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草原演義  作者: 秋田大介
巻四
225/785

第五 七回 ①

サノウ友邦を探りて(ようや)く疑心を募らせ

アネク美声を(あらわ)して(もっ)て剣舞に和す

 インジャはついに小ジョンシを滅ぼして、事後処理もことごとく()えた。これでジョルチ・チノ(注1)の(クウ)(ボルカイ)とするジョルチ部の六氏族(ゾルガーン・オノル)は、すべて統一されたことになる。


 すなわちインジャ率いるフドウ氏、ナオルのジョンシ氏、トシ・チノのベルダイ氏、コヤンサンのズラベレン氏、セイネンのキャラハン氏、そしてコニバンのアイヅム氏の六氏である。


 山塞の好漢(エレ)たちがこれをおおいに祝ったのは言うまでもない。 


 その後、サノウの進言もあり、オロンテンゲル(アウラ)を下って草原(ケエル)にアイルを展開することにした。もちろん山塞を棄てることはなく、守将としてテムルチ、マルケ、コニバンの三将が残った。


 ズラベレン氏はズレベン台地に帰り、ベルダイ氏は東方の故地に居を定め、ジョンシ氏は西方の守りを請け負った。フドウ氏とキャラハン氏はともに中央(オルゴル)にアイルを置き、余の好漢もその周囲に集った。


 各アイルは、飛生鼠ジュゾウとその麾下の早足のもの(グユクチ)がこれを結んで、連絡を取った。また諸将は定期的にフドウのアイルに集まって会合(クラル)を開いた。こうして新たな体制が確立されていった。


 草原での生活が落ち着くころには、早くも(オブル)が訪れようとしていた。家畜(アドオスン)移動(ヌーフ)が始まった。


 好漢たちは例年にまして(ハバル)を待ち焦がれた。というのも、春になればいよいよクリルタイが開催され、インジャがハーンとして即位するはずだったからである。密かにサノウらが中心になって準備が進められていた。


 冬の間は格別のこともなく、諸部族(ヤスタン)冬営地(オブルジャー)に籠もってじっと春を待った。


 東原ではヒィ・チノ、エバ・ハーン、ヒスワの睨み合いが続いており、南原ではトオレベ・ウルチが今年も梁の援助(トゥサ)で冬を(しの)いだ。


 西原で数度ウリャンハタ部とクル・ジョルチ部の小競り合いがあったことがほぼ唯一(ガグチャ)の動きである。しかしこれはスンワ氏の猛将(バアトル)カントゥカが一蹴している。


 こうして群雄は静か(ヌタ)に冬を過ごしたが、「謀は忙中に生まれず、奸は必ず閑処に宿る」と謂うとおり、何とインジャの足許(あしもと)で不穏な空気が醸成されつつあった。


 最初にそれを察知したのはジュゾウとその配下である。ある(ウドゥル)、密かにサノウを訪ねて告げて言うには、


「軍師、ちょっと気になる噂がありますぜ」


「どうした?」


「どうもベルダイ氏の中には、インジャ様の即位に不満を持っているものがいるらしいんですよ」


 サノウの眉間にみるみる深い皺が刻まれる。


(ウネン)か? 何か策謀の気配が?」


 あわてて首を振って、


いや(ブルウ)、そんな大仰な話じゃあないんです。ただ、いまだにハーンはベルダイから出すべきだなんて思ってる奴がいるようで、ぶつぶつ不平を言い合っているらしいんです」


 ううむと唸ると言うには、


「なるほど。トシ・チノはかつてはインジャ様と部族(ヤスタン)を二分していたほどの雄。下々のもの(カラチュス)には往時が忘れられぬと見える。しかしことがことだけに厄介だな」


「どうします?」


「ふむ・トシ・チノ自身はどうなのだ?」


 その(とげ)のある言い方にむっとして、


「まさか。トシの兄貴は俺たちの兄弟ですぜ。義を踏み(にじ)るような人じゃないことは、軍師もよくご存知でしょう」


「む、それはそうだが……。ジュゾウよ」


「何です?」


 辺りを(はばか)るように小声で言うには、


「このことは余人には秘密(ニウチャ)にしておけ。引き続きベルダイを探るように。くれぐれも内密にな」


 ジュゾウはやや不満げに答えた。


「おやおや、軍師様はトシの兄貴をどうしても疑いたいようだ」


「そうは言っておらぬ。下々のものが何をやらかすか判らぬから注意しておけと言っているのだ。トシ・チノの意思(オロ)を超えたところでことが動くかもしれぬ。それでは互いに不幸だろう」


「まあ、そういうことなら承知しました。もともと俺が持ってきた話ですからね。自分がベルダイに行ってきます」


「慎重に行動いたせ」


「そんな険しい(ヌル)しなさんな。久々にカトラたちと遊んできますよ」


 拱手してその場を辞すと、その日のうちに発った。


 ベルダイに(くすぶ)る不満が事実とすれば、これこそまさに小人の意は量りがたく、恩を仇で返して()じる色なしといったところ。ベルダイ氏は代々ハーンを輩出してきた名門である。それゆえに矜持も強い。


 ジュレン部の急襲(注2)に追われてインジャに助けられたことも、いざ危機(アヨール)が去って平和(ヘンケ)ともなればすべて忘れ、かつての権勢ばかりが想起されるのである。


 すなわち不平を漏らすものの多くは、インジャたちよりひとつ前の世代の将兵であった。多くの敵人(ダイスンクン)がインジャを「フドウの小僧(ニルカ)」と呼んで侮ったように、彼らもまたこれを侮りこそせぬものの、心の奥では新興の家と軽んじていたのである。

(注1)【ジョルチ・チノ】ジョルチ部の祖とされる銀色の(チノ)。伝承の詳細については、第 四 回①参照。


(注2)【ジュレン部の急襲】ヒスワがベルダイ右派(バラウン)と結んで、トシ・チノを破ったこと。第二 六回①参照。ちなみにトシ・チノの山塞合流(ベルチル)は第二 八回①参照。

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