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草原演義  作者: 秋田大介
巻四
219/785

第五 五回 ③

チルゲイ外に旧友を籠絡して益を説き

ナオル内に老翁を探訪して佑を得る

 カトメイはううむと唸ると、やがて絞り出すように言うには、


「し、しかし、俺は義君の名こそ聞いているが、当人を知らぬ……」


 チルゲイはこれを聞くや、(にわ)かに両の掌で(シレエ)を打った。あまりの勢いにカトメイは驚いて()()る。


「偽るな、偽るな! 古人の言にも『人を知らんと欲すれば、まずその(イル)を観よ』と謂うではないか。君はすでにナオルらと語らっただろう。ウルゲンの麾下にいかなる人物がある? テンゲリを恐れず連丘への放火を策し、タムヤを襲ってその人衆(イルゲン)(しいた)げるような姦物ばかりではないか」


 そして破顔一笑、高らか(ホライタラ)に笑って言うには、


「かの義君の下には、これを(ナラン)と仰ぐ英傑好漢が(オド)のごとくあるぞ! さあさあ、君の言葉(ウゲ)はそうではない! 誤るなかれ、適当な返辞が浮かばぬのなら教えてやろうぞ」


 卓に(ガル)を突くと、ずいと身を乗り出して、


「よいか、君の返辞はこうだ。『()()()()()()()()()()()()?』だ。ほかに何を言うことがある?」


 しばしの沈黙が流れた。チルゲイはじっとカトメイの(ヌル)を覗き込む。余の好漢(エレ)は口を挟むことなく、はらはらしながら成りゆきを見守っている。やがて、カトメイは苦しそうに呟いた。


「……ならば俺はどうすれば良い?」


 ナオルをはじめ一同はわっと歓声を挙げる。チルゲイは(こと)に嬉しそうに笑って、


「さすがはカトメイ。案ずるな、君が窮地に(おちい)ることがないよう策は講じてある。さあ、話を詰めようではないか!」


 六人は明け方まで密かに話し合ったが、その内容はのちに明らかになること。(ナラン)が昇る前に、カトメイはそっと帰っていった。ミヤーンが憂え顔で言うには、


「よもや密告して我々を捕らえるなどということはあるまいな?」


「ふふ、そんなことをして何になる。ジョルチとウリャンハタが戦っているならともかく、本来は関係ない(ソオル)だからな。むしろ小ジョンシを援助(トゥサ)するほうが害だ。それが解らぬ男ではない」


 チルゲイが答えて、さらに言うには、


「それにあの正直(ツェゲン・セトゲル)な男に、そんな発想はない」


 さてそれからクニメイが帰還するまではすることもなかったので、オノチだけが報告に帰り、余の四人はぶらぶらして(ウドゥル)を過ごしたが、くどくどしい話は抜きにする。




 五日後、ついに待っていたものが到着した。紅大郎(アル・バヤン)クニメイの隊商である。


「思っていたより早かったですね」


 ナオルが感心して言えば、


「人の欲するものを早急に調達するのは、商道の大本です。これなくして成功したものはおりませぬ」


 居並ぶ諸将はおおいに感嘆する。兵に兵法のあるがごとく、商には商道が存するのは言うまでもないところ。


 ジュゾウがカトメイに準備が整ったことを報せる。カトメイが言うには、


「次に舟を出すのは十四日後だ」


 とのこと。


「十四日か。まだしばらく先だな」


 ミヤーンが呟くと、チルゲイは言った。


「焦るな、焦るな。ときが来れば嫌でも忙しくなる。休養、休養」


 日が明らかになったので、ジュゾウを報告のために走らせることにした。幾日かして彼はオノチを連れて戻ってきた。ナオルがこれに尋ねた。


攻囲(ボソヂュ)の様子はどうだ?」


 オノチが(フムスグ)(ひそ)めて、


「思わしくない。何度か攻撃を試みてはいるが、戦況に変化はない。こちらの計略待ちといったところだ」


「義兄は何と?」


「殊の外期待を寄せている様子で、ひと言『好し(サイン)』と申された」


「さあさあ、あとはその日を迎えるばかりだ。おもしろく(ソニルホルトイ)なってきたぞ!」


 チルゲイはさも嬉しそう。




 無為の日は瞬く間(トゥルバス)に過ぎて、いよいよ舟を出す当日となった。ナオル、チルゲイ、ジュゾウ、オノチ、ミヤーンの五人は、渡し場(オングチャドゥ)にてほかの人夫とともにカトメイが来るのを待っていた。


 そこへカトメイが素知らぬ顔で官吏(ドゥシメット)を従えてやってくると、的確に指示を出して荷を積ませる。五人の好漢もそれに加わり、クニメイの用意した火薬(ダリ)を密かに(まぎ)れ込ませる。作業が終わると、舟に乗り込んだ。


「出発!」


 (エルギ)を離れる。五人の気も引き締まろうというもの。舟は遅滞なく(ムレン)を遡上し、タムヤの手前で夜を待つために停泊した。陽が沈んでから再び動きだす。


 タムヤに至ると西門はすでに開かれていて、ウルゲン側の部将が出迎えた。カトメイはこれと礼を交わすと、指示を出して荷を下ろす作業にかかった。


 ひととおり荷を下ろしてしまうと、各々それを(かつ)いで部将のあとに(したが)う。ナオルたちは火薬が入った荷を負って列の後尾に続いた。さらにそのあとをカトメイが行く。チルゲイが顧みて小声で尋ねる。


「荷はどこへ運ばれるのだ」


「北門の傍に蔵がある」


「なるほど」


 そのときである。五人の先頭を歩いていたミヤーンが、(にわ)かに(フル)(もつ)れさせて転倒した。(ムル)の荷が落ち、中身が辺りにわっと散らばる。カトメイはあっと驚いて駈けつけると、罵って言うには、


「何をしている! 何のために苦労して河を上ってきたと思っているんだ。さあ、拾え、拾え!」


 先を歩いていた人夫たちはぼんやりとそれを眺めていたが、カトメイはかっとして(タショウル)を振り上げると言った。


「お前らも見ていないで手を貸さぬか! ぐずぐずしていては夜が明けてしまうぞ! さあ、失くなったものがないか、探せ、探せ!」


 ミヤーンの負っていた荷は細々したものばかりであったので、みなあわてて(コセル)に伏せて上を下への大騒ぎ。やっとのことで荷をまとめると、カトメイはこれを叱咤して再び列を組み直した。

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