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草原演義  作者: 秋田大介
巻五
244/785

第六 一回 ④ <クメン登場>

チルゲイ勧めて牙狼の将を北辺に派し

シン・セク往きて異相の娘を西原に見る

 目指すゲルに着くと、中から大笑いする(ダウン)が聞こえる。二人はともに首を(かし)げて(ニドゥ)を見合わせる。


「あいつめ、こんなときに高笑いか。外まで漏れているぞ」


先客(ヂョチ)がいるのではないか」


 サチはそう言って、さっと戸張(エウデン)を開く。


「おお、花貌豹。久々だな、入れ、入れ!」


 すぐに気づいたチルゲイが嬉しそうに差し招く。


「麒麟児とともに来たのだが、客があるなら帰るぞ」


 サチが言うのを押し退()けて、シンが厳しい(ヌル)で入ってくる。


いや(ブルウ)、帰らぬ。やい、奇人。部族(ヤスタン)危機(アヨール)に何を笑うことがある!」


「ははあ、相変わらずだな。座れ、座れ。そういつも(しか)め面では、(アミン)が幾つあっても足りぬぞ」


「やかましい!」


 そう言いつつどっかと腰を下ろす。サチもまた無表情にそれに続く。チルゲイは二人を迎えて莞爾と笑うと、杯を手渡しながら、


「久々に帰ると、客が多いな。今もクメンと飲んでいたところだ」


 その言葉(ウゲ)傍ら(デルゲ)を見れば、やはり満面に笑みを(たた)えた好漢(エレ)が座している。その人となりはといえば、


 身の丈七尺半、(フムスグ)は墨で引いたがごとく、(オロウル)は紅で染めたがごとく、大きな眼、(ひろ)(マグナイ)、胴は(ウヘル)のごとく、腕は熊のごとく、柔らかな(ゲデス)、太い(クヂゥウド)(チナル)は闊達にして明朗、智の光を(やわ)らげ、(バルアナチャ)を楽しませる(アルガ)に抜きんでた一個の好漢。これぞカオエン氏のクメン。人は称す、「笑破鼓」と。


「笑破鼓ではないか。どうせまたくだらぬ(ソニルホルグイ)ことで盛り上がっていたのであろう」


 シン・セクが決めつければ、クメンは悠揚迫らず言うには、


「はっはっは。人生にはゆとりが必要だぞ。シン、特に(オロ)に秘めるところのあるものは、それを隠さねばならん。はっはっは!」


 何がおかしいのか大笑い。シンは呆れて言った。


「俺は昔日(エルテ・ウドゥル)からこいつのことが解らん。韜晦(とうかい)(注1)しているのか、ただの愚者(アルビン)なのか見当もつかん」


「はっはっは。抜きんでれば叩かれる。光れば(うと)まれる。自重するに()くはない。単純な道理(ヨス)ではないか。はっはっは!」


「ええい、笑うな! 俺はチルゲイとまじめな話をしに来たのだ」


 苛立って怒鳴ったが、馬耳東風とばかりに聞き流す。代わってチルゲイが、


「まじめな? ははは、まじめだからこそ飲み、歌い、笑いながら話そうではないか。笑破鼓の語りたる言葉(ウグレグセン・ウゲ)は至言、至言。ははは!」


「お前もか。何だ、わざわざ来てみればこの有様。俺は帰るぞ!」


 席を蹴ったところにやっとタクカが到着する。(いぶか)しげな顔で入ってくると、


「何だ、どういう話になっているのだ? 笑い声と怒鳴り声が交互に響いているぞ。みな薄気味悪がっておるわ」


 その間の抜けた表情を見て、(にわ)かにサチが笑いだす。今まで表情なく座していた男装の麗人の突然の笑い声に、みな呆気にとられる。言うには、


「お前ら、みなまじめなのにひとつも噛み合ってない。これを笑わずにいられようか。タクカも来たことだし、気を落ち着けよう」


 シンも気勢を()がれてやむなく座り直す。タクカもわけのわからぬまま席に着く。チルゲイはやはり笑いながらタクカの杯を用意する。


 改めて五人の好漢は席を定めて杯を交わす。五人とはすなわちカオエン氏のチルゲイ、サチ、クメン、ネサク氏のシン、タクカである。みなかつて知ったる盟友(アンダ)、名乗り合う必要もない。


 開口一番、シン・セクが目を光らせつつチルゲイに問う。


「お前がカントゥカを呼び戻すよう勧めたそうではないか。いよいよヒラトも意を決したか」


 涼しい顔で答えて言うには、


「勧めた。しかしまだときは至らぬ。君の悪い癖だ。ことを急ぎすぎる」


「もう待てぬ。心あるものはみな憂えているぞ。怨嗟の声は野に満ち、誰もがミクケルの失脚を願っている。お前はカムタイの一件を聞かなかったのか」


聞いた(ソノスクサン)


「ならばなぜ、そんな平気(ガイグイ)な顔を……」


 色を成して詰め寄ろうとしたところ、(ガル)を挙げて制すると、


「平気、というわけではない」


 その表情はいつの間にか硬く険しいものに変わっている。シンは思わず気圧(けお)されて(アマン)(つぐ)む。チルゲイが説いて言うには、


怒り(アウルラアス)に任せて、軽挙に(はや)るのは易しい(アマルハン)。しかしそれは匹夫の勇というものだ。敗れても己独りは満足できよう。だが我々の成さんとしていることはそれに止まってはいけない。機を計り、用を整えて、きっと成就せねばならん。みなそれに心を砕いているというのに一人の満足のためにことを(やぶ)ってたまるか。麒麟児、君も(エレ)を自任するなら、道理を(わきま)えよ」


 シンは言葉に詰まってうなだれる。代わってタクカが尋ねて言うには、


「カントゥカを呼び戻したのはなぜだ?」


「無論、そのときに備えてのことだ。そう遠い(ホル)話ではない。だがことを起こすには、その直前こそ慎重にならなければならない。事前に漏れては何にもならぬ」


 サチが感心したように頷くと、


「奇人も笑ってばかりいるわけではないのだな。安心した」


 それを聞いてもとの陽気な顔に戻ると、


「おう、安心しておけ。よいか、我らの願いはただひとつ(ガグチャ)。しかし安易に騒いでは成るものも成らぬ。ここは密かに、密かに」


「解った。お前に(したが)おう」


 シン・セクが言えば、クメンが笑いだして、


「麒麟児は賢明(ボクダ)だなあ。一諾すれば決して(たが)えるまい。はっはっは、大慶だのう」


 シンはこれを睨みつけると、


「だからお前は何でそこで笑う! 口を縛っておけ!」


 一同は大笑い。あとはお決まりの宴となったが、くどくどしい話は抜きにする。


 さて、いよいよ好漢丈夫は(オド)のごとく現れて、非道の(エルキム)の命旦夕に迫るという次第になるのだが、これぞまさしく天命(ヂヤー)なくんば人衆(ウルス)を治めるを得ず、好漢相対してその罪を責めるといったところ。さらに有為の士が続々と大義の(トグ)の下に集まることになるが、果たしていかなる人物が登場するか。それは次回で。

(注1)【韜晦(とうかい)】自分の本心や才能、地位などを包み隠すこと。

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