表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
草原演義  作者: 秋田大介
巻四
229/785

第五 八回 ①

トシ・チノ巧みに衆を駆りて赤誠を主に示し

インジャ(つい)に壇を築きて即位を天に告ぐ

 さて、インジャはサノウの不安を退けてベルダイに遊んだが、何とトシ・チノは精鋭数千騎を並べてこれを出迎えた。天幕(チャチル)に案内されて宴が始まったものの、疑心を(ぬぐ)えないサノウは、杯に(アマン)も付けない。


 やがてカトラ、タミチの双璧による剣舞の披露に及び、アネクが美声をもって唱和したが、サノウはいよいよ辛抱できずに(ダウン)を震わせて言うには、


「トシ殿! いったいこれは何の騒ぎか。インジャ様の(ビイ)を傷つけてからでは過ち(アルヂアス)ではすまされぬぞ! 二将も(ウルドゥ)を収めよ!」


 座は一瞬(トゥルバス)に静まりかえり、誰もが呆然とこれを見つめる。インジャが真っ先に我に返ると、(ニドゥ)(いか)らせて怒鳴りつけた。


「軍師! 座興の最中に大声を放つとは失礼(ヨスグイ)ではないか」


 サノウははっとして平伏すると、(マグナイ)に汗を浮かべて、


「申し訳ありません。双璧の剣がインジャ様の身に達しそうに見えたので、つい取り乱しました」


 インジャは口調を(やわ)らげて言った。


「かの双璧がしくじることがあろうか。その剣舞は山塞でも宴の華であったのを忘れた(ウマルタヂュ)か。思えばかつての苦労を忍びえたのも、ベルダイの兄弟があったからだ。双璧もアネクも宴に興を添えること格別であった。それが一旦戦場に出れば鬼神(チュトグル)も恐れるはたらき。まったくジョルチの統一を見たのは、ベルダイ氏の尽力があったればこそだ」


 向き直ってトシらに言うには、


「楽しむべき宴に(オス)を差してしまって申し訳ない。軍師は疲れているのだ」


 トシ・チノは頷くと、アネク、カトラ、タミチの三人を退かせた。アネクは(ようや)(ドー)を中断された怨みが募ってきて、去り際にサノウをきっと睨みつける。それを見たチルゲイが声を挙げて、


「ややや、アネク殿も行ってしまうんですか!? いやはや、『(サル)(エウレン)に隠れる』とはこのことだ!」


 ジュゾウとナユテがこれを聞いて大笑い。サノウは相変わらず険しい(ヌル)をしていたが、ハツチがその(カンチュ)を引くと言うには、


「こら、そんな顔をするものではない。飲め、飲め。場の空気を読まぬか。君は(ソオル)については先知の才(デロア・オルトゥ)を有するが、宴席の礼には(うと)いのう」


 それを聞きつけたセイネンが、


美髯公(ゴア・サハル)、助言するなら聞こえぬようにしろ。小声のつもりでもみなの(チフ)に轟いておるぞ。それでは意味がない」


 おどけた調子で揶揄(からか)ったので、ハツチは途端に渋い顔。それがまた満座の笑いを誘う。


 (ようや)くもとの宴に戻ったので、インジャは満足げにこれを眺める。トシ・チノと目が合ったので互いに笑みを交わす。と、トシは笑みを収めて立ち上がり、(にわ)かに拝礼して言うには、


「義兄上にご覧に入れたいものがございます」


「どうした、急に改まって」


「こちらへ。さあ、みなも参れ」


 そしてサノウを顧みて言った。


「軍師、貴公が何を思っているかは存ぜぬが、ともにご覧あれ」


 (うなが)されて一同は首を(かし)げながらぞろぞろと天幕を出る。そこには相変わらず数千機が(くつわ)を並べている。トシは先頭に立って、正面に築かれている壇に向かった。そしてインジャに言うには、


「義兄上、壇上へお上がりください」


 二人ともに壇に上ると、トシ・チノが両手を広げて叫んだ。


「諸君! 我が部族(ヤスタン)は、三十年の愚かな内紛(ブルガルドゥアン)に終わりを告げ、やっと英主を戴くことがかなった。ここにあるインジャ様は仁義を重んじ、人衆(ウルス)を安んじるまことの英雄であるぞ! 来たるべき吉日にハーンとなられるが、私とともにこれを祝い、(たす)けるものは、(アクタ)を降りて跪拝せよ! 異議あるものは馬上に残れ!」


 その言葉(ウゲ)に応じてベルダイ軍がどうしたかといえば、一斉に(コセル)に降り立ち、腰から剣を外して平伏したのである。


 見れば随所にアネク、カトラ、タミチ、ナハンコルジらがあって範を示していた。数瞬後には馬上にあるものはなくなった。トシは満足して微笑むと、


「諸君、これは厳正なる誓いだ! 上は天王(フルムスタ)様に誓い、下は草原(ケエル)の民の誇りに誓ったのだ。もしこれに(そむ)くものがあらば、このトシ・チノがエトゥゲンの果てまでも追って伐つであろう! テンゲリが必ずその家を亡ぼすであろう!」


 そして向き直ると、インジャに拝礼して、


「ベルダイの兵は義兄上のためなら水火も辞しませぬ。ハーンの翼たる精鋭を、とくとご覧ください」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ