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草原演義  作者: 秋田大介
巻五
279/785

第七 〇回 ③

カントゥカ奇人の報に接して戦地を定め

シン・セク豪勇の衆を率いて奸臣と争う

 ボッチギンは、念のためにサチを呼んで言うには、


「勝敗は序盤の形勢次第だ。近衛軍(ケシクテン)を撃ち破れば勝てる。指示があればいつでも参戦できるよう心しておけ」


 男装の麗人は(フムスグ)ひとつ動かさずに、


「渾沌郎こそ、あわてて戦機(チャク)を逃すようなことがないようにな」


 言い捨てて、さっさと任所に戻る。ボッチギンは半ば呆れて、


「さすがは豹と称される(オキン)だ。臆するところが微塵もない」


 そこでふと顧みれば妖豹姫ガネイがいて、嬉しそうに(トグ)の数など数えている。ボッチギンは(テリウ)を振って呟いた。


「なるほど。うちの豹も臆してなかったわ」




 それはさておき、いよいよ敵軍(ブルガ)の偉容は誰の(ニドゥ)にも明らかになる。前軍(アルギンチ)にあるシン・セクは、愛馬に話しかけて、


「頼むぞ、黒亜騏(こくあき)。奸臣の首を得るまで決して足を止めるな」


 すでに七星嘆を抜き放ち、敵軍を睨み据えている。傍ら(デルゲ)にはタクカとタケチャクが得物を(ガル)に号令を待つ。


 駆け来たる敵軍は止まる様子もない。その前軍、一万騎(トゥメン)。これをぎりぎりまで引きつけたところで、中軍(イェケ・ゴル)にあるアサンが静か(ヌタ)に言った。


「今です」


 カントゥカが頷いて無言で右手を挙げれば、待ってましたとばかりに一斉に銅鑼が打ち鳴らされる。その万雷(アヤンガ)のごとき轟音を合図にネサク軍が始動する。


 ついにミクケル軍とカントゥカ軍の(ソオル)が幕を開けた。かたや部族(ヤスタン)一の精強を(うた)われたカンの近衛軍、かたや叛乱軍(ブルガ)の誇る精鋭ネサク軍、両者は正面から激突した。


 麒麟児シン・セクは自ら先頭に立って敵陣に突き入り、縦横無尽に(ウルドゥ)を振るう。これに挑んだ近衛兵(ケシク)は一人残らず(ほふ)られる。黒亜騏は無人の野を行くがごとく突き進んだ。


 近衛軍を率いるフワヨウは、その戦いぶりを見て(ヘル)を巻いた。


「あれがネサクの麒麟児か。疾風(サルヒ)のごとき戦をする奴だ」


 自ら戟を手に前線に繰り出して督戦に当たる。叫んで言うには、


「あわてるな! 敵はたかだか三千騎、我が軍はこれに三倍するぞ! 押し包んでこれを討て!」


 応じて(ようや)く崩れかけた(デム)は持ち直した。そうなればさすがは近衛軍である。本来の(クチ)を発揮してネサク軍に襲いかかる。


「ちぃっ! フワヨウめ、用兵に関しては侮れぬ奴だ!」


 シンは舌打ちすると、進むことを控えて戦線の維持のため奮戦する。「勇将(バアトル)の下に弱卒(アルビン)なし」と謂うとおり、数で勝る敵を相手に一歩も退かず戦い続ける。


 七星嘆が右へ左へ(ひるがえ)るたびに敵兵は悲鳴を挙げて(コセル)()ちていく。希代の名剣は幾人斬っても、()いだばかりのごとく刃こぼれひとつしない。むしろ刀身の輝きは(ツォサン)を吸えば吸うほど増すかのよう。


 タケチャクも短刀を()っては天下無双、すばやく(エブル)に飛び込んでは急所を(えぐ)っていく。間合いを保とうとする敵には、腰に差した飛刀を投げつける。変幻自在とはまさにこのこと。


 一方、タクカは武勇においては二人に劣るとはいえ、やはりネサクの将、冷静な剣(さば)きで確実に屍体を増やしていく。


 両軍互いに一歩も退かぬ形勢に、フワヨウはおおいに怒って、


「近衛軍ともあろうものがが何をもたついている! 敵は我が軍の半分(ヂアリム)にも満たぬのだぞ!」


 戟を構えると、兵を従えてどっと押し出す。一瞬、ネサク軍は浮足立つ。


「させるか!」


 麒麟児が怒号とともに黒亜騏の腹を蹴れば、漆黒(ハラ)の名馬は高々と跳び上がって、騎兵の(ヘレム)を飛び越える。両軍呆気にとられるうちにフワヨウの前に降り立って、


「奸臣め、(アミン)をもらうぞ!」


 フワヨウは怒気に(ハツァル)を紅潮させて、


「この叛賊が! おとなしく首を差し出せ!」


 シン・セクは激怒(デクデグセン)して、ものも言わずに斬りかかる。フワヨウがこれを受ければ、がんと鈍い音が響きわたる。攻守転じてフワヨウが戟を突き出せば、(ビイ)を捻ってこれを(かわ)す。


 かくして十合、二十合と打ち合ったが、一向に勝負がつかない。ともに主将たることを忘れて(ウマルタヂュ)眼前の敵を葬らんと躍起になって得物を操る。


 タケチャクとタクカは、シンの身にもしものことがあってはと助力(トゥサ)に向かおうとしたが、近衛兵の厚い(ゾザーン)壁に(はば)まれる。




 そのころ本陣ではチルゲイとガネイが大騒ぎしていた。


「おお、早く兵を出さねばネサク軍は堪えられまいぞ!」


「危ないよ、危ないよ!」


 カントゥカに詰め寄ったが答えない。代わってボッチギンが、


「奇人は弁は立つ(ビルヂウル)が、戦場の呼吸(アミ)には(くら)いと見える。兵は逐次投入すればよいというものではない。機を失すれば無用の血を流すだけだ」


 そう言って戦況を眺めていたが、やがて顧みて、


「敵陣に緩みが生じたぞ。花貌豹を(バラウン)から突入させよう。麒麟児の驍勇にさすがのフワヨウも戦局を観る余裕を失ったようだ」


 カントゥカが小さく頷くと、金鼓が轟く。これを(チフ)にしたサチは、


「やっと出番か。麒麟児だけに見せ場を作ってやることはない」


 呟くと朱塗りの(ヂダ)を手に駆けだした。続く兵はスンワ軍二千騎。

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