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草原演義  作者: 秋田大介
巻四
238/785

第六 〇回 ②

ノイエン隼を撃ちて飛天熊の称を賜り

オノチ的を射て雷霆子の名を(まも)

 観衆の興奮はいやが上にも高まる。かたや身の丈九尺の巨漢(アヴラガ)ノイエン。名を呼ばれると泰然と両手を広げて舞った。かたや身の丈七尺半の勇将カトラ。彼はじっと相手を観ながら華麗に舞ってみせる。


 (デウェー)が終われば、それぞれ構える。ノイエンは遠国にあるという異形の動物、(ザーン)の構え。対するカトラは天翔ける(シバウン)の構え。観衆は(ガル)に汗握り、固唾(かたず)を吞んで見守る。


 先に仕掛けたのはカトラ。気合い一声、得意の蹴りを飛ばして(すね)を狙う。ノイエンは巨体に似合わぬ俊敏な動きでそれを(かわ)すと、わっと両手を伸ばして相手を(つか)まえようとする。


 その下を掻いくぐって(ホイル)(フル)を繰り出す。今度は退かずにぐっと膝を落としてこれを受け止める。その巨体は微動だにせず、カトラは思わず平衡を失った。すかさずノイエンがその上体を(つか)まえたので、観衆からはあっと(ダウン)が挙がる。


 ノイエンの両腕に(クチ)が籠められる。カトラは狼狽しながらも両足を踏ん張って(こら)えようとしたが、


「やっ!」


 気合いとともにその(ビイ)を持ち上げる。そのまま(はず)みをつけると、くるりと旋回してこれを宙に放り投げた。周囲はおうとどよめく。


 と、カトラは虚空で身体を丸めて一回転、見事に体勢を整えて着地した。神技のごとき身の軽さに大喝采。


「へへ、驚かせやがって」


 得意げに言うと、再び構える。ノイエンは(ニドゥ)を円くしたが、同じく構え直す。勝負再開となったが、今度は二人ともすぐにはしかけない。互いに隙を窺ってじりじりと間合いを詰める。


 先に動いたのはノイエンであった。咆哮一声、猛然と突っ込む。カトラは待ってましたとばかりに体を捻ると、横っ飛びに跳躍する。ノイエンは一瞬これを見失って(つまず)く。そこへカトラがさっと足を出して軽く(ノロウ)を押せば、巨体は今にも倒れそうになる。


 誰もが勝負あったと思った瞬間、ノイエンはもう一方の足を力任せに前に出して、何とか踏ん張った。その反応の速さにまたも観衆はどよめく。


 カトラは舌打ちすると、素早く背後に回ろうとする。させじとばかりに、くるりと上体を(めぐ)らして(つか)みかかる。それを避けると、右足を狙って両手で(すく)わんと身を沈めた。


 そのときである。観衆は誰もが我が眼を疑った。


 カトラが今にもノイエンの足を(とら)えようとした瞬間、彼の視界から(にわ)かに相手の姿(カラア)消えた(ブレルテレ)。思わずカトラは膝を突く。驚いてはっと見上げれば、何とノイエンの巨体が宙を跳んでいる。


「しまった!」


 叫ぶと同時にノイエンが覆い(かぶ)さってくる。意表を衝かれたカトラは、それを避ける術もなく下敷きとなる。


「わあ、参った、参った!」


 カトラの声がノイエンの下から響き、決着となった。ノイエンは莞爾として立ち上がると、カトラを助け起こす。いまだに信じられないといった表情で、


「よもや君が跳躍するとは思わなかった」


 そう言うと、身を低くしてノイエンの(わき)の下をくぐって敗北を認めた。観衆もやっと我に返ると、これまでにないほどの大歓声で勝者を讃えた。


 インジャらもノイエンが体躯に似合わぬ俊敏さを見せたのに驚いていたが、はっとして立ち上がるとこれをおおいに祝福した。インジャは二人を招くと、これを祝して言った。


「見事であった。天王(フルムスタ)様もきっと満足されたことだろう。勝ったノイエンには栄誉を称えて『国の巨人(ウルスィン・アヴラガ)』の称号を与えよう。またカトラは敗れはしたが実に巧みな技を披露した。そこで『国の隼(ウルスィン・ナチン)』の称号を与えよう」


 両雄は拱手してこれを受け、観衆もおおいに盛り上がった。


 以後、ノイエンの賜った「国の巨人」はナーダムの優勝者に与えられる称号として伝わった。同じように準優勝者は「国の隼」と称された。後世になるとこの二つの間に「国の象(ウルスィン・ザーン)」と「国の(ウルスィン)獅子(・アルスラン)」が追加された。


 それはさておき、この奉納相撲で名を揚げたノイエンは、「飛天熊」と渾名(あだな)されることになった。一方のカトラも以後は「隼将軍(ナチン)」と呼ばれることになったが、それを聞いたインジャは笑って、


「双璧の一人が隼なら、タミチにも然るべき名が必要だろう」


 とて、これに「(えん)将軍」の名を授けた。タミチはおおいに喜んで配慮に謝したが、この話はここまでにする。




 弓射(ソルハルワー)は老若男女を問わず参加できる大競技である。百歩の距離から小さな(トグ)を射る種目、五十歩の距離から(ホニ)の皮で作った(バイ)を射る種目などがあり、年齢(ナス)や性別によって条件が分かれている。


 しかし何と言ってももっとも人気があるのは、疾駆(ツォギオ)する馬上からみっつの的を射る種目、すなわち騎射である。


 視力の良い草原(ケエル)の民はみな弓射を()くするが、その中でも騎射に優れた人物は非常な尊敬を受ける。特に戦乱の時世だけに、騎射の能力は戦場でのはたらきに直結する重要な技能(エルデム)であった。


 騎射に出場するものに与えられる矢は、三本のみ。つまりすべての矢を的中(オノフ)させなければならない。矢は禿鷹(シンコル)の羽根で飾られ、(ヂェベ)(やじりの意)には大鹿(カンダガイ)の角を用いる。


 黄金の僚友(アルタン・ネケル)からは、衆望を担ってカミタ氏の雷霆子(アヤンガ)オノチが出場した。薄黄色(コンゴクチゥド)軍馬(アクタ)(また)がり、朱塗りの弓を負って悠々と姿を現す。観衆からは惜しみなく讃嘆の声が飛ぶ。同じカミタ氏のドクトが声を張り上げて、


「オノチ、負けたら承知せぬぞ!」


 見ればすでに酩酊している。オノチは苦笑しながら顧みて、


「そんなことを言うな」


 と応える。

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