第五 八回 ④
トシ・チノ巧みに衆を駆りて赤誠を主に示し
インジャ遂に壇を築きて即位を天に告ぐ
そこでインジャはつと立ち上がると、まず祭壇に向かって四拝し、天恩に拝謝した。そして人衆に向き直る。すると騒ぎは次第に鎮静し、ついにはことごとく平伏してハーンの言葉を待った。
「我が人衆、そして我が黄金の僚友よ。かつて我がフドウはサルカキタンによって滅亡の憂き目を見たが、多くの人の援けによってこれを復興することができた。この非才を省みれば、その一事をもってすら大慶とすべきところだが、図らずも今日みなの推戴を受けてハーンとなった。私にはもとより先代よりの宿将も、導いてくれる長老もなかったが、それに替わる数多の盟友、僚友を得ることができた。私はこう聞いている。『大事を済すには必ず人をもって本と為す』と。我が兄弟は私がもっとも恃みとする宝である。今後も至らざるを補い、愚かな私を教導せよ」
居並ぶ好漢から、わっと歓声が挙がる。コヤンサンが思わず叫んで、
「義兄上、俺はどこまでもついていきます! 命令のままに、意向のままに!」
微笑んで制すると、続けて言うには、
「ジョルチ部はかの忌まわしき内乱により、さながら破れた衣のごとく疲弊している。それも原を辿れば、南方に盤踞するヤクマン部のトオレベ・ウルチのためである。さらには長城彼方の中華こそ憎むべき真の敵。我が部族は統一を果たして小康を得たが、これらは必ず討ち退けねばならぬ。しかし連年の戦によって、今の我らにはこれらと干戈を交える力はない。よってしばらくは蛮勇に逸らず、龍が沼の淵に伏すがごとく時宜を待たねばならない。部族相和し、衆庶を養い、家畜を殖やし、牧地を確かなものにすることは、迂遠のようでいて実はもっとも近き道である。願わくば勇を徳とすることなく、これに易えるに信を徳とし、義を徳とせよ」
今度はタンヤンが叫ぶ。
「命令のままに、意向のままに!」
インジャは頷くとさらに続けて、
「憂うべきは、長い戦乱のために祖宗以来の法が失われてしまったことである。ゆえに人衆は、光なき夜道を行くがごとく模索し、主人に棄てられた馬のごとく困惑し、奸侫の言に欺かれ、禽獣の心に堕してしまった。私はきっと法を復し、衆庶の拠るべき規範としたい。ジョルチ部の六氏族は、そもそもジョルチ・チノとネイメイ・タイエンの血を継いだ兄弟であることを忘れてはならない。兄弟が再び相争うことのないよう法を定めるからには、これを犯したものは老壮貴賤を問わず厳格に罰する。我が僚友よ、願わくば衆庶の範たれ。我が部族は、決して禽獣の道をもってするものにあらざることを近隣に示そうではないか」
ジュゾウが大喜びで、
「命令のままに、意向のままに!」
さらにインジャは、
「内に安らかに、外に強きは衆の和である。山塞での苦難を忘れず、天恵への感謝を忘れず、左右の手のごとく、車の両輪のごとく、ともに助け合い、家畜を殖やし、人衆を養おう。弊習はこれを改め、新しき提言はこれを用いて草原に光をもたらそう。我らは二度と同族相戦う歴史を繰り返さぬよう誓おう。大いなる天の力にて、これらのことを我が黄金の僚友とともに人衆に約そうぞ!」
力強く締めくくれば、わっと大歓声。
古言に「天の天とするところを知るものは大を成すべく、天の天とするところを知らざるものは小に必ず躓く」と謂うが、「天の天とするところ」とはすなわち「人衆の意とするところ」にほかならない。
まさにインジャの即位は人衆の意とするところであり、インジャもまた衆望の赴くところを知るものであった。
さて即位したインジャは、称号を撰して「ジョルチン・ハーン」とした。これには「新しき統一ジョルチの人衆の代表たるハーン」という意が込められている。こうして草原には、九人の君主が併存することになった。
すなわち、中原の北半はジョルチ部のジョルチン・ハーン(インジャ)とタロト部のマタージ・ハーンが、南半はヤクマン部のトオレベ・ウルチ・ハーンが占め、その間にマシゲル部のアルスラン・ハーン(ギィ)。
また東原には、神都にジュレン帝国の皇帝ヒスワ、その東方にナルモント部のヒィ・チノ・ハーン、北原に渡ればセペート部のエバ・ハーン。
目を転じて西原には、ウリャンハタ部のミクケル・カンがあり、その西北にはクル・ジョルチ部のカンがある。
それらの合間を縫って、小族の類は数えきれず、放浪部族ダルシェのタルタル・チノも跋扈している。部族の統一は成ったとはいえ、いまだ草原の情勢は渾沌を極めており、インジャの前途は決して平坦とは言えない。
さてこれを受けて、いよいよジョルチン・ハーンの新政が始まるわけだが、まさに言葉のとおり旧弊は改まり、外に向かって即位が宣せられて、盛大に即位式が開催されることになる。
ジョルチ部は一部族の域を脱して、国家としての体裁を整えようとしていたが、世にハーンがあれば必ず皇后があるのは自明のこと。
一世の英雄に相応しき女性こそまことに得がたきものにて、史上女禍で国を傾けた例は枚挙に暇がなく、その人選は誰もが注目するところ。果たしてインジャが選ぶのはいかなる娘か。それは次回で。




