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草原演義  作者: 秋田大介
巻五
243/785

第六 一回 ③ <タクカ、サチ登場>

チルゲイ勧めて牙狼の将を北辺に派し

シン・セク往きて異相の娘を西原に見る

 シン・セクはおおいに苛立って、


「立て、スク! 剛力(クチュトゥ)も衰えるぞ。いよいよ暴君(ハラ・エルキム)を討って、積年の鬱屈を払うときが来たのだ。カントゥカ召還はその端緒に相違ない!」


 興奮のあまり、落ち着かぬ様子でスクの周りをぐるぐると歩き回る。たまらずスクは(ガル)を挙げて言った。


「とりあえず座ってくれ。(テリウ)が痛くなりそうだ」


「うん? 愚かなことを言うな。男児(エレ)として生まれて、この大事を前に悠長に座ってなどおれるか!」


 やはりスクの周囲を(めぐ)りつつ、拳を固めて言うには、


「我らの世がいよいよ来る。暴虐の主を(しい)して、新たな世を築くのだ。ヒラトが止めねば単身乗り込んであの首を()ねてやるのだが」


 スクは長嘆息して、


「よく解った。座れなどとは言わないから、気のすむまで回ってくれ」


 吐き捨てれば、シンはぴたりと(フル)を止めて、


いや(ブルウ)、座る。(ボロ・ダラスン)はないのか」


 もはや何も言わずに二、三度首を振ると、側使い(エムチュ)に酒食を用意させる。ちょうどそこに新たな客人(ヂョチ)が飛び込んできた。


「シン! やはりここにいたか、捜したぞ」


「おお、タクカ。どうした、今から飲むところだ。座れ、座れ」


 まるで己の家のごとく客を手招くと言うには、


「スク、杯をもうひとつ持ってこい!」


 新来の客も遠慮なく着席したが、その人となりはといえば、


 年のころはやはり二十歳を幾つか過ぎたほど、身の丈は七尺半、白面の丈夫にて、(ニドゥ)は漆を点じたがごとく、鼻梁(ハマル)はすらりと通り、痩躯(トランハイ)に衝天の意気を蓄え、頭蓋に天賦(オナガン)の大才を秘めた一個の好漢(エレ)。これぞネサクにその人ありと称された異才タクカ。地理物産に詳しいところから、ついた渾名(あだな)が「知世郎」。


「俺は酒は要らぬ」


 タクカは席に着くなりそう告げた。というのも彼は酒をまったく受けつけぬ(たち)で、馬乳酒(アイラグ)一杯で天地の上下も判らぬほどに酔ってしまうのであった。もちろんシンはそれを知っていたが、杯を突きつけて言った。


「まあ、そう言うな。付き合え」


 タクカも断りがたく、ひと口だけ飲む。みるみる(ハツァル)が紅潮しはじめたのを見て、シンはおおいに笑う。むっとして杯を置くと、


「飲んでいるときではない。用があって捜していたのだ」


「何だ、酩酊する前に言うがいい」


「チルゲイが帰ってきた。カントゥカ召還もあの奇人が勧めたらしい。何やらおもしろい(ソニルホルトイ)ことになりそうだぞ」


 シンはぴくりと(フムスグ)を上げると、


「ほほう、やっとお帰りか。人が揃いつつあるな。さあて、いよいよ計画を練らなきゃな」


 小躍りして、ぐいぐいと杯を干す。ふとスク・ベクを見れば、杯を手にぼんやりとしている。(アマン)を付けた様子もない。シンは俄かに目を吊り上げてその杯を叩き落とすと、


「スク・ベク、女々しいぞ! お前の意思(オロ)にかまわず趨勢は動く。いつまで(ふさ)ぎ込んでいるんだ。そんなことではものの役に立たぬわ!」


 口を極めて罵れば、さすがに怒り(アウルラアス)が込み上げてくる。憤然として立ち上がると大喝して言った。


「言って良いことと悪いことがあろう!」


「はは、怒ったか。よしよし、お前に怒りが残っていて安心したぞ」


 そう言って悠々と飲み続けているので矛を収めざるをえず、むっつりと押し黙って腰を下ろす。(エレグ)を冷やしたタクカも、ほっと(オモリウド)を撫で下ろす。


 と、シンは(にわ)かに杯を置いて、


「こうしてはおれぬ。タクカ、チルゲイのもとへ行くぞ!」


 言うが早いか、もう外へ飛び出している。タクカはおもむろに立つとスクを誘ったが、断ったので「そうか」とひと言残して悠然と出ていく。


「奴があの勢いで走っていったなら、誰も追いつけぬ。ゆっくり行くさ」




 シン・セクは快足を飛ばしてカオエン氏のアイルへ至った。まっすぐにチルゲイのゲルへと向かったが、突然、


「麒麟児」


 呼びかけられたような気がしたので、あわてて足を止めて振り返れば、一人の(オキン)が立っている。その人となりはといえば、


 身の丈は七尺足らず、年は若く、(つや)めく黒髪は短く切り揃えられ、頭には(シャーズガイ)の羽根飾り、身には男子の袍衣(デール)(まと)い、背には朱塗りの(ヂダ)を負っている。その容貌(クナル)を問えば、小さい鼻、薄い(オロウル)、また目に(ガル)あり、頬に光ある相にて、(ゴア)と一語で云うは易きも、なおそれのみに留まらぬ魅惑の士。これぞ心に義気を宿した一個の女丈夫、カオエン氏のサチ。やはり渾名があって、その名も「花貌豹」。


「おう、サチではないか」


 挨拶すれば、応えるでもなく無愛想に尋ねて言うには、


「そんなにあわててどこへ行く」


「チルゲイが戻ったと聞いて会いに行くところだ。お前も来るか」


「行こう」


 短く答えると歩きだす。粗暴な口調とは異なり、所作はやはり女性のもの。シンは片方の眉を吊り上げてこれを眺め回すと、


「お前も少しは女らしくなってきたではないか。昔はまったく男のようだったが。あとは話しかたと装束が何とかなれば、女と認めてやらぬでもないぞ」


「余計なことを。別に私は無理に男らしくしようとしているのではない。同じように無理に女と認めてくれなくともよい」


「はあ、そうかい」


 シンは間の抜けた答えを返すと、歩調を合わせてゆっくりと歩きだす。

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