第六 一回 ③ <タクカ、サチ登場>
チルゲイ勧めて牙狼の将を北辺に派し
シン・セク往きて異相の娘を西原に見る
シン・セクはおおいに苛立って、
「立て、スク! 剛力も衰えるぞ。いよいよ暴君を討って、積年の鬱屈を払うときが来たのだ。カントゥカ召還はその端緒に相違ない!」
興奮のあまり、落ち着かぬ様子でスクの周りをぐるぐると歩き回る。たまらずスクは手を挙げて言った。
「とりあえず座ってくれ。頭が痛くなりそうだ」
「うん? 愚かなことを言うな。男児として生まれて、この大事を前に悠長に座ってなどおれるか!」
やはりスクの周囲を回りつつ、拳を固めて言うには、
「我らの世がいよいよ来る。暴虐の主を弑して、新たな世を築くのだ。ヒラトが止めねば単身乗り込んであの首を刎ねてやるのだが」
スクは長嘆息して、
「よく解った。座れなどとは言わないから、気のすむまで回ってくれ」
吐き捨てれば、シンはぴたりと足を止めて、
「いや、座る。酒はないのか」
もはや何も言わずに二、三度首を振ると、側使いに酒食を用意させる。ちょうどそこに新たな客人が飛び込んできた。
「シン! やはりここにいたか、捜したぞ」
「おお、タクカ。どうした、今から飲むところだ。座れ、座れ」
まるで己の家のごとく客を手招くと言うには、
「スク、杯をもうひとつ持ってこい!」
新来の客も遠慮なく着席したが、その人となりはといえば、
年のころはやはり二十歳を幾つか過ぎたほど、身の丈は七尺半、白面の丈夫にて、瞳は漆を点じたがごとく、鼻梁はすらりと通り、痩躯に衝天の意気を蓄え、頭蓋に天賦の大才を秘めた一個の好漢。これぞネサクにその人ありと称された異才タクカ。地理物産に詳しいところから、ついた渾名が「知世郎」。
「俺は酒は要らぬ」
タクカは席に着くなりそう告げた。というのも彼は酒をまったく受けつけぬ質で、馬乳酒一杯で天地の上下も判らぬほどに酔ってしまうのであった。もちろんシンはそれを知っていたが、杯を突きつけて言った。
「まあ、そう言うな。付き合え」
タクカも断りがたく、ひと口だけ飲む。みるみる頬が紅潮しはじめたのを見て、シンはおおいに笑う。むっとして杯を置くと、
「飲んでいるときではない。用があって捜していたのだ」
「何だ、酩酊する前に言うがいい」
「チルゲイが帰ってきた。カントゥカ召還もあの奇人が勧めたらしい。何やらおもしろいことになりそうだぞ」
シンはぴくりと眉を上げると、
「ほほう、やっとお帰りか。人が揃いつつあるな。さあて、いよいよ計画を練らなきゃな」
小躍りして、ぐいぐいと杯を干す。ふとスク・ベクを見れば、杯を手にぼんやりとしている。口を付けた様子もない。シンは俄かに目を吊り上げてその杯を叩き落とすと、
「スク・ベク、女々しいぞ! お前の意思にかまわず趨勢は動く。いつまで鬱ぎ込んでいるんだ。そんなことではものの役に立たぬわ!」
口を極めて罵れば、さすがに怒りが込み上げてくる。憤然として立ち上がると大喝して言った。
「言って良いことと悪いことがあろう!」
「はは、怒ったか。よしよし、お前に怒りが残っていて安心したぞ」
そう言って悠々と飲み続けているので矛を収めざるをえず、むっつりと押し黙って腰を下ろす。肝を冷やしたタクカも、ほっと胸を撫で下ろす。
と、シンは卒かに杯を置いて、
「こうしてはおれぬ。タクカ、チルゲイのもとへ行くぞ!」
言うが早いか、もう外へ飛び出している。タクカはおもむろに立つとスクを誘ったが、断ったので「そうか」とひと言残して悠然と出ていく。
「奴があの勢いで走っていったなら、誰も追いつけぬ。ゆっくり行くさ」
シン・セクは快足を飛ばしてカオエン氏のアイルへ至った。まっすぐにチルゲイのゲルへと向かったが、突然、
「麒麟児」
呼びかけられたような気がしたので、あわてて足を止めて振り返れば、一人の娘が立っている。その人となりはといえば、
身の丈は七尺足らず、年は若く、艶めく黒髪は短く切り揃えられ、頭には鵲の羽根飾り、身には男子の袍衣を纏い、背には朱塗りの槍を負っている。その容貌を問えば、小さい鼻、薄い唇、また目に炎あり、頬に光ある相にて、美と一語で云うは易きも、なおそれのみに留まらぬ魅惑の士。これぞ心に義気を宿した一個の女丈夫、カオエン氏のサチ。やはり渾名があって、その名も「花貌豹」。
「おう、サチではないか」
挨拶すれば、応えるでもなく無愛想に尋ねて言うには、
「そんなにあわててどこへ行く」
「チルゲイが戻ったと聞いて会いに行くところだ。お前も来るか」
「行こう」
短く答えると歩きだす。粗暴な口調とは異なり、所作はやはり女性のもの。シンは片方の眉を吊り上げてこれを眺め回すと、
「お前も少しは女らしくなってきたではないか。昔はまったく男のようだったが。あとは話しかたと装束が何とかなれば、女と認めてやらぬでもないぞ」
「余計なことを。別に私は無理に男らしくしようとしているのではない。同じように無理に女と認めてくれなくともよい」
「はあ、そうかい」
シンは間の抜けた答えを返すと、歩調を合わせてゆっくりと歩きだす。




