第六 六回 ③
ボッチギン詭計を用いて巧みに雄族を誑き
アサン形名を説きて因りて猛将を擁す
二人は再びウラカンに舞い戻る。出迎えたフフブルが驚愕の体で言った。
「昨夜は急に貴公の軍が去ったので驚きましたぞ」
ボッチギンがすました顔で、
「お前が変な気を起こさぬよう配慮したのだ」
フフブルは俄かに青ざめる。
「まあよい。ところで、ゲルが昨日より減っているように思うが、いかがした?」
「と、とんでもない! 気のせいでしょう」
そう言いつつ目を伏せる。ボッチギンは笑って、
「嘘を吐くのが下手だな。一部の兵衆をミクケルの下に送っただろう。だがいたずらに人衆を失ったな。送ったものは一人として助からぬぞ」
「えっ……?」
動揺を隠せない様子で、額に汗を浮かべている。
「実は昨夜、兵を率いてミクケルの陣を襲った」
ボッチギンは相手の顔色を窺いながら続けて言うには、
「……というよりも襲ったふりをしたと言うべきか。ともかく適当に退いてきたのだが、そのときウラカン軍の旗や武具を目に付くようにばらまいてきた」
フフブルの顔は、今や青を通り越して白くなってきている。
「それがどういうことか解るか。ミクケルの激怒する顔が目に浮かぶではないか。なあ、フフブル」
陽気に同意を求めたが、答えることもできない。
「ふふふ、梯を抽すとはそういうことだ。お前はそれでも屋上から飛び降りるかね?」
傍らのカントゥカは眉ひとつ動かさずに聞いていたが、初めて渾沌郎君の計略を知っておおいに感心する。
「さあ、簡明な道理だ。不義に従えば殺され、正義に与すれば生きられる。逆なら悩みもしようが、これなら童子にも解る」
笑いながらカントゥカを促して席を立つ。フフブルは目瞬きも忘れてじっと俯いていたが、ボッチギンが顧みて言った。
「明日、我が軍は移動する。お前らも相応の用意をするがよい。ここに残ってもよいが、それではミクケル軍に襲われても救えぬぞ」
二人はゲルを出ると顔を見合わせて大笑いしたが、この話はここまでにする。
さて、二手に分かれていた叛乱軍はカルガヤの地でついに合流した。カオエン、スンワ、ネサク、ダマン各軍に馳せ参じた小氏族を加えて、その数は約二万騎に達した。
これに先んじて、ヒラトらはシモウル、ウラカンの兵を北方に遠ざけた。というのも彼らは士気に乏しいがゆえに、決戦において全軍の利を失わせる危険を孕んでいたからである。
しかも「上屋抽梯の計」により追い込まれたウラカン氏はともかく、シモウル氏の一部は隙を見てミクケルの下に走っていた。これを手許に置いておくのは殆ういと判断したのである。
ヒラトは好漢諸将を集めて軍議を開いた。居並ぶ顔触れはすなわち、カントゥカ、アサン、ヒラト、サチ、シン、タクカ、ボッチギン、タケチャク、ササカ、ガネイ、クミフ、クメン、ヨツチの十三人。
ついでに言えば、このほかにチルゲイとスクは、イシへカトメイの籠絡に赴いており、カコは南方でカオエンのアイルを率いている。また北辺を護るカムカにはすでに決起を報ずる急使が飛んでいる。
ヒラトはみなの顔を見回して言った。
「今、我々は二万騎を擁している。対するミクケルは近衛軍が一万騎、スンワ五千騎、シモウル三千騎、イギタ二千騎、ウランダン千騎、また隷民軍二千騎、総じて約二万三千騎ほどと思われる。兵力においてはほぼ互角となった。これもアサン・セチェンのおかげだが、まだ安心はできぬ。士気において、計略において勝ったほうが勝者となろう」
タクカが口を開いて、
「兵力は互角というが、南方でチルゲイがしくじれば、イシ、カムタイ双城の兵二万騎が敵に加わる。早めに動いたほうがよかろう」
サチが頷いて、
「たしかに。チルゲイの策の成否は今は考慮に入れぬほうがよい」
「ではすぐにも軍を発して暴君を討つべし!」
ヨツチが叫んだが、傍らのクメンにすぐに制されて、
「ははは、戦をするには戦地を選ばねばならぬ。『戦いの地、戦いの日を知らざれば会戦すべからず』と謂うではないか。意味なく兵を動かすのは愚計というものだ」
アサンは微笑を浮かべて推移を見守っていたが、おもむろに口を開くと、
「みなさん逸りすぎです。決戦を考える前に、まずは我が軍の形を整えることが先決です」
クミフが尋ねて、
「軍の形って何?」
「名を明らかにして道を示し、権を明らかにして法を示す。それが『形』です」
「さっぱり解らないんだけど……」
アサンは微笑むと、静かな口調で言った。
「我々は兵を挙げましたが、将兵のすべてがその真の意義を解っているとは言えません。勢いのあるうちはそれでも大過ないでしょうが、敵は尋常の相手ではありません。苦戦を強いられ、戦が長引けば自ずと士気は低下します。そのとき軍を支えるのは統一された意志です。ゆえに全軍に大義名分を明示し、兵をして将と意を同じくせしめるべきです。これがすなわち軍の『道』と呼ばれるものです」
みな黙ってアサンの語りたる言葉を反芻している。さらに続けて、
「およそ軍においては、その権のあるところを明確にし、指揮の系統を確立しておかなければ必ず混乱が生じます。そのためにも新たな体制に通じるべき編成を、今から誰の目にも明らかにしておくことです。これがすなわち軍の『法』と呼ばれるものです」
諸将の顔を見回すと、
「つまり、我らの新たな主君をしかと定めて、全軍に公表せよということです。それによって初めて諸氏の連合軍は一個の強兵となりうるのです」




