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草原演義  作者: 秋田大介
巻四
239/785

第六 〇回 ③

ノイエン隼を撃ちて飛天熊の称を賜り

オノチ的を射て雷霆子の名を(まも)

 その場にはナルモント部のキセイと、マシゲル部のゴロが居合わせた。ゴロがキセイに尋ねて言った。


「あのオノチはジョルチ部一の弓の名手と聞いているが、マシゲル部にもコルブという好漢(エレ)があって、弓射に長じている。さてどちらの(エルデム)が上であろうか」


 するとキセイは相変わらず満面に笑みを(たた)えつつ、


「二人とも、もとはといえば我がハーン、ヒィ・チノに弓を習ったのです。両名の腕はどちらが上とも判りかねますが、ひとつ確かなことは、ヒィ・チノには及ばぬだろうということです」


「ほう、ヒィ・チノの弓とはそれほどのものか。かつてギィと一騎討ち(注1)を演じたことがあったが、そのときは弓は使わなかった」


「ヒィ・チノの渾名(あだな)を知りませぬか。『神箭将(メルゲン)』の名は虚名ではありません」


 そのような会話を交わしているうちに、いよいよオノチの番となった。その細い(ニドゥ)をさらに細くして、遠く(ホル)(バイ)を睨んだかと思うと、さっと馬腹を蹴った。みるみる的が近づく。


 おもむろに弓を構えると、狙いを定めて(ネグ)の矢をひょうと放てば、見事に的の中央(オルゴル)を射抜く。わあと歓声が轟く。


 続いて(ホイル)の矢をつがえる。躊躇なく放たれた矢は、これも次の的に突き立つ。歓声はさらに大きくなったが、かまう様子もなく最後の的へ向かう。


 残りの一本を手にしたかと思うと、それは即座に(ガル)を離れる。あまりの速さに観衆はあっと(ダウン)を挙げたが、次の瞬間には大歓声に変わる。最後の矢も見事に的中(オノフ)していた。


 オノチは初めて(ハツァル)を緩め、ほうと息を吐いて馬首を(めぐ)らす。天地をどよもす大歓声、いつ果てるとも知れない興奮が辺りを覆った。好漢(エレ)たちもみな躍り上がって喜ぶ。もちろん優勝して「メルゲン(弓射に長けたもの)」の称号を手に入れた。




 残る競技は競馬ということになる。ナーダムの競馬の騎手は子ども(クウヘド)である。大人は何をするかといえば、(クウ)のために良馬を選び、調教(ボウリ)して当日に備えるのである。


 競走馬は五歳馬(ソヨロン)と決められていて、七十里の道程を駆け抜ける。この(ウドゥル)参加した(モリ)は約二千頭。シャジの七歳になる息子も加わっている。騎手の袍衣(デール)は動きやすいように作られていて、(クシ)の刺繍などがあしらわれている。


 東方七十里の地点から出発して、ヌンヂ平原を指して帰ってくることになっている。大歓声とともに少年騎手は馬腹を蹴り、小さい手に握った(タショウル)を振り上げた。


 草原(ケエル)に延々と観衆が列を成し、それが道標のような役割を果たす。濛々と土煙を上げて駆ける子どもに惜しみない声援が送られる。


 ヌンヂ平原ではシャジが落ち着かない様子で歩き回っていた。さながら飢えた熊のごとく。好漢たちは思わず大笑い。シャジは憤然として、


「みなには子がおらぬゆえ解らんのだ。いずれ親になればわしの気も解ろうぞ」


 ナハンコルジがそれでも笑いながら、


「見ればまるでシャジ殿が出場しているかのようですぞ。走っているのは貴公の息子、じたばたしても始まりますまい」


「そう言う奴ほど、いざ己の子が出るとなれば青い(ヌル)をするに決まっとる。わしも若い(ヂャラウ)ころは、お前のように心配する親どもを笑ったもんだ」


 涼しい顔でこれを聞いていたクニメイが言うには、


「それにしても草原の民は、幼少(バガ・ナス)より騎馬に親しんでいるのですね。騎手が子どもと聞いて驚きました。(バリク)ではそもそもこれほど大きな祭典もないし、まして子どもの競馬など初めて見ました」


 セイネンがふと顔を上げて言うには、


「我らにとっても初めてだ。本来ならシャジ殿の息子くらいのころには、我々もああして競馬に出ていただろうに。乱世に生まれたとはそういうことだ」


 クニメイははっとして(アマン)(つぐ)む。トシ・チノが豪快に笑って、


「ははは、そのとおりだな。我らの幼少のころにはナーダムそのものがなかった。それがこうしてうち興じているのだ、すばらしいことではないか。願わくば我らの子も、(アチ)も競馬に出してやりたいものだ」


 周囲の好漢は一様に頷いて、改めてインジャの徳に感謝した。


 そうこうするうちに(ナラン)は傾き、子どもが戻ってくる時分となった。シャジは目を凝らして彼方を見る。誰からともなく、


「おお、戻ってきたぞ!」


 声が挙がる。遠方に僅かに砂塵が舞い上がったかと思うと、やがて先頭を駆ける馬が見えてきた。後続を大きく引き離している。残念なことにそれはシャジの息子ではなかった。好漢たちの背後から、


「あれは俺の子だ!」


 と誇らしげな、そして少し安堵した声が聞こえる。大歓声の中、先頭は無事に赤い旌旗(フラアン・トグ)を持った騎兵が佇立している決勝線に到達した。


 一人の男が走り出て、それを迎える。馬上の子を抱え下ろすと、涙を流して抱き締めた。それはキャラハン氏の生き残りで、セイネンも見知った顔であった。


 数人の巫女(ボエー)が酒甕を携えて歩み寄り、優勝した子と馬に馬乳酒(アイラグ)を振りかけて祝福(ウチウリ)する。父親(エチゲ)は観衆の中にセイネンの姿(カラア)を見出だすと駈け寄って、


族長(ノヤン)! ()えあるナーダムで我が氏族(オノル)から優勝者を出しましたぞ!」


「ナーダムで優勝したものは、国家(ウルス)の威勢の象徴、部族(ヤスタン)(ダナ)だ。一度は亡族となり、人の少ない我が氏族(オノル)から優勝者を輩出したことは、私も誇りに思う。よくやったな」


 父親は嬉し涙に頬を濡らして平伏した。

(注1)【ギィと一騎討ち】ヤクマン部のムジカの(ヂョチ)となっていたヒィ・チノが、マシゲル部との戦でギィと一騎討ちを演じたこと。第三 七回①参照。

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