第五 七回 ①
サノウ友邦を探りて漸く疑心を募らせ
アネク美声を顕して以て剣舞に和す
インジャはついに小ジョンシを滅ぼして、事後処理もことごとく了えた。これでジョルチ・チノ(注1)の子を祖とするジョルチ部の六氏族は、すべて統一されたことになる。
すなわちインジャ率いるフドウ氏、ナオルのジョンシ氏、トシ・チノのベルダイ氏、コヤンサンのズラベレン氏、セイネンのキャラハン氏、そしてコニバンのアイヅム氏の六氏である。
山塞の好漢たちがこれをおおいに祝ったのは言うまでもない。
その後、サノウの進言もあり、オロンテンゲル山を下って草原にアイルを展開することにした。もちろん山塞を棄てることはなく、守将としてテムルチ、マルケ、コニバンの三将が残った。
ズラベレン氏はズレベン台地に帰り、ベルダイ氏は東方の故地に居を定め、ジョンシ氏は西方の守りを請け負った。フドウ氏とキャラハン氏はともに中央にアイルを置き、余の好漢もその周囲に集った。
各アイルは、飛生鼠ジュゾウとその麾下の早足のものがこれを結んで、連絡を取った。また諸将は定期的にフドウのアイルに集まって会合を開いた。こうして新たな体制が確立されていった。
草原での生活が落ち着くころには、早くも冬が訪れようとしていた。家畜の移動が始まった。
好漢たちは例年にまして春を待ち焦がれた。というのも、春になればいよいよクリルタイが開催され、インジャがハーンとして即位するはずだったからである。密かにサノウらが中心になって準備が進められていた。
冬の間は格別のこともなく、諸部族は冬営地に籠もってじっと春を待った。
東原ではヒィ・チノ、エバ・ハーン、ヒスワの睨み合いが続いており、南原ではトオレベ・ウルチが今年も梁の援助で冬を凌いだ。
西原で数度ウリャンハタ部とクル・ジョルチ部の小競り合いがあったことがほぼ唯一の動きである。しかしこれはスンワ氏の猛将カントゥカが一蹴している。
こうして群雄は静かに冬を過ごしたが、「謀は忙中に生まれず、奸は必ず閑処に宿る」と謂うとおり、何とインジャの足許で不穏な空気が醸成されつつあった。
最初にそれを察知したのはジュゾウとその配下である。ある日、密かにサノウを訪ねて告げて言うには、
「軍師、ちょっと気になる噂がありますぜ」
「どうした?」
「どうもベルダイ氏の中には、インジャ様の即位に不満を持っているものがいるらしいんですよ」
サノウの眉間にみるみる深い皺が刻まれる。
「真か? 何か策謀の気配が?」
あわてて首を振って、
「いや、そんな大仰な話じゃあないんです。ただ、いまだにハーンはベルダイから出すべきだなんて思ってる奴がいるようで、ぶつぶつ不平を言い合っているらしいんです」
ううむと唸ると言うには、
「なるほど。トシ・チノはかつてはインジャ様と部族を二分していたほどの雄。下々のものには往時が忘れられぬと見える。しかしことがことだけに厄介だな」
「どうします?」
「ふむ・トシ・チノ自身はどうなのだ?」
その棘のある言い方にむっとして、
「まさか。トシの兄貴は俺たちの兄弟ですぜ。義を踏み躙るような人じゃないことは、軍師もよくご存知でしょう」
「む、それはそうだが……。ジュゾウよ」
「何です?」
辺りを憚るように小声で言うには、
「このことは余人には秘密にしておけ。引き続きベルダイを探るように。くれぐれも内密にな」
ジュゾウはやや不満げに答えた。
「おやおや、軍師様はトシの兄貴をどうしても疑いたいようだ」
「そうは言っておらぬ。下々のものが何をやらかすか判らぬから注意しておけと言っているのだ。トシ・チノの意思を超えたところでことが動くかもしれぬ。それでは互いに不幸だろう」
「まあ、そういうことなら承知しました。もともと俺が持ってきた話ですからね。自分がベルダイに行ってきます」
「慎重に行動いたせ」
「そんな険しい顔しなさんな。久々にカトラたちと遊んできますよ」
拱手してその場を辞すと、その日のうちに発った。
ベルダイに燻る不満が事実とすれば、これこそまさに小人の意は量りがたく、恩を仇で返して愧じる色なしといったところ。ベルダイ氏は代々ハーンを輩出してきた名門である。それゆえに矜持も強い。
ジュレン部の急襲(注2)に追われてインジャに助けられたことも、いざ危機が去って平和ともなればすべて忘れ、かつての権勢ばかりが想起されるのである。
すなわち不平を漏らすものの多くは、インジャたちよりひとつ前の世代の将兵であった。多くの敵人がインジャを「フドウの小僧」と呼んで侮ったように、彼らもまたこれを侮りこそせぬものの、心の奥では新興の家と軽んじていたのである。
(注1)【ジョルチ・チノ】ジョルチ部の祖とされる銀色の狼。伝承の詳細については、第 四 回①参照。
(注2)【ジュレン部の急襲】ヒスワがベルダイ右派と結んで、トシ・チノを破ったこと。第二 六回①参照。ちなみにトシ・チノの山塞合流は第二 八回①参照。




