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草原演義  作者: 秋田大介
巻五
246/785

第六 二回 ② <アサン登場>

アサン心を究めて急火箭の陋見(ろうけん)(さと)

スク鷹を追って蒼鷹娘の艶美に()

 二人は草原(ケエル)を駆け抜けて、格別のこともなくネサク氏のアイルに到着する。迷わずシン・セクを訪ねれば、果たしてそこに居て二人を迎える。


「おお、珍しいな。どうした?」


 ボッチギンが苦笑しながら、


「こいつが道理(ヨス)が解らなくて困っている。君が教えてやってくれ」


「道理が解らぬのはどっちだ! なあ、麒麟児、カンの横暴をこれ以上許しておいては、天意に逆らうってものじゃないか。すぐにも決起して討つべきだろう」


 勢い込んでヨツチが言えば、シンは唖然として次いで呵々大笑。ヨツチは期待が外れて呆然とする。


「まあ、座れ。俺もつい先日までお前と同じ(アディル)意見だった」


「やはりそうだろう!」


「うるさい、最後まで聞け。この前、チルゲイが戻ったと聞いて、やはりお前のように飛んでいったのだが、奴に(さと)された」


「諭された?」


 わけがわからずに聞き返せば、頷いて言うには、


そうだ(ヂェー)。奴は言った。『軽挙に(はや)るのは易しい(アマルハン)が、それは匹夫の勇だ』とな」


「匹夫の勇?」


 (ニドゥ)を円くして繰り返せば、シンは笑って、


「そしてこうだ。『敗れても己独りは満足できよう。だが一人の満足のためにことを(やぶ)ってたまるか』。まあ、そのとおりだ。これは奴のほうが一理ある」


「麒麟児、お前もそんな言葉(ウゲ)に騙されたのか!」


「騙された? なるほど。だが急火箭よ、考えることについてはチルゲイやヒラトのほうが得意だ。奴らが(アマン)を揃えて早いって言うんだから間違いあるまい。ここは黙って(カラ)の下るまで(クチ)を蓄えておけ」


 ヨツチは今ひとつ釈然としない様子。ボッチギンは笑みを浮かべて、


「麒麟児、君も変わったなあ。以前はこいつと同じようだったが、今は冷静だ」


「ははは、揶揄(からか)うな。そうだ、お前はこんな言葉を知らぬか。チルゲイに教わったのだが好い言葉だ。『士、三日会わずんば刮目(かつもく)して相待て(注1)』というのだ」


「ほう、学を語るようになったか。ははは、これはうかうかしておれぬ。その調子でヒラトやアサン・セチェンをも(おびや)かすようになればたいしたもんだ。学のある麒麟児か、これはおもしろい(ソニルホルトイ)


「揶揄うなと言ってるだろう!」


 笑いながら怒鳴りつければ、ボッチギンも笑って謝る。独りヨツチは腕組みして考え込んでいたが、やがて(しか)め面で言うには、


「たしかに俺は考えるのは不得手だ。でもこれに関してはカンとその奸臣を斬ればすむことじゃないのか?」


 それを聞いて二人は呆れ顔でこれを見る。ボッチギンは首を振ると、


「よし、ではもう少し(フル)を延ばして、カオエンのアイルに行こう」


「次は誰だ」


「もう君を(さと)らせるものは、一人を除いておるまいよ」


 そう言うばかりで名を教えない。ヨツチは不平顔ながらあとに続く。ふと見ればシン・セクも出てきて同行を求める。断る理由もないので、三人(くつわ)を並べてカオエンへ向かった。


 やはり格別のこともなくカオエン氏のアイル。ボッチギンが言った。


「ここだ」


 シンは得心して頷く。馬を繋いで案内を請えば、一人の童子(ニルカ)が出てきて中へ通す。主人が端座してこれを迎えた。


「やあ、よく来ましたね。そろそろ来るころだと思っていました」


 その人となりはといえば、


 年のころは二十歳を幾つか出たばかり、身の丈は七尺半、(テリウ)には高冠(ボクタ)を戴き、身には白き長袍を(まと)い、角面細目、尖った(ハマル)、薄い(オロウル)(ひとみ)に光あり、(オロ)(ガル)あるも、湖水(テンギス)のごとく静か(ヌタ)な笑みを(たた)え、品にして方、座して大山(アウラ)のごとく、人衆(ウルス)はその仁を慕い、好漢(エレ)はその義に()り、愚者はその智を(たた)え、凡夫はその聖に化す、まさしく天徳を体現した真の偉丈夫。これぞ君子アサン・セチェン。


「さすがアサン、我らが来るのを予期(ヂョン)していたか」


 シン・セクが感心して言えば、


いえいえ(ブルウ)。ただカントゥカが戻ったと聞いたので、そろそろ騒ぎが起きるのではと憂えていただけです」


 そう言って席を勧める。ボッチギンが早速口を開いて、


「ここにあるヨツチがどうしても道理を解ってくれないのだ。ここは貴公の力を借りるほかないというわけで参った」


 アサンがゆっくりとヨツチを見れば、決まり悪そうに目を伏せる。


「急火箭殿はいったいこの二人と何を言い争ったのですか?」


 しばらく言い(よど)んでいたが、やがて意を決すると、


「アサンも、カンの暴虐には心を痛めておろう。天命(ヂヤー)を失った非道の(エルキム)は討たねばならぬ。カントゥカが帰ったと聞いて、いよいよ決起かとて赴けば、ここにあるボッチギンらがおとなしくしておれと言う。ヒラトやチルゲイも同じ意見らしいが、こうしている間にも人衆は苦しんでいるのだ。一刻も早く兵を挙げることこそ天意にかなっていると思うのだが、どうだろう? やはり間違っているのか?」


 アサンは最後まで黙って(チフ)を傾ける。語り終えたあともしばらく黙考の(てい)であったが、(ようや)く口を開くと言った。


「なるほど。急火箭殿にも一理はある」


 これを聞いてヨツチは愁眉を開き、余の二人はおおいにあわてる。

(注1)【士、三日会わずんば……】士たるものは、三日も会わなければどれだけ成長しているかわからないので、目をこすってよくよく見なければいけない、という意味。「刮目(かつもく)」は、目をこすってよく見ること。

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