第六 〇回 ①
ノイエン隼を撃ちて飛天熊の称を賜り
オノチ的を射て雷霆子の名を衛る
インジャは、ヌンヂ平原における即位式においてハトンを冊立したが、それは誰あろうベルダイの女傑チハル・アネクであった。これにはみな等しく驚いたが、すぐに大歓声が巻き起こり、祝福の声が野に満ちた。
キハリ家の誇る二華、アネクとアンチャイは、それぞれジョルチ部とマシゲル部のハーンに嫁いだことになる。
式典はさらに続き、インジャの母ムウチは「太后」の称号を贈られ、国母としてますます人衆に欽慕されることになった。非命に斃れたインジャの父フウにも「皇父」の称が奉られた。また恩師エジシには「太師」の号が授与された。
また部族再興の中途に命を落とした将兵を悼み、特に功績のあったものには千人長や百人長の位が与えられた。ここに主なものを列挙する。
ムウチを逃がすために戦死したオラジュイ、ツウティは千人長に任命された。タンヤンの父クウイは生前の罪を赦された上で百人長に任命された。
またジョンシ氏の前族長であるナオルの父カメルと、サルカキタンとの戦で死んだセイネンの父バチンは、ともに千人長とされた。
インジャにとってもほかの兄弟にとっても忘れがたい宿将ハクヒには、特に万人長の位が与えられ、加えて「万戸侯神威将軍」の号が贈られた。これを告げるとき、インジャの声は震え、居並ぶ好漢たちも目を潤ませた。
続いてタロト部の前ハーン、ジェチェンに「大王」の尊号が奉られた。また連丘の戦で死んだマジカンには「鎮山侯」の称が贈られた。
死者に位や号を贈るという習慣は、かつての草原ではほとんど見られなかった。草原の民にとって、死者は懐かしむものではあったが、位階や尊号を贈る対象ではなかった。
このことを言いだしたのは、大興帝国(注1)の末裔たるイェリ・サノウである。そもそもクリルタイや即位式の礼も、すべて前例を踏まえた上ではあるが、彼が新たに創出したものであった。
本来、草原の民は煩瑣な礼法とは無縁であったが、彼の狙いはジョルチ部を単なる遊牧民の共同体から、真の国家とすることにあった。
今後、ジュレン帝国や梁帝国と対峙するときに、旧来の統治では遅れをとること必至である。そこで礼法を通じて、素朴な氏族連合に国家としての体裁と自覚を植えつけようと考えたのである。
中には抵抗を覚えるものもあったかもしれないが、インジャの麾下を見わたせばすでにジョルチ部以外のものも多い。それどころか神都など街の民も多数混じっていることを思えば、従来どおりに治めるのが難しいことは誰もが理解できた。
また彼らにはともに労苦を凌いだという結束があり、その支柱であるインジャが、サノウを厚く信頼しているのだから、不平が生まれるはずもなかった。
それはさておき、式次第はことごとくすんで、いよいよナーダムの競技が行われる段となった。
テンゲリに奉納するべき相撲、弓射、競馬が盛大に開催されたのである。ちなみにこのみっつは「エレエン・ゴルバン・ナーダム」と呼ばれ、以後ナーダムにおいて必ず行われるものとなった。
我らが黄金の僚友にも選手として出場するものがあった。相撲には部族中から力自慢が百名以上も参加したが、これにベルダイ氏の巨漢ノイエンと、双璧の一人カトラが出場した。
相撲は古くから親しまれてきた競技である。技の種類も、足技、組み技、投げ技など多彩である。
力士たちは、取組の前に両手を翼のごとく広げて緩やかに舞う。これはまさしく鳥を模したものだが、いざ対戦ともなればさまざまな動物の姿形を象った構えを示す。すなわち獅子、大虎、大蛇、大馬、狗、鼬(いたちの意)などなどである。
さて二人の好漢、ノイエンとカトラは期待に応えて次々と勝ち進んだ。相手に二人に対する遠慮があったのでは、などというのは小人の邪推。むしろここで黄金の僚友を打ち負かして勇名を轟かさんと、みな躍起になって挑みかかったが、二人は余裕を持ってそれを退けていった。
ノイエンは組み合ってからの投げ技を得意とし、カトラは素早い足技を得手としていた。インジャも親しく観戦し、見事な技には思わず声を挙げて喝采する。上機嫌で左右を顧みて、
「軍師も出たらおもしろかったのに」
などと戯言を言ってサノウを揶揄った。ジュゾウはおおいに笑って、
「先生なんかあっと言う間に転がってまさぁ。好漢の名折れってもんだ」
コヤンサンも酒を片手にすっかり赤くなった顔で、
「軍師を倒しても何の自慢にもならん。あのノイエンを転がせば末代まで語り継げるだろうがなあ」
そう言ううちにもまたノイエンが相手を軽々と投げ飛ばす。
「これは誰がノイエンを破るかという勝負になってきたな」
イエテンが呟けば、タミチが、
「あるとすればやはりカトラだろう」
と、ともに双璧と称される僚友を推す。 果たしてその言葉どおり、決勝はノイエンとカトラの対戦となった。
(注1)【大興帝国】869年にアルバクによって建てられた王朝(~993年)。第 九 回①参照。詳細については、草原演義シリーズ内の『大興帝国の盛衰』参照。




