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草原演義  作者: 秋田大介
巻四
232/785

第五 八回 ④

トシ・チノ巧みに衆を駆りて赤誠を主に示し

インジャ(つい)に壇を築きて即位を天に告ぐ

 そこでインジャはつと立ち上がると、まず祭壇(シトゥエン)に向かって四拝し、天恩に拝謝した。そして人衆(ウルス)に向き直る。すると騒ぎは次第に鎮静し、ついにはことごとく平伏してハーンの言葉(ウゲ)を待った。


「我が人衆、そして我が黄金の僚友(アルタン・ネケル)よ。かつて我がフドウはサルカキタンによって滅亡の憂き目を見たが、多くの人の援け(トゥサ)によってこれを復興することができた。この非才を(かえり)みれば、その一事をもってすら大慶とすべきところだが、図らずも今日みなの推戴を受けてハーンとなった。私にはもとより先代よりの宿将も、導いてくれる長老(モル・ベキ)もなかったが、それに替わる数多の盟友(アンダ)僚友(ネケル)を得ることができた。私はこう聞いている。『大事を()すには必ず人をもって本と()す』と。我が兄弟は私がもっとも(たの)みとする(ダナ)である。今後も至らざるを補い、愚かな私を教導せよ」


 居並ぶ好漢(エレ)から、わっと歓声が挙がる。コヤンサンが思わず叫んで、


「義兄上、俺はどこまでもついていきます! 命令(ヂャルリク)のままに、意向(オロ)のままに!」


 微笑んで制すると、続けて言うには、


「ジョルチ部はかの忌まわしき内乱(ブルガルドゥアン)により、さながら破れた(デール)のごとく疲弊(ハウタル)している。それも(もと)を辿れば、南方に盤踞するヤクマン部のトオレベ・ウルチのためである。さらには長城(ツェゲン・ヘレム)彼方の中華(キタド)こそ憎むべき真の(ブルガ)。我が部族(ヤスタン)は統一を果たして小康を得たが、これらは必ず討ち退けねばならぬ。しかし連年の(ソオル)によって、今の我らにはこれらと干戈を交える(クチ)はない。よってしばらくは蛮勇に(はや)らず、龍が沼の淵に伏すがごとく時宜(チャク)を待たねばならない。部族(ヤスタン)相和し、衆庶(ウルス)を養い、家畜(アドオスン)()やし、牧地(ヌントゥグ)を確かなものにすることは、迂遠のようでいて実はもっとも近き道(オイル・モル)である。願わくば勇を徳とすることなく、これに()えるに信を徳とし、義を徳とせよ」


 今度はタンヤンが叫ぶ。


「命令のままに、意向のままに!」


 インジャは頷くとさらに続けて、


「憂うべきは、長い戦乱のために祖宗(ウルドゥス)以来の(ヂャサ)が失われてしまったことである。ゆえに人衆は、光なき夜道を行くがごとく模索し、主人に棄てられた(モリ)のごとく困惑し、奸侫の言に欺かれ、禽獣(アラアタヌイ)の心に堕してしまった。私はきっと(ヂャサ)を復し、衆庶の拠るべき規範としたい。ジョルチ部の六氏族(ゾルガーン・オノル)は、そもそもジョルチ・チノとネイメイ・タイエンの(ツォサン)を継いだ兄弟であることを忘れてはならない。兄弟が再び相争う(ブルガルドゥクイ)ことのないよう(ヂャサ)を定めるからには、これを犯したものは老壮貴賤を問わず厳格に罰する。我が僚友よ、願わくば衆庶の範たれ。我が部族(ヤスタン)は、決して禽獣の道をもってするものにあらざることを近隣(サーハルト)に示そうではないか」


 ジュゾウが大喜びで、


「命令のままに、意向のままに!」


 さらにインジャは、


「内に安らか(オルグ)に、外に強きは(バルアナチャ)(エイエ)である。山塞での苦難を忘れず、天恵への感謝を忘れず、左右の(ガル)のごとく、(テルゲン)の両輪のごとく、ともに助け合い、家畜を()やし、人衆を養おう。弊習(デグ・ヨス)はこれを改め、新しき(シネ)提言はこれを用いて草原(ミノウル)に光をもたらそう。我らは二度と同族相戦う歴史を繰り返さぬよう誓おう。大いなる(イェケ・テンゲリ)天の力(・イン・クチュン)にて(・ドゥル)、これらのことを我が黄金の僚友とともに人衆に約そうぞ!」


 力強く締めくくれば、わっと大歓声。


 古言に「天の天とするところを知るものは大を成すべく、天の天とするところを知らざるものは小に必ず(つまず)く」と謂うが、「天の天とするところ」とはすなわち「人衆の意とするところ」にほかならない。


 まさにインジャの即位は人衆の意とするところであり、インジャもまた衆望の赴くところを知るものであった。


 さて即位したインジャは、称号を撰して「ジョルチン・ハーン」とした。これには「新しき統一ジョルチの人衆の代表たるハーン」という意が込められている。こうして草原(ミノウル)には、九人(ユスン)君主(エヂェン)が併存することになった。


 すなわち、中原の北半はジョルチ部のジョルチン・ハーン(インジャ)とタロト部のマタージ・ハーンが、南半はヤクマン部のトオレベ・ウルチ・ハーンが占め、その間にマシゲル部のアルスラン・ハーン(ギィ)。


 また東原には、神都(カムトタオ)にジュレン帝国(ウルス)皇帝(グルハーン)ヒスワ、その東方にナルモント部のヒィ・チノ・ハーン、北原に渡ればセペート部のエバ・ハーン。


 目を転じて西原には、ウリャンハタ部のミクケル・カンがあり、その西北にはクル・ジョルチ部のカンがある。


 それらの合間を縫って、小族の類は数えきれず、放浪部族ダルシェのタルタル・チノも跋扈している。部族(ヤスタン)の統一は成ったとはいえ、いまだ草原(ミノウル)の情勢は渾沌を極めており、インジャの前途は決して平坦とは言えない。


 さてこれを受けて、いよいよジョルチン・ハーンの新政が始まるわけだが、まさに言葉のとおり旧弊は改まり、外に向かって即位が宣せられて、盛大に即位式が開催されることになる。


 ジョルチ部は一部族(ヤスタン)の域を脱して、国家(ウルス)としての体裁を整えようとしていたが、世にハーンがあれば必ず皇后(ハトン)があるのは自明のこと。


 一世の英雄に相応しき女性こそまことに得がたきものにて、史上女禍で国を傾けた例は枚挙に(いとま)がなく、その人選は誰もが注目するところ。果たしてインジャが選ぶのはいかなる(オキン)か。それは次回で。

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