第六 〇回 ④
ノイエン隼を撃ちて飛天熊の称を賜り
オノチ的を射て雷霆子の名を衛る
少年騎手たちは続々と帰還する。先着の五頭が馬乳酒の祝福を受けた。シャジの息子は、入賞はできなかったものの見事に完走を果たして、かの歴戦の武人を安堵させた。
皇后となったアネクは、沸き返る群衆を眺めながら、傍らのインジャに囁いて言った。
「私たちの子も競馬で優勝できるような子にしないとね」
インジャは不意を衝かれて、どぎまぎしつつ答えて、
「あ、ああ。そうだな、そんな子に育ってくれればよいが……」
その赤くなった顔を見て、おおいに笑うと、
「この鉄鞭のアネクの血が流れているのです。優勝して当然でしょう」
インジャも見返して莞爾と笑う。そこへすっかり酔っ払ったコヤンサンが割って入って、
「やあやあ、見せつけるではないか! ハーンもハトンも飲め、飲め!」
叫びながら杯を振り回したので、うっかりアネクの裾を濡らす。
「あっ、何するの! 濡れたでしょう!」
たちまち辺りは大騒ぎ。傍にいたカナッサやハツチがあわててコヤンサンを抑えて引き摺るように連れ去る。ハツチが窘めて言うには、
「お主も変わらんな。インジャ様もアネク様も今や部族のハーンとハトンだぞ。山塞にいたころとはわけが違うのだ。弁えよ」
「はああ!? インジャ様はみなの義兄ではないか! ……ん? となるとアネクは義姉さんってわけだ。はっはっは、こりゃおかしい。違うか、カナッサ」
カナッサは困惑して、
「むむう。違うかと言われても……」
ナオルが苦笑しながらやってきて言うには、
「コヤンサン、義兄上は今までどおり我らの義兄に相違ない。だが人衆の目もある。お前がそうやって酔って絡んでいるようでは威厳が害われよう。弁えるとはそういうことだ。お前とて義兄上が侮られるのを望みはするまい」
「何だと!? 義兄上を侮る奴はこのコヤンサンが恕さぬぞ! 誰だ、不逞の輩め、出てきやがれ!」
両手を振り回して気勢を上げたが、やがてハツチの腕の中ですうすうと寝息を立てはじめる。一同はやれやれといった表情で顔を見合わせて大笑い。
タロト部の宿将ゴルタは、マタージ・ハーンを顧みて言うには、
「若いハーン、若いハトン、若い僚友。ジョルチ部は若い力が漲っておりますな。弊習に因われないというのはすばらしいことです。かのものたちなら草原を変えてくれるような気がします」
マタージは高々と笑うと言った。
「何を老人ぶっておるのだ。君も山塞の苦をともに分かった、謂わば兄弟ではないか。若いのは何もジョルチだけではないぞ。マシゲルにはギィがあり、ナルモントのハーンも同世代と聞く。草原は新しい時代を迎えているのだ。刮目してよく視ておけ。旧いものはいずれ居処を失うだろう」
「いかにも」
「ふふ、楽しみではないか」
タロトの主従が言ったとおり、草原では方々で世代が交代していた。ジョルチ、マシゲル、ナルモントのほかでもその萌芽は見える。
ウリャンハタにはカントゥカ、ヒラト、チルゲイらがあり、ヤクマンにもムジカ、アステルノら若い族長が増えていた。彼らはのちに「黄金の世代」と総称されることになるが、今はこの話はここまでにする。
ナーダムはこうしてすべての行事を無事に終了した。
人衆にはおおいに酒食が供されて、七日七晩を通して盛大な宴が催された。方々で明々と篝火が焚かれ、みなそれを囲んで歌い踊った。インジャもアネクを傍らに僚友たちと杯を傾け、人衆に交わって親しく楽しんだ。
三十年に亘る労苦を僅かなりとも癒やし、明日への活力を養うためにおおいに意義ある祭典であった。サノウやサイドゥなど挙行に尽力したものたちは、ほっと胸を撫で下ろしたのである。
諸方の賓客たちも、満足して帰途に就いた。マシゲル部にはナユテが、ナルモント部にはオノチが、返礼の使者として同行したが、くどくどしい話は抜きにする。
ともかくこれでジョルチ部は名実ともに統一が成り、草原に雄飛する基が整った。東原に目を転じればナルモント部に隆盛の気運興り、南原では獅子が人望を集めている。
まさしく「黄金の世代」が趨勢を左右する時勢となりつつあった。ここで西原を覩れば、今もなお旧弊の跋扈し、独り暴戻の主が安逸を貪っている。
動乱の世なれば、かかるものの天命をまっとうするはずもなく、永えのテンゲリの怒りが、必ず悪逆を討つのは理の当然といったところ。奇人チルゲイの帰還を機に西原に大乱が巻き起こることになるが、果たしていかなる経緯を辿るか。それは次回で。




