、馬上に身を伏せて駆け続ける。
と、突然馬がつんのめった。たまらずテクズスは投げ出される。わけがわからぬうちに続く騎兵も次々と倒れ、悲鳴が重なる。
「ははは、ご機嫌いかがですか、テクズス殿」
見ると炬火に照らされた若い騎将、これぞ青い鎧に身を固めたキャラハン氏のセイネン・アビケル。
「うぬ、小僧め。これはどうしたことじゃ」
「気づきませんでしたか。道に綱を張ってあっただけなのですが」
「お、おのれ……」
歯噛みしたがすでに遅く、あっという間に縛り上げられてしまった。
「このたびは残念でしたな」
「小僧どもに後れを取るとは……。わしをどうするつもりだ」
「さて、どうしたものでしょう。聞けば貴殿はインジャの父フウを殺したとか。フドウの人衆にとっては五体を引き裂いても余りあるでしょうな」
それを聞いてテクズスはがたがたと震え出す。セイネンは笑って、
「盟友を殺すほどの悪漢が何と小心な。よろしい、縄を解いて差し上げましょう」
「え、真か?」
「はい。サルカキタン・ベクはこの先の高い丘に布陣しています。行って合流なさるがよかろう」
傍らの兵に命じてテクズスの縄を解かせると、替馬をも与える。真意を測りかねたテクズスはなおも疑って、
「……よいのか?」
涼しい顔で答えて言うには、
「はい。ついでに良いことを教えましょう。このメルヒル・ブカを出るには、入口に黄色い石がある道を往きなさい。道の大小を問わず、黄色い石があれば曲がるのです。よいですね」
「わ、わかった。……礼は言わぬ。また戦場で見えようぞ」
「ははは、楽しみにしております」
テクズスは振り返りもせずにあわてて駆け去った。見送るセイネンに一人の兵が声をかけた。
「良いのですか。インジャ様がこれを聞けば、疑われますぞ」
先ほどまでのにこやかな表情とは打って変わって険しい顔つきで、
「ここでテクズスを殺せば、氏族の恨みは晴らせるかもしれん。しかしそれでは逆に義兄がアイヅム氏の人衆に恨まれよう。それでは困るのだ」
「はあ……」
「まあ、見ておれ。あの小人を利用してサルカキタンを破るのだ。さあ、みなと合流しよう。擒えたものは、そのまま連れてまいれ」
そう命じると、セイネンは呟いた。
「ふふふ、あの小人もそう長くはあるまい」
さて、ナオルやシャジも残敵をほぼ掃討し尽くしていた。「ベルダイの六駒」の一人、バタクはシャジに討たれた。言い忘れていたが、先に敗れたキヤトもすでに戦死している。
諸将は軍を併せるとカオルジへ向かった。インジャの本陣がある岳である。
「セイネン、見事であった」
インジャはそう言ってその智謀を讃えた。が、答えて言うには、
「義兄、まだサルカキタンとその七千騎は健在です。戦は終わっておりません」
「うむ。で、次の計は?」
「ふふふ、これから最後の布陣をします。明日で勝敗が決まるでしょう。ズラベレン氏はどうしましたか?」
「策戦どおりに動いている」
「ならば躊躇うことはありません。参りましょう」
インジャたちは夜のうちに軍を動かし、サルカキタンを討つべく布陣した。まさに大魚は網の中、じたばたしても逃げられぬといったところ。セイネンはどのような計略を用いてサルカキタン・ベクを破るのか。それは次回で。