第六 〇回 ③
ノイエン隼を撃ちて飛天熊の称を賜り
オノチ的を射て雷霆子の名を衛る
その場にはナルモント部のキセイと、マシゲル部のゴロが居合わせた。ゴロがキセイに尋ねて言った。
「あのオノチはジョルチ部一の弓の名手と聞いているが、マシゲル部にもコルブという好漢があって、弓射に長じている。さてどちらの腕が上であろうか」
するとキセイは相変わらず満面に笑みを湛えつつ、
「二人とも、もとはといえば我がハーン、ヒィ・チノに弓を習ったのです。両名の腕はどちらが上とも判りかねますが、ひとつ確かなことは、ヒィ・チノには及ばぬだろうということです」
「ほう、ヒィ・チノの弓とはそれほどのものか。かつてギィと一騎討ち(注1)を演じたことがあったが、そのときは弓は使わなかった」
「ヒィ・チノの渾名を知りませぬか。『神箭将』の名は虚名ではありません」
そのような会話を交わしているうちに、いよいよオノチの番となった。その細い目をさらに細くして、遠くの的を睨んだかと思うと、さっと馬腹を蹴った。みるみる的が近づく。
おもむろに弓を構えると、狙いを定めて一の矢をひょうと放てば、見事に的の中央を射抜く。わあと歓声が轟く。
続いて二の矢をつがえる。躊躇なく放たれた矢は、これも次の的に突き立つ。歓声はさらに大きくなったが、かまう様子もなく最後の的へ向かう。
残りの一本を手にしたかと思うと、それは即座に手を離れる。あまりの速さに観衆はあっと声を挙げたが、次の瞬間には大歓声に変わる。最後の矢も見事に的中していた。
オノチは初めて頬を緩め、ほうと息を吐いて馬首を廻らす。天地をどよもす大歓声、いつ果てるとも知れない興奮が辺りを覆った。好漢たちもみな躍り上がって喜ぶ。もちろん優勝して「メルゲン(弓射に長けたもの)」の称号を手に入れた。
残る競技は競馬ということになる。ナーダムの競馬の騎手は子どもである。大人は何をするかといえば、子のために良馬を選び、調教して当日に備えるのである。
競走馬は五歳馬と決められていて、七十里の道程を駆け抜ける。この日参加した馬は約二千頭。シャジの七歳になる息子も加わっている。騎手の袍衣は動きやすいように作られていて、鳥の刺繍などがあしらわれている。
東方七十里の地点から出発して、ヌンヂ平原を指して帰ってくることになっている。大歓声とともに少年騎手は馬腹を蹴り、小さい手に握った鞭を振り上げた。
草原に延々と観衆が列を成し、それが道標のような役割を果たす。濛々と土煙を上げて駆ける子どもに惜しみない声援が送られる。
ヌンヂ平原ではシャジが落ち着かない様子で歩き回っていた。さながら飢えた熊のごとく。好漢たちは思わず大笑い。シャジは憤然として、
「みなには子がおらぬゆえ解らんのだ。いずれ親になればわしの気も解ろうぞ」
ナハンコルジがそれでも笑いながら、
「見ればまるでシャジ殿が出場しているかのようですぞ。走っているのは貴公の息子、じたばたしても始まりますまい」
「そう言う奴ほど、いざ己の子が出るとなれば青い顔をするに決まっとる。わしも若いころは、お前のように心配する親どもを笑ったもんだ」
涼しい顔でこれを聞いていたクニメイが言うには、
「それにしても草原の民は、幼少より騎馬に親しんでいるのですね。騎手が子どもと聞いて驚きました。街ではそもそもこれほど大きな祭典もないし、まして子どもの競馬など初めて見ました」
セイネンがふと顔を上げて言うには、
「我らにとっても初めてだ。本来ならシャジ殿の息子くらいのころには、我々もああして競馬に出ていただろうに。乱世に生まれたとはそういうことだ」
クニメイははっとして口を噤む。トシ・チノが豪快に笑って、
「ははは、そのとおりだな。我らの幼少のころにはナーダムそのものがなかった。それがこうしてうち興じているのだ、すばらしいことではないか。願わくば我らの子も、孫も競馬に出してやりたいものだ」
周囲の好漢は一様に頷いて、改めてインジャの徳に感謝した。
そうこうするうちに陽は傾き、子どもが戻ってくる時分となった。シャジは目を凝らして彼方を見る。誰からともなく、
「おお、戻ってきたぞ!」
声が挙がる。遠方に僅かに砂塵が舞い上がったかと思うと、やがて先頭を駆ける馬が見えてきた。後続を大きく引き離している。残念なことにそれはシャジの息子ではなかった。好漢たちの背後から、
「あれは俺の子だ!」
と誇らしげな、そして少し安堵した声が聞こえる。大歓声の中、先頭は無事に赤い旌旗を持った騎兵が佇立している決勝線に到達した。
一人の男が走り出て、それを迎える。馬上の子を抱え下ろすと、涙を流して抱き締めた。それはキャラハン氏の生き残りで、セイネンも見知った顔であった。
数人の巫女が酒甕を携えて歩み寄り、優勝した子と馬に馬乳酒を振りかけて祝福する。父親は観衆の中にセイネンの姿を見出だすと駈け寄って、
「族長! 栄えあるナーダムで我が氏族から優勝者を出しましたぞ!」
「ナーダムで優勝したものは、国家の威勢の象徴、部族の宝だ。一度は亡族となり、人の少ない我が氏族から優勝者を輩出したことは、私も誇りに思う。よくやったな」
父親は嬉し涙に頬を濡らして平伏した。
(注1)【ギィと一騎討ち】ヤクマン部のムジカの客となっていたヒィ・チノが、マシゲル部との戦でギィと一騎討ちを演じたこと。第三 七回①参照。




