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草原演義  作者: 秋田大介
巻五
263/785

第六 六回 ③

ボッチギン詭計を用いて巧みに雄族を(あざむ)

アサン形名を説きて因りて猛将を擁す

 二人は再びウラカンに舞い戻る。出迎えたフフブルが驚愕の(てい)で言った。


「昨夜は急に貴公の軍が去ったので驚きましたぞ」


 ボッチギンがすました(ヌル)で、


「お前が変な気を起こさぬよう配慮したのだ」


 フフブルは俄かに青ざめる。


「まあよい。ところで、ゲルが昨日より減っているように思うが、いかがした?」


「と、とんでもない! 気のせいでしょう」


 そう言いつつ(ニドゥ)を伏せる。ボッチギンは笑って、


(クダル)()くのが下手だな。一部の兵衆をミクケルの下に送っただろう。だがいたずらに人衆(ウルス)を失ったな。送ったものは一人として助からぬぞ」


「えっ……?」


 動揺を隠せない様子で、(マグナイ)に汗を浮かべている。


「実は昨夜、兵を率いてミクケルの(トイ)を襲った」


 ボッチギンは相手の顔色を窺いながら続けて言うには、


「……というよりも襲ったふりをしたと言うべきか。ともかく適当に退いてきたのだが、そのときウラカン軍の(トグ)や武具を目に付くようにばらまいてきた」


 フフブルの顔は、今や青を通り越して白くなってきている。


「それがどういうことか解るか。ミクケルの激怒(デクデグセン)する顔が目に浮かぶではないか。なあ、フフブル」


 陽気に同意を求めたが、答えることもできない。


「ふふふ、(はしご)(はず)すとはそういうことだ。お前はそれでも屋上から飛び降りるかね?」


 傍ら(デルゲ)のカントゥカは(フムスグ)ひとつ動かさずに聞いていたが、初めて渾沌郎君の計略を知っておおいに感心する。


「さあ、簡明な道理(ヨス)だ。不義に従えば殺され、正義に(くみ)すれば生きられる。逆なら悩みもしようが、これなら童子(ニルカ)にも解る」


 笑いながらカントゥカを(うなが)して席を立つ。フフブルは目瞬き(ヒルメス)忘れて(ウマルタヂュ)じっと(うつむ)いていたが、ボッチギンが顧みて言った。


「明日、我が軍は移動する。お前らも相応の用意をするがよい。ここに残ってもよいが、それではミクケル軍に襲われても救えぬぞ」


 二人はゲルを出ると顔を見合わせて大笑いしたが、この話はここまでにする。




 さて、二手に分かれていた叛乱軍(ブルガ)はカルガヤの地でついに合流(ベルチル)した。カオエン、スンワ、ネサク、ダマン各軍に馳せ参じた小氏族(オノル)を加えて、その数は約二万騎に達した。


 これに先んじて、ヒラトらはシモウル、ウラカンの兵を北方に遠ざけた。というのも彼らは士気に(とぼ)しいがゆえに、決戦において全軍の利を失わせる危険(アヨール)(はら)んでいたからである。


 しかも「上屋抽梯(じょうおくちゅうてい)の計」により追い込まれたウラカン氏はともかく、シモウル氏の一部は隙を見てミクケルの下に走っていた。これを手許(てもと)に置いておくのは(あや)ういと判断したのである。


 ヒラトは好漢諸将を集めて軍議を開いた。居並ぶ顔触れはすなわち、カントゥカ、アサン、ヒラト、サチ、シン、タクカ、ボッチギン、タケチャク、ササカ、ガネイ、クミフ、クメン、ヨツチの十三人。


 ついでに言えば、このほかにチルゲイとスクは、イシへカトメイの籠絡に赴いており、カコは南方でカオエンのアイルを率いている。また北辺を護るカムカにはすでに決起を報ずる急使(グユクチ)が飛んでいる。


 ヒラトはみなの顔を見回して言った。


「今、我々は二万騎を擁している。対するミクケルは近衛軍(ケシクテン)一万騎(トゥメン)、スンワ五千騎、シモウル三千騎、イギタ二千騎、ウランダン千騎(ミンガン)、また隷民(ハラン)軍二千騎、総じて約二万三千騎ほどと思われる。兵力においてはほぼ互角となった。これもアサン・セチェンのおかげだが、まだ安心はできぬ。士気において、計略において勝ったほうが勝者となろう」


 タクカが(アマン)を開いて、


「兵力は互角というが、南方でチルゲイがしくじれば、イシ、カムタイ双城の兵二万騎が(ブルガ)に加わる。早めに動いたほうがよかろう」


 サチが頷いて、


「たしかに。チルゲイの策の成否は今は考慮に入れぬほうがよい」


「ではすぐにも軍を発して暴君(ハラ・エルキム)を討つべし!」


 ヨツチが叫んだが、傍らのクメンにすぐに制されて、


「ははは、(ソオル)をするには戦地を選ばねばならぬ。『戦いの(ガヂャル)、戦いの(ウドゥル)を知らざれば会戦すべからず』と謂うではないか。意味なく兵を動かすのは愚計というものだ」


 アサンは微笑を浮かべて推移を見守っていたが、おもむろに口を開くと、


「みなさん(はや)りすぎです。決戦を考える前に、まずは我が軍の形を整えることが先決です」


 クミフが尋ねて、


「軍の形って何?」


「名を明らかにして(モル)を示し、権を明らかにして(ヂャサ)を示す。それが『形』です」


「さっぱり解らないんだけど……」


 アサンは微笑むと、静か(ヌタ)な口調で言った。


「我々は兵を挙げましたが、将兵のすべてがその真の意義を解っているとは言えません。勢いのあるうちはそれでも大過ないでしょうが、敵は尋常の相手ではありません。苦戦を()いられ、戦が長引けば自ずと士気は低下します。そのとき軍を支えるのは統一された意志(オロ)です。ゆえに全軍に大義名分を明示し、兵をして将と意を同じくせしめるべきです。これがすなわち軍の『道』と呼ばれるものです」


 みな黙ってアサンの語りたる言葉(ウグレグセン・ウゲ)反芻(ヒベフ)している。さらに続けて、


「およそ軍においては、その権のあるところを明確にし、指揮の系統を確立しておかなければ必ず混乱が生じます。そのためにも新たな体制に通じるべき編成を、今から誰の目にも明らかにしておくことです。これがすなわち軍の『(ヂャサ)』と呼ばれるものです」


 諸将の顔を見回すと、


「つまり、我らの新たな主君(エヂェン)をしかと定めて、全軍に公表せよということです。それによって初めて諸氏の連合軍は一個の強兵となりうるのです」

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