第七 〇回 ③
カントゥカ奇人の報に接して戦地を定め
シン・セク豪勇の衆を率いて奸臣と争う
ボッチギンは、念のためにサチを呼んで言うには、
「勝敗は序盤の形勢次第だ。近衛軍を撃ち破れば勝てる。指示があればいつでも参戦できるよう心しておけ」
男装の麗人は眉ひとつ動かさずに、
「渾沌郎こそ、あわてて戦機を逃すようなことがないようにな」
言い捨てて、さっさと任所に戻る。ボッチギンは半ば呆れて、
「さすがは豹と称される女だ。臆するところが微塵もない」
そこでふと顧みれば妖豹姫ガネイがいて、嬉しそうに旗の数など数えている。ボッチギンは頭を振って呟いた。
「なるほど。うちの豹も臆してなかったわ」
それはさておき、いよいよ敵軍の偉容は誰の目にも明らかになる。前軍にあるシン・セクは、愛馬に話しかけて、
「頼むぞ、黒亜騏。奸臣の首を得るまで決して足を止めるな」
すでに七星嘆を抜き放ち、敵軍を睨み据えている。傍らにはタクカとタケチャクが得物を手に号令を待つ。
駆け来たる敵軍は止まる様子もない。その前軍、一万騎。これをぎりぎりまで引きつけたところで、中軍にあるアサンが静かに言った。
「今です」
カントゥカが頷いて無言で右手を挙げれば、待ってましたとばかりに一斉に銅鑼が打ち鳴らされる。その万雷のごとき轟音を合図にネサク軍が始動する。
ついにミクケル軍とカントゥカ軍の戦が幕を開けた。かたや部族一の精強を謳われたカンの近衛軍、かたや叛乱軍の誇る精鋭ネサク軍、両者は正面から激突した。
麒麟児シン・セクは自ら先頭に立って敵陣に突き入り、縦横無尽に剣を振るう。これに挑んだ近衛兵は一人残らず屠られる。黒亜騏は無人の野を行くがごとく突き進んだ。
近衛軍を率いるフワヨウは、その戦いぶりを見て舌を巻いた。
「あれがネサクの麒麟児か。疾風のごとき戦をする奴だ」
自ら戟を手に前線に繰り出して督戦に当たる。叫んで言うには、
「あわてるな! 敵はたかだか三千騎、我が軍はこれに三倍するぞ! 押し包んでこれを討て!」
応じて漸く崩れかけた陣は持ち直した。そうなればさすがは近衛軍である。本来の力を発揮してネサク軍に襲いかかる。
「ちぃっ! フワヨウめ、用兵に関しては侮れぬ奴だ!」
シンは舌打ちすると、進むことを控えて戦線の維持のため奮戦する。「勇将の下に弱卒なし」と謂うとおり、数で勝る敵を相手に一歩も退かず戦い続ける。
七星嘆が右へ左へ翻るたびに敵兵は悲鳴を挙げて地に墜ちていく。希代の名剣は幾人斬っても、研いだばかりのごとく刃こぼれひとつしない。むしろ刀身の輝きは血を吸えば吸うほど増すかのよう。
タケチャクも短刀を操っては天下無双、すばやく懐に飛び込んでは急所を抉っていく。間合いを保とうとする敵には、腰に差した飛刀を投げつける。変幻自在とはまさにこのこと。
一方、タクカは武勇においては二人に劣るとはいえ、やはりネサクの将、冷静な剣捌きで確実に屍体を増やしていく。
両軍互いに一歩も退かぬ形勢に、フワヨウはおおいに怒って、
「近衛軍ともあろうものがが何をもたついている! 敵は我が軍の半分にも満たぬのだぞ!」
戟を構えると、兵を従えてどっと押し出す。一瞬、ネサク軍は浮足立つ。
「させるか!」
麒麟児が怒号とともに黒亜騏の腹を蹴れば、漆黒の名馬は高々と跳び上がって、騎兵の壁を飛び越える。両軍呆気にとられるうちにフワヨウの前に降り立って、
「奸臣め、命をもらうぞ!」
フワヨウは怒気に頬を紅潮させて、
「この叛賊が! おとなしく首を差し出せ!」
シン・セクは激怒して、ものも言わずに斬りかかる。フワヨウがこれを受ければ、がんと鈍い音が響きわたる。攻守転じてフワヨウが戟を突き出せば、体を捻ってこれを躱す。
かくして十合、二十合と打ち合ったが、一向に勝負がつかない。ともに主将たることを忘れて眼前の敵を葬らんと躍起になって得物を操る。
タケチャクとタクカは、シンの身にもしものことがあってはと助力に向かおうとしたが、近衛兵の厚い壁に阻まれる。
そのころ本陣ではチルゲイとガネイが大騒ぎしていた。
「おお、早く兵を出さねばネサク軍は堪えられまいぞ!」
「危ないよ、危ないよ!」
カントゥカに詰め寄ったが答えない。代わってボッチギンが、
「奇人は弁は立つが、戦場の呼吸には昏いと見える。兵は逐次投入すればよいというものではない。機を失すれば無用の血を流すだけだ」
そう言って戦況を眺めていたが、やがて顧みて、
「敵陣に緩みが生じたぞ。花貌豹を右から突入させよう。麒麟児の驍勇にさすがのフワヨウも戦局を観る余裕を失ったようだ」
カントゥカが小さく頷くと、金鼓が轟く。これを耳にしたサチは、
「やっと出番か。麒麟児だけに見せ場を作ってやることはない」
呟くと朱塗りの槍を手に駆けだした。続く兵はスンワ軍二千騎。




