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草原演義  作者: 秋田大介
巻四
228/785

第五 七回 ④

サノウ友邦を探りて(ようや)く疑心を募らせ

アネク美声を(あらわ)して(もっ)て剣舞に和す

 結局、インジャは期日に合わせてアイルを発った。従うのはサノウ、セイネン、ドクト、ハツチ、ジュゾウ、オノチ、タンヤンと、客将であるチルゲイ、ナユテの計九人である。


 それに答礼の品や宿泊用のゲル、食糧(イヂェ)などを積んだ(テルゲン)を運ぶ小者(カラチュス)が数十人続く。サノウはドクトとオノチに密かに憂いを告げて、怠りなく周囲に気を配らせた。インジャは陽気にチルゲイらと歓談しながら先頭を進む。


 道中は格別のこともなく、ベルダイの冬営(オブルヂャー)まで十里というところでカトラとタミチがこれを迎えた。インジャは嬉しそうに(ガル)を挙げて、


約会(ボルヂャル)(たが)わず参ったぞ」


 二将も馬上で拱手して、


族長(ノヤン)が首を長くしてお待ちしております」


 そう言って案内に立つ。一行は寒風の中を進んで、小高い(ドブン)に差しかかった。その丘を越えたところで、不意に金鼓と銅鑼の音が鳴り響く。驚いて見れば、ベルダイ軍数千が整然と並んで歓声を挙げる。


 サノウらは瞬時(トゥルバス)に色を失う。インジャの様子を窺い見れば、泰然としてこれを見下ろしている。カトラが顧みて、


「ハーンの翼たるベルダイの精鋭です。どうぞ招待をお断りなきよう。トシ・チノはあちらの天幕(チャチル)にて待っています」


 サノウは青ざめた(ヌル)のまま何か言おうとしたが、インジャに(ニドゥ)で制される。インジャは変わらず涼しい顔で(アクタ)を進める。みなはっとしてこれを追った。


 チルゲイがにやにやしながらナユテに(ささや)いて言うには、


「何やらおもしろい(ソニルホルトイ)ことになってきたではないか」


 答える代わりにこれを睨みつければ、首を(すく)めて(ヘル)を出す。天幕に至ると、トシ・チノが拱手して一行を迎えて言うには、


「義兄上、お久しぶりでございます。我がベルダイの精鋭が健在であることをご覧いただこうと思い、こうしてお迎えした次第です」


 さらにその傍ら(デルゲ)には(エウレン)を衝くがごとき巨漢(アヴラガ)が侍している。インジャは嘆声を漏らして、


「さすがはトシ・チノの精兵、見事だ。あれではいかなる大敵も()く逃れえまい。ところでそこにある豪傑はどういう人か」


 応じて進み出たこの巨漢こそ誰あろう、ノイエンである。膝を折り、拱手して言うには、


「私はベルダイ氏シタンチ家のノイエンと申します。長らく病んでおりましたが(ようや)く癒えたので、死力を尽くして部族(ヤスタン)のためにはたらく所存です」


 インジャは大喜びでこれを賞したが、サノウらはもしこの巨漢がインジャを襲ったら誰も防げぬとますます(エレグ)を冷やす。


 一同は主客分かれて対座し、いよいよ宴が始まった。トシ・チノはインジャの即位を祝って自らその杯に(アルヒ)を注ぐ。余の好漢(エレ)にも杯が渡ったが、サノウやオノチらは恐れて(アマン)を付けない。


 ところがインジャは躊躇(ためら)うことなくそれを干してしまった。もとよりチルゲイなどはいささかも拘泥することなく次々と乾杯する。ベルダイの諸将も楽しそうに杯を傾ける。


 サノウらの緊張をよそに宴は(なご)やかに進んだが、外にはいまだ数千の兵があって予断を許さない。サノウはトシ・チノの真意を量りかねて、青い顔のまま黙然としている。誰かが動くたびにはっと身構えて、落ち着かぬこと(はなは)だしい。


 カトラとタミチが歩み出て拝礼すると、


「興を添えるべく、恥ずかしながら剣舞など披露させていただきたいと存じます」


 そう言うや(ウルドゥ)をすらりと抜き放って舞いはじめた。


 さすがは常にともに戦場を駆けるベルダイの双璧、見事な呼吸で、白刃は離れたかと思えば合し、空を斬ったかと思えば(サルヒ)を払い、(ひるがえ)ったかと思えばまた返り、変幻自在、転変万化、無窮の連環をもって観衆の(ニドゥ)を奪う。


 それにいつの間にかアネクが美声をもって唱和する。すなわち、



  テンゲリには威福(スタン)ある天王(フルムスタ)

  エトゥゲンには唯一(ガグチャ)のハーン


  (テムル)雄心(ヂルケ)高き座(オンドゥル)

  (カタン)忠順(シドゥルグ)は低き(ヂェブル)


  厩舎(アラチュグ)には多数の駿馬(オロン・クルゥグ)

  帳幕(ホシリグ)には数多の俊傑(クル・クルゥド)


  幸いなる(オルヂェイトゥ・)黄金の繁縄(アルタン・アルガムヂ)

  吉祥ある(クトゥクトゥ・)黄金の僚友(アルタン・ネケル)


  角を持つ(エベルトゥ・)盗人(クラガイ)

  鋭き対戦(クルチア・ブルガ)にて打ち退け


  猛々しい(カタンギン・)敵人(ダイスンクン)

  疾き征戦(クルドゥン・アヤ)にて撃ち破る


  法規(ヂャサ)熱き処(カラウン)にある

  規律(ヂャルチムタイ)ある軍団(クリエン)


  人衆(ウルス)温かき処(ブレエン)にある

  信頼(イトゥゲルテン)あるハーン……



 一同はその技能(エルデム)に耳目を奪われて、心地好く陶酔した。が、独りサノウだけは、いつ双璧の剣がインジャの(ビイ)に及ぶかとはらはらして、鑑賞する余裕もない。


 そのインジャは白刃が眼前を(かす)めても意に介する風もなく、アネクの(ドー)に聴き惚れている。サノウはいよいよ辛抱できなくなって立ち上がると、


「トシ殿! いったいこれは何の騒ぎか。インジャ様の身を傷つけてからでは過ち(アルヂアス)ではすまされぬぞ! 二将も剣を収めよ!」


 座はしんと静まりかえり、白けた空気が流れる。アネクも興が乗ってきたところを(くじ)かれて、怒るよりも呆然としている。


 さて、真っ先に我に返ったのはインジャであった。


 その言葉(ウゲ)から、一将は席を立って衷心を吐露し、(バルアナチャ)をもってことごとく赤誠を開示するということになる。これこそまさしく信あるところには必ず義が存り、疑いなくしてすなわち和生ずといったところ。果たしてインジャは何と言ったか。それは次回で。

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