第 七 回 ③
サルカキタン大軍を弄ばれ竟に連丘に迷い
テクズス小心を嗤われ僅かに一命を得る
ではベルダイ右派の軍勢はどうしたかというと、それはこれからお話しすること。サルカキタンの七千騎は、敵兵が消えた時点でテクズスにあとを委せ、しばらくその場に留まっていた。周りは小高い丘が連なり、見渡せない。
「奇観じゃな。ここは何というところか」
問いかけたが誰も答えられない。ジュチ・ムゲが言った。
「ここは兵を伏せるには恰好の地。敵は方々に埋伏しているに違いありません。先行したテクズス殿の身が案じられます」
だがまったく敵を侮っているサルカキタンはせせら笑って、
「なに、我らは大軍。恐れることはない」
「念のため、近くに伏兵がないか探らせましょう」
ジュチ・ムゲは数名の兵とともに丘のひとつに登った。
「むぅ、あれは」
前方の丘の陰に赤い旗が見え隠れしている。あわてて報告すると、
「小癪な。よし、我々からその伏兵を襲ってやろう。ツヨルを敵の背後に回せ。叩き出して挟撃してくれるわ」
命を受けたツヨルが幾許も進まぬうちに、突如左右の丘から喊声が巻き起こる。
見れば白い旗の一軍、進み出た将は白い兜に白い鎧、白馬に跨がり、手にはひと振りの長剣。これぞフドウの宿将ハクヒ。その剣がさっと振り下ろされると、雨のごとく矢が降ってきた。
ツヨルはあわてて後退すると、
「敵には備えがありました」
「ぬうっ! どれほどの敵がおったのじゃ」
「見えるかぎりでは五百ほどでしたが、しかとはわかりません」
サルカキタンは苛々して剣の柄を爪で弾きながら、
「どいつもこいつも臆病者ばかり。かりにも『ベルダイの六駒』などと呼ばれる将が恥を知らんのか」
そのときである。今度は軍の前方が何やら騒がしい。
「敵です! 青い旗に青い鎧の騎兵、五百!」
「迎え撃て!」
ジュチ・ムゲが矛を携えて飛び出した。騎兵がそれに続く。
と、敵はさっと退く。
「追え! 追え!」
サルカキタンが叫び、ジュチ・ムゲを先頭に全軍が駆け出した。と、今度は左手に銅鑼が鳴り渡り、赤い旗に赤い鎧の軍勢が現れた。
「我こそはジョンシ氏族長ナオル!」
もちろん赤い兜に赤い鎧、跨がる馬も燃えるような赤い色。
「ツヨル! 敵は小勢じゃ、討て!」
左翼のツヨルが襲いかかろうとすると、赤い軍もまた素早く退く。
さらに右手から銅鑼が響き、木立ちの蔭に白い旗が翻った。右翼のジュマキンが怒号を挙げて駆け出す。すると白い旗はさっと消えてしまった。
六駒の将たちはみな敵を見失って引き返さざるをえなかった。サルカキタンは卒倒せんばかりに怒った。
すると、それを知ったかのように今度は右後方に黒い旗が現れた。一軍を割いてそちらへ向かわせようとすると、左前方に喊声が挙がり、青い旗が何喰わぬ様子で姿を見せる。
そんな調子で赤・青・白・黒の旗が不意に現れては消え、また思わぬ方角に現れる。右派の諸将は躍起になってこれを追い、右へ左へと駆け回るうちにへとへとに疲れてしまった。
「何故見失ってしまうのだ。確かに旗が翻り、喊声が聞こえるというのに、そこまで行くと姿がないというのは……」
「敵はたかだか六千、あのように四方八方に兵を分けているということは、ひとつひとつはおそらく四、五百騎の小勢でしょう」
ジュチ・ムゲが悔しそうに言う。サルカキタンはふと思い出して言った。
「テクズスとバタクはいかがした」
「ひょっとすると敵の奸計に嵌まっておるやもしれません」
サルカキタンは眉間に皺を寄せて不機嫌に黙り込んだが、やがて言うには、
「いかがいたそう」
「陽もだいぶ傾いてまいりました。いったん退いたほうがよろしいかと。敵はこの辺りの地形に通じている様子。夜襲の恐れがあります」
「ふうむ、いまいましいがやむをえん。退くぞ」
ところが軍を進めようにも、右へ左へ引き摺り回されたために抜け出る道が判然としない。何とか記憶を辿ってみても、行き着くのは広大な沼地ばかり。さらに散々迷った挙句、見知った道を発見しても、すでに大木や巨石で通れぬようにしてあった。
「ぐぬぬ、フドウの小僧め!」
サルカキタンは唇を噛んで悔しがる。やむなく見えるかぎりでもっとも高い丘に登り、陣を張った。
一方、テクズスとバタクは陽が傾いてきた上に糧食も携帯してこなかったので、次第に不安を募らせていた。
「バタク殿、いかがいたそう」
「先ほどから四方の敵を覩るに、気勢を上げるばかりで一向に攻め寄せる気配がありません。ひょっとすると偽兵かもしれませぬ」
「何? ではひとつ賭けてみるとするか。全軍丘を下って本軍に合流しよう」
「それがよろしいでしょう」