第六 九回 ②
クニメイ火砲を並べて俄かに衛兵を驚かし
ボルギン醜悪を暴わして卒かに清官に弑さる
いきなりそう言われたものはおおいに驚いて返す言葉もない。そこでさらに言うには、
「蝮蠍大人は天運を逃し、墓穴を掘ったんだ。代わって大虎ズキン様が車に乗ってやってくる。嘘だと思うのなら、大路へ迎えに行ってみな。東門から天兵を率いて、ボルギンに天誅を加えるべく向かってるはずだ!」
そして次の辻でまた歌いだす。ついには一節ごとに叫んで、
「ズキン様が帰ってきた! 蝮蠍を退治するため天兵とともに大路を進んでる!」
人衆はまず己の耳を疑った。ズキン・ヂドゥ父子が四姦の讒言で誅戮されたのはつい先日のことである。
そのズキンが天兵を率いて進軍中というのだ。真偽はともかく市街で戦闘が始まってはおおいに困る。そこで首を傾げながらも様子を探りに出てきたものが数多あった。
中途でまた歌っているものと幾度も遭遇し、彼らが口を揃えて同じことを繰り返すので、人衆はますます混乱した。
その混乱は、実際に大路を進んでくる兵団を見てさらに膨れ上がった。先頭を行く馬車に端座している丈夫を見るに及んでは、誰もが開いた口が塞がらない。
「ズ、ズ、ズキン様だ!!」
物陰からこっそり覗いていた人衆は、感極まって続々と道端へ飛び出して平伏する。噂はあっと言う間に広がり、閉じ籠もっていたものまで我先に押し寄せる。
この騒ぎを車上のスク・ベクは唖然として眺めていた。手綱を執るミヤーンが顧みて言った。
「呆れるくらいの人気だなあ。手ぐらい振ってみたらどうだ?」
「戯言はよしてくれ。俺は今、わけがわからなくなってるんだ」
震える声で答えつつ額の汗を拭う。ミヤーンは呵々大笑すると、表情を改めて言った。
「君の父の、いわゆる遺徳だな」
その後方では、チルゲイ、クニメイ、カトメイ、チャオの四人が轡を並べて進んでいた。
「何とすごい騒ぎではないか。君の歌が当たったかな?」
チルゲイが大喜びで言えば、チャオは苦笑して、
「私の歌などどうでもいい。ボルギンが悪政を布いていたんだろう」
「ははは、それよ、それ。言っただろう、墓穴、墓穴」
カトメイが快活な調子で、
「ズキン公は英主だったのだな。いまだに人衆が慕っている。スク自身はあまり父親のことを好いてなかったようだが」
クニメイは独り沈痛な表情で呟くように言った。
「英主でなければ四姦に除かれることはなかったでしょう」
「む、それはそうだな……」
カトメイの顔が曇り、悲痛な空気が流れた。チルゲイがあえてそれを払うように手を振ると、力強く言った。
「さあ、今の我らは天兵だ。さっさと蝮を捕まえよう」
その言葉で好漢たちは気を取り直す。
さて、蝮蠍大人ボルギンは、街の騒ぎに気づかず、城楼から戻ると急遽幕僚を集めてことを諮った。これまで政務を怠り、私腹を肥やすことしか頭になかったので、ミクケルの早馬を迎えてから強引に兵備を推し進めたものの、とても兵を出せる状態ではない。
そこでいかにしてカトメイを穏便に追い返すかについて知恵を求めたが、幕僚も貪欲な無能ばかりであったので、誰も進んで発言しない。ボルギンは苛立って罵言を浴びせた。
「誰か疾く策を出せ! あの小僧がこれを利して要らざることを上奏すれば、わしが怠慢を咎められるではないか!」
奸人の悲しさか、ことを判ずる基準は己にあるのである。ましてやカトメイがすでに叛旗を翻しているとは思いも寄らず、ただ保身を思うばかり。
そこへ一人の兵があわてて駈け込んでくる。
「ボ、ボルギン様、一大事でございます!」
「うるさい! 今、重要な会議をしている。あとにせよ!」
一喝して退けようとしたが、兵士は去ることなく蒼白な顔で告げて、
「……イ、……イシ軍が、東門を破って城内に突入いたしました」
「な、何だと!? 真か!!」
場は俄かに騒然となる。
「はい。先刻城内に入り、大路をゆっくりと進んできます」
幕僚たちはわっと悲鳴を挙げると、先を争って逃げだした。まるで足が二本しかないのを悔やむがごとくであった。
「待て、わしを置いていくな! 止まれ、止まらねば獄に落とすぞ!」
ボルギンは必死に叫んだが誰も耳に入れない。気がつけば残ったのは逃げ遅れたものばかり、中には腰が抜けて立てなくなったものもいるという有様。
「城門を破るとは、そうだ、こ、これは叛乱ではないか。そうだ、謀叛だ。カンに上奏してあの小僧も叛賊の一味にしてやろう」
震える声でそう呟く。さらにはっとして顔を上げると、
「これを機にあの狡猾なツォトンを失脚させることができるやもしれぬ。愚かな息子を持ったものよ」
何も知らないとは哀れなものであるが、そう心を決めたボルギンはあわてて逃げようとする。




