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草原演義  作者: 秋田大介
巻四
240/785

第六 〇回 ④

ノイエン隼を撃ちて飛天熊の称を賜り

オノチ的を射て雷霆子の名を(まも)

 少年騎手たちは続々と帰還する。先着の五頭が馬乳酒(アイラグ)祝福(ウチウリ)を受けた。シャジの息子(クウ)は、入賞はできなかったものの見事に完走を果たして、かの歴戦の武人を安堵させた。


 皇后(ハトン)となったアネクは、沸き返る群衆(バルアナチャ)を眺めながら、傍ら(デルゲ)のインジャに(ささや)いて言った。


「私たちの(ティギン)も競馬で優勝できるような子にしないとね」


 インジャは不意を衝かれて、どぎまぎしつつ答えて、


「あ、ああ。そうだな(ヂェー)、そんな子に育ってくれればよいが……」


 その赤くなった(ヌル)を見て、おおいに笑うと、


「この鉄鞭(テムル・タショウル)のアネクの(ツォサン)が流れているのです。優勝して当然でしょう」


 インジャも見返して莞爾と笑う。そこへすっかり酔っ払ったコヤンサンが割って入って、


「やあやあ、見せつけるではないか! ハーンもハトンも飲め、飲め!」


 叫びながら杯を振り回したので、うっかりアネクの裾を濡らす。


「あっ、何するの! 濡れたでしょう!」


 たちまち辺りは大騒ぎ。傍にいたカナッサやハツチがあわててコヤンサンを抑えて引き摺るように連れ去る。ハツチが(たしな)めて言うには、


「お主も変わらんな。インジャ様もアネク様も今や部族(ヤスタン)のハーンとハトンだぞ。山塞にいたころとはわけが違うのだ。(わきま)えよ」


「はああ!? インジャ様はみなの義兄ではないか! ……ん? となるとアネクは義姉(ねえ)さんってわけだ。はっはっは、こりゃおかしい。違うか、カナッサ」


 カナッサは困惑して、


「むむう。違うかと言われても……」


 ナオルが苦笑しながらやってきて言うには、


「コヤンサン、義兄上は今までどおり我らの義兄に相違ない。だが人衆(ウルス)(ニドゥ)もある。お前がそうやって酔って(から)んでいるようでは威厳が(そこな)われよう。(わきま)えるとはそういうことだ。お前とて義兄上が侮られるのを望みはするまい」


「何だと!? 義兄上を侮る奴はこのコヤンサンが(ゆる)さぬぞ! 誰だ、不逞の輩め、出てきやがれ!」


 両手を振り回して気勢を上げたが、やがてハツチの腕の中ですうすうと寝息を立てはじめる。一同はやれやれといった表情で顔を見合わせて大笑い。


 タロト部の宿将ゴルタは、マタージ・ハーンを顧みて言うには、


若い(ヂャラウ)ハーン、若いハトン、若い僚友(ネケル)。ジョルチ部は若い(クチ)(みなぎ)っておりますな。弊習(デグ・ヨス)(とら)われないというのはすばらしいことです。かのものたちなら草原(ミノウル)を変えてくれるような気がします」


 マタージは高々(ホライタラ)と笑うと言った。


「何を老人(ウブグン)ぶっておるのだ。君も山塞の苦をともに分かった、謂わば兄弟ではないか。若いのは何もジョルチだけではないぞ。マシゲルにはギィがあり、ナルモントのハーンも同世代と聞く。草原(ミノウル)新しい(シネ)時代を迎えているのだ。刮目してよく視ておけ。旧い(ホウチン)ものはいずれ居処を失うだろう」


いかにも(ヂェー)


「ふふ、楽しみではないか」


 タロトの主従が言ったとおり、草原(ミノウル)では方々で世代が交代していた。ジョルチ、マシゲル、ナルモントのほかでもその萌芽は見える。


 ウリャンハタにはカントゥカ、ヒラト、チルゲイらがあり、ヤクマンにもムジカ、アステルノら若い族長(ノヤン)が増えていた。彼らはのちに「黄金の世代」と総称されることになるが、今はこの話はここまでにする。




 ナーダムはこうしてすべての行事を無事に終了した。


 人衆にはおおいに酒食が供されて、七日七晩を通して盛大な宴が催された。方々で明々と篝火(かがりび)が焚かれ、みなそれを囲んで歌い踊った。インジャもアネクを傍らに僚友たちと杯を傾け、人衆に交わって親しく楽しんだ。


 三十年に(わた)る労苦を僅かなりとも癒やし、明日への活力を養うためにおおいに意義ある祭典であった。サノウやサイドゥなど挙行に尽力したものたちは、ほっと(オモリウド)を撫で下ろしたのである。


 諸方の賓客(ヂョチ)たちも、満足して帰途に就いた。マシゲル部にはナユテが、ナルモント部にはオノチが、返礼(カリラ)の使者として同行したが、くどくどしい話は抜きにする。




 ともかくこれでジョルチ部は名実ともに統一が成り、草原(ミノウル)に雄飛する基が整った。東原に目を転じればナルモント部に隆盛の気運興り、南原では獅子(アルスラン)が人望を集めている。


 まさしく「黄金の世代」が趨勢を左右する時勢となりつつあった。ここで西原を覩れば、今もなお旧弊の跋扈(ばっこ)し、独り暴戻の(エルキム)が安逸を(むさぼ)っている。


 動乱の世なれば、かかるものの天命をまっとうするはずもなく、永え(モンケ)のテンゲリの怒り(アウルラアス)が、必ず悪逆を討つのは理の当然といったところ。奇人チルゲイの帰還を機に西原に大乱が巻き起こることになるが、果たしていかなる経緯(ヨス)を辿るか。それは次回で。

<巻四 終わり>


草原(ミノウル)全土

挿絵(By みてみん)


「巻四 登場人物および関連地図」は、

https://ncode.syosetu.com/n2861ib/4/

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