第六 二回 ① <ヨツチ、ボッチギン登場>
アサン心を究めて急火箭の陋見を諭し
スク鷹を追って蒼鷹娘の艶美に遇う
さて、メンドゥ河の西に割拠するウリャンハタ部では、不穏な空気が醸成されつつあった。というのも、ミクケル・カンがオロンテンゲルの山塞でジョルチ部に敗れたあと、奸臣を侍らせて暴君と化したことに端を発している。
カオエン氏のヒラトや、スンワ氏のカントゥカなどの好漢はこれを憂え、同じ不満を抱く若い世代による革命の機会を窺っていた。
とはいえ、カンの権勢はいまだ強く、一朝にこれを覆すことは難しかった。そこで逸る心を抑えつつ雌伏せざるをえなかったのである。
そうこうするうちに四年に近い歳月が流れていた。ミクケルの圧政は日に苛烈を加え、人衆の怨嗟の声は野に満ちた。
ネサク氏の族長シン・セクなど急進派の憤怒は頂点に達し、カムタイの知事ズキン・ヂドゥ父子誅殺でそれは暴発寸前となった。
そんなときに奇人チルゲイが帰還した。チルゲイはヒラトの嘆きに応じて、カントゥカ召還を進言した。チダ氏族長カムカ・チノに、北方の守備を交替させるよう勧めたのである。
麒麟児シン・セクは、この報に喜び勇んでチルゲイを訪ねたが、その焦慮を戒められた。それはヒラトの意を受けて為したことである。ヒラトは政権の中枢にありながら、奸臣の跋扈を許していると見られて急進派に抑えが効かなくなっていたのである。
古言に「謀事は密をもって成る」と謂うとおり、ことの成就のためには軽挙を戒めねばならなかった。一人でも妄動に駆られれば、ことを毀る恐れがある。すべて秘密裡に運ばなければならない。
シンは果たしてチルゲイの言葉に順ったが、ここにもう一人、急進派の筆頭と目される好漢があった。すなわちダマン氏族長ヨツチ。その人となりはといえば、
年のころは二十歳を幾つか過ぎたほど、身の丈は七尺足らず、円い顔に小さな眼、豹のごとき体躯、雷のごとき気性にて、短躯なるも大敵を恐れず、ひとたび怒れば前後を忘れ、ひとたび憤れば左右を顧みぬ直情径行の士。その激しい気性から、人呼んで「急火箭」、またの名を「矮豹子」。
ヨツチは辺り憚らず不満を表していたため、常々窘められていたが、一向に改める様子もなくヒラトらを悩ませていた。
チルゲイとシンらが会ってから十日ほどあとのこと。カントゥカが帰ってきたと聞いたヨツチは勇躍して馬を飛ばし、スンワ氏のアイルに赴いた。案内も請わずそのゲルに踏み込むや、
「カントゥカ! 決起はいつだ!?」
大声で叫んで居並ぶ人を驚かす。あわててカントゥカの傍らにいた男が、その口を押さえて座らせる。ヨツチはその手を振りほどくと、怒鳴りつけて言った。
「何しやがる! お前はいつから義を弁えぬ奴になった!」
「騒ぐな。ここをどこだと思っている。カンの宮廷があるスンワ氏のアイルだぞ。まったく寿命が縮まるわ」
そう答えた男の人となりはといえば、
年のころはやはり二十歳過ぎ、身の丈は七尺少々、暗い目の底に大智を宿し、虚ろな口の奥に雄弁を伏し、黒き眉、白き面、低き鼻、高き歯、風采は上がらぬもその痩躯に天下の大才を秘めた一個の好漢。これぞスンワにその人ありと言われたボッチギン。渾名があって、その名も「渾沌郎君」。
ヨツチは憤懣やる方なく腕組みして頬を膨らませると、
「ボッチギン! お前たちが戻ったからには決起の日は近いのだろう!」
「ああ、そう決起々々と言うな。聞こえなかったのか。カンのオルドの近くだぞ。誰が聞いているか知れたものではない」
「聞こえたってかまうものか! 俺は毎日そればかり思って暮らしているんだ。ヒラトの奴は奸臣に媚びてばかりで恃みにならぬし、スク・ベクは鬱ぎ込んでばかり。どいつもこいつも話にならぬ! お前らが戻ったと聞いて今度こそはって思ったんだが、違うのか?」
ボッチギンは困惑した顔で振り返ると、
「カントゥカ、この阿呆に何とか言ってやってくれ」
それを聞いて、
「阿呆だと! 阿呆って言いやがったな! お前も腰抜けどもと同じか。……ああ、義はいつになったら行われるのだ」
ついにはテンゲリを仰いで慨嘆する。カントゥカは眉を顰めてこれを見ていたが、やがて言った。
「矮豹子よ、お前がそう騒ぎ立てているのがカンの耳に入ってみろ。先手を打たれて一網打尽だ。少しはみなに倣っておとなしくしていてはどうだ」
「ならばこっちが先手を打てばよいではないか!」
カントゥカの顔にみるみる怒気が漲る。
「まだ解らぬか。俺も気が長いほうではないぞ!」
見かねたボッチギンがあわてて言うには、
「急火箭、ついてこい。会わせたいものがいる」
ヨツチはやむなく立ち上がる。
「どこへ行く?」
「シン・セクのもとへ」
これを聞くと大喜びで、
「麒麟児ならきっと俺の志を解ってくれよう」




