第六 八回 ④
カトメイ姦兇を除いて東城に主座を襲い
クニメイ叛詩を流して西市に客軍を迎える
ボルギンはあわてて目を凝らす。左右を忙しく顧みて、カトメイの顔が判るものを探すと、兵の一人が言うには、
「間違いありません。あれはイシの若将軍です」
内心ほっと息を吐くと、僅かに余裕を取り戻して、
「失礼した。しかし我らはまだ出陣の勅命を受けておらぬ。兵備が整うまでしばらく猶予を賜りたい。それまで城外にてお待ちあれ!」
これを聞いてカトメイの傍らより進み出たものがある。なぜか軍装ではない。言うには、
「ともに大事に当たらんとする友軍を城外に留め置くとは無礼であろう。しかもいまだ兵が整わぬとはどういう了見か。草原の叛乱は容易ならざるものだぞ!」
実はこれこそ奇人チルゲイ。しかし無論ボルギンは知る由もない。
「我が街はあいにくと手狭ゆえ、一万の騎兵を容れる余地がないのだ。察せられよ!」
そう言うとあわてて城楼を下りた。実のところ、一万もの騎兵を城内に入れて、カトメイに優位に立たれるのを恐れたのである。たとえ友軍でも人の下風に立つのを嫌ったという次第。
カトメイは顧みて笑うと、
「どうやら欺かれなかったようだ。このまま城内に入れると思ったのだが」
チャオが馬を寄せて、
「ボルギンは欲深い小人。単にカトメイ殿に手綱を奪われるのを避けたのだろう。イシがすでに叛しているなどとは想像も着かぬはずだ」
「ふふふ、まあよい。もとより策は別のところにある。門はすぐに開く」
チルゲイが含み笑いしながら言えば、二人とも笑みを返して頷く。
イシ軍が城外に布陣したという噂は、瞬く間に広がった。クニメイはそれを聞いて莞爾と笑うと、スク・ベクとミヤーンを呼んで言った。
「いよいよです。スク殿、準備はよろしいか」
奮い立って答えて、
「いつでもいいぞ。俺はこのときを待っていたんだ」
「ははは、その意気です。ではみなの待つ東門へ参りましょう」
クニメイは自信に満ちた足取りで先に立った。広大な庭には百名もの配下が意を決して主を待っていた。
「待たせたな。策は昨夜言ったとおり。二度は繰り返さぬ。万事抜かりなくやってくれ」
それを受けて半数の五十人が外へ散っていった。残りの五十人は神妙な面持ちで待機している。クニメイは振り返って、
「これからカムタイの人衆は奇蹟を見ることになります」
嬉しそうに言うと、一台の車を指し示す。
「さあ、これに乗ってください。奇人殿を迎えに参りましょう」
スクが乗り込むと、御者台にはミヤーンが座った。クニメイは駿馬に跨がって門を出る。配下のものどもも一斉に立ち上がり、馬車を護るように隊伍を組んで整然とあとに続く。道中は口を開くものもない。
先頭の紅大郎は涼しげな顔で馬を進めて、躊躇することなく大路を東門へと向かった。それは無論ほどなく衛兵の目に入る。わらわらと寄ってきて行く手を阻むと、
「待て、待て! どこへ行く」
「賓客を迎えに来たのです」
クニメイが眉ひとつ動かさず、平然と答える。
「何だと? ならぬ、ならぬ! 門外にはイシ軍一万騎が布陣している。お前の待つ客など近づくこともできぬわ! 引き返せ」
「ボルギン様の許しがなければ門は開かぬぞ」
「帰れ、帰れ!」
口々に喚き散らしながら追い立てようとする。クニメイはやはり飄々然としていたが、やがて言うには、
「道を空けなさい。さもなくんば痛い目に遭いますよ」
「はぁ? 今、何と言った」
衛兵たちは耳を疑ってクニメイの顔を見たが、相変わらず涼やかな微笑を浮かべているばかり。
「とにかく門に近づいてはならぬ」
もっとも近くにいた兵がそう言って歩を進めようとした。と、俄かにクニメイの右手が動く。
「ぎゃっ!!」
悲鳴とともに兵はばったりと倒れ伏す。見ればクニメイの手にはひと振りの剣が握られている。衛兵の間に戦慄が走った。
「お、お前、何を!」
「言ったでしょう。道を空けなければ痛い目に遭うと」
依然として顔色ひとつ変えない。そのままぐるりと衛兵を眺め回す。やっと事態の一端を吞み込んだ衛兵は、あわてて腰の剣に手を伸ばす。瞬間、クニメイの号令が高々と響きわたる。
「行け!」
応じて背後から得物を手にした配下のものが飛び出し、衛兵どもを片端から斬り伏せる。
「このまま一挙に走るぞ」
そう言うや馬腹を蹴った。連れて五十人も走りだす。もちろんスクを乗せた馬車も速度を上げる。一団は駈けながら声を揃えて歌いだした。
自ら大蛇は毒を飲む
動かざる天意に逆らって
車の音に怯えたために……
そのまま東門に殺到する。それを見た門衛たちは、口々に罵りながら城楼より下りてきたが、次々に斬られる。異変を悟った将が弓で迎撃するよう声高に叫んだが、混乱は増すばかり。
これこそまさに兵を用いてはその無備を攻め、不意に出るといったところ。詭道権変はもとより仁者の技にあらざるも、義に応じて奸を誅するは好漢の業に違いない。衆望を歌に託して姦悪を屠らんとしたわけだが、果たして奇人たちを城内に迎え入れて蝮蠍大人を討つことができるか。それは次回で。




