第六 一回 ④ <クメン登場>
チルゲイ勧めて牙狼の将を北辺に派し
シン・セク往きて異相の娘を西原に見る
目指すゲルに着くと、中から大笑いする声が聞こえる。二人はともに首を傾げて目を見合わせる。
「あいつめ、こんなときに高笑いか。外まで漏れているぞ」
「先客がいるのではないか」
サチはそう言って、さっと戸張を開く。
「おお、花貌豹。久々だな、入れ、入れ!」
すぐに気づいたチルゲイが嬉しそうに差し招く。
「麒麟児とともに来たのだが、客があるなら帰るぞ」
サチが言うのを押し退けて、シンが厳しい顔で入ってくる。
「いや、帰らぬ。やい、奇人。部族の危機に何を笑うことがある!」
「ははあ、相変わらずだな。座れ、座れ。そういつも顰め面では、命が幾つあっても足りぬぞ」
「やかましい!」
そう言いつつどっかと腰を下ろす。サチもまた無表情にそれに続く。チルゲイは二人を迎えて莞爾と笑うと、杯を手渡しながら、
「久々に帰ると、客が多いな。今もクメンと飲んでいたところだ」
その言葉に傍らを見れば、やはり満面に笑みを湛えた好漢が座している。その人となりはといえば、
身の丈七尺半、眉は墨で引いたがごとく、唇は紅で染めたがごとく、大きな眼、濶い額、胴は牛のごとく、腕は熊のごとく、柔らかな腹、太い首、性は闊達にして明朗、智の光を和らげ、衆を楽しませる才に抜きんでた一個の好漢。これぞカオエン氏のクメン。人は称す、「笑破鼓」と。
「笑破鼓ではないか。どうせまたくだらぬことで盛り上がっていたのであろう」
シン・セクが決めつければ、クメンは悠揚迫らず言うには、
「はっはっは。人生にはゆとりが必要だぞ。シン、特に心に秘めるところのあるものは、それを隠さねばならん。はっはっは!」
何がおかしいのか大笑い。シンは呆れて言った。
「俺は昔日からこいつのことが解らん。韜晦(注1)しているのか、ただの愚者なのか見当もつかん」
「はっはっは。抜きんでれば叩かれる。光れば疎まれる。自重するに若くはない。単純な道理ではないか。はっはっは!」
「ええい、笑うな! 俺はチルゲイとまじめな話をしに来たのだ」
苛立って怒鳴ったが、馬耳東風とばかりに聞き流す。代わってチルゲイが、
「まじめな? ははは、まじめだからこそ飲み、歌い、笑いながら話そうではないか。笑破鼓の語りたる言葉は至言、至言。ははは!」
「お前もか。何だ、わざわざ来てみればこの有様。俺は帰るぞ!」
席を蹴ったところにやっとタクカが到着する。訝しげな顔で入ってくると、
「何だ、どういう話になっているのだ? 笑い声と怒鳴り声が交互に響いているぞ。みな薄気味悪がっておるわ」
その間の抜けた表情を見て、卒かにサチが笑いだす。今まで表情なく座していた男装の麗人の突然の笑い声に、みな呆気にとられる。言うには、
「お前ら、みなまじめなのにひとつも噛み合ってない。これを笑わずにいられようか。タクカも来たことだし、気を落ち着けよう」
シンも気勢を殺がれてやむなく座り直す。タクカもわけのわからぬまま席に着く。チルゲイはやはり笑いながらタクカの杯を用意する。
改めて五人の好漢は席を定めて杯を交わす。五人とはすなわちカオエン氏のチルゲイ、サチ、クメン、ネサク氏のシン、タクカである。みなかつて知ったる盟友、名乗り合う必要もない。
開口一番、シン・セクが目を光らせつつチルゲイに問う。
「お前がカントゥカを呼び戻すよう勧めたそうではないか。いよいよヒラトも意を決したか」
涼しい顔で答えて言うには、
「勧めた。しかしまだときは至らぬ。君の悪い癖だ。ことを急ぎすぎる」
「もう待てぬ。心あるものはみな憂えているぞ。怨嗟の声は野に満ち、誰もがミクケルの失脚を願っている。お前はカムタイの一件を聞かなかったのか」
「聞いた」
「ならばなぜ、そんな平気な顔を……」
色を成して詰め寄ろうとしたところ、手を挙げて制すると、
「平気、というわけではない」
その表情はいつの間にか硬く険しいものに変わっている。シンは思わず気圧されて口を噤む。チルゲイが説いて言うには、
「怒りに任せて、軽挙に逸るのは易しい。しかしそれは匹夫の勇というものだ。敗れても己独りは満足できよう。だが我々の成さんとしていることはそれに止まってはいけない。機を計り、用を整えて、きっと成就せねばならん。みなそれに心を砕いているというのに一人の満足のためにことを毀ってたまるか。麒麟児、君も士を自任するなら、道理を弁えよ」
シンは言葉に詰まってうなだれる。代わってタクカが尋ねて言うには、
「カントゥカを呼び戻したのはなぜだ?」
「無論、そのときに備えてのことだ。そう遠い話ではない。だがことを起こすには、その直前こそ慎重にならなければならない。事前に漏れては何にもならぬ」
サチが感心したように頷くと、
「奇人も笑ってばかりいるわけではないのだな。安心した」
それを聞いてもとの陽気な顔に戻ると、
「おう、安心しておけ。よいか、我らの願いはただひとつ。しかし安易に騒いでは成るものも成らぬ。ここは密かに、密かに」
「解った。お前に順おう」
シン・セクが言えば、クメンが笑いだして、
「麒麟児は賢明だなあ。一諾すれば決して違えるまい。はっはっは、大慶だのう」
シンはこれを睨みつけると、
「だからお前は何でそこで笑う! 口を縛っておけ!」
一同は大笑い。あとはお決まりの宴となったが、くどくどしい話は抜きにする。
さて、いよいよ好漢丈夫は星のごとく現れて、非道の主の命旦夕に迫るという次第になるのだが、これぞまさしく天命なくんば人衆を治めるを得ず、好漢相対してその罪を責めるといったところ。さらに有為の士が続々と大義の旗の下に集まることになるが、果たしていかなる人物が登場するか。それは次回で。
(注1)【韜晦】自分の本心や才能、地位などを包み隠すこと。




