第 七 回 ②
サルカキタン大軍を弄ばれ竟に連丘に迷い
テクズス小心を嗤われ僅かに一命を得る
まさかの敗戦の報を受けて、サルカキタンの顔は次第に紅潮してくる。
「キヤトはどうした?」
「わかりません。もしかしたら……。いえ、わかりません」
いよいよサルカキタンは怒りに頬を震わせ、しばらくはものを言うこともできない。そこへシャキが言った。
「族長、これは侮れませぬぞ」
すると俄かに激昂して、
「うるさい! これより全軍を発し、小僧どもを叩き伏せてくれるわ! テクズス、お前が先駆けて、アイヅムの力を見せよ」
「はっ!」
瞬く間に進軍の準備が整う。
「族長、忿りに任せて攻めてはなりませぬ。よく地形を査べてから進みましょう」
シャキが重ねて進言したが、サルカキタンは耳を貸さない。
「臆したか! 敵はたかだか六千騎、我が一万の精鋭が負けるとでも言うのか。先には幸運にも勝ちを拾わせたが、我が怒りに火を点けたことを後悔させてくれる」
「出過ぎたことを申しました。臆病と言われるはこの上ない恥、族長の手足となって小僧どもを討ってご覧に入れましょう」
シャキは内心はなはだおもしろくなかったが、ひとまず退く。そのとき、前軍のテクズスから伝令があった。
「敵兵が現れました。その数、五百!」
サルカキタンはにやりと笑うと、
「テクズスに伝えよ。行け! 蹴散らしてまいれ!」
またシャキが進み出て、
「敵の策に留意するよう、とも伝えろ」
それを聞くや、サルカキタンは烈火のごとく怒った。
「先からお前は士気を殺ぐことばかり言う。臆病者め、よいわ、下がってジュチ・ムゲと替われ! 後軍にて我らの勝利を指を咥えて見ておれ」
シャキはむっとした表情で後方へ退いた。
さて、一万騎の前に敢然と姿を現した五百騎を率いるのは、神のごとき智謀の主、セイネン・アビケル。見れば青い兜に青い鎧、手には長剣をきらめかせ、蒼毛の駿馬に跨がっている。配下の騎兵もみな蒼毛の馬に騎り、掲げるはやはり青い旗。
テクズスは命が届くや、勇躍して突撃を試みた。セイネンはそれを見て剣をひと振り、するとたちまち退却に転じる。
「はは、見よ。あわてて逃げ出したぞ! 追え、追え!」
アイヅム軍三千は砂塵を巻き上げ、これを追った。ベルダイ軍七千もそれに続く。セイネンは少し退くと反転して矢を放ち、敵が迫るとまた逃げる。
テクズスは躍起になってそれを追った。やがてセイネンは行く手の丘を回り込んで視界から消えてしまった。
「あの丘の向こうだ!」
テクズスはまるで疑うこともせずにあとを追って、同じように丘を回り込む。と、敵兵の姿が見当たらない。不審に思って追撃の足を止める。中軍の到着を待って指示を仰ごうとしたところ、配下の兵が俄かに声を挙げた。
「族長、ご覧ください! あそこに青い旗が!」
見ればさらに前方の丘の陰に青い旗がちらついている。
「小癪な! こそこそと逃げ回りおって。今、その首を刎ねてくれよう」
再び進撃を命じる。行く手には丘が幾重にも折り重なっている。青い旗はうねうねとその間を移動していく。テクズスは折れよとばかりに鞭を振るって馬を急がせたが、どうしたことか一向に追いつけない。旗は相変わらず同じ速さで淡々と移動している。
「これはおかしい。何か策があるのではないか」
思ったときにはすでに遅く、連丘の奥深く入り込んだあとだった。
「しまった。これはキヤト殿が嵌まったのと同じ手、いかがいたそう」
傍らにいたバタクに問えば、
「ここで挟撃されればキヤトと同じように壊滅してしまいます。手近な丘に登って陣を布きましょう」
「よし、全軍左手の丘に登れ!」
三千騎は肝の縮む思いで駆け上がった。何とか布陣を了えたちょうどそのとき、銅鑼の音とともに周囲の丘に一斉に旗が翻った。
北の丘には白い旗が、南の丘には黒い旗が、東の丘には青い旗が、西の丘には赤い旗が無数に並べられる。そしてどっと大喊声が挙がる。
テクズスとバタクは震え上がって目を白黒させるばかり。まさに神出鬼没、いったい敵はどこへ潜んでいたのやら、上天から降ったか、大地から湧いたかといったところ。逆に先ほどまで後方に見えていた友軍はどこにも見当たらない。
「どうしたということだ。これでは身動きできんぞ」
「族長が敵を破るのを待つしかありません」
「サルカキタン大人はどこにおるのだ」
「おそらくあの丘の向こうあたりでは……」
バタクの指すほうを見ても、あるのは敵の旗ばかり。
実を言えば、四方に配された兵はそれぞれ百人にも満たなかった。しかも老人や女まで混じっている。旗を増やして敵の目を欺く偽兵の策、もちろんセイネンの智謀によるもの。
テクズスらはそんなこととは露知らず、怯えるのみであった。