第五 二回 ④ <チャオ登場>
インジャ天に祈りて三軍漸く陥穽を脱し
チルゲイ春に現れて山塞新たな好漢を見る
しばらくはお決まりの挨拶が続いたが、やがて席も定まって酒食が運ばれた。インジャが嬉しそうに言うには、
「何年ぶりでしょう。神都でお会いして以来ですね」
「あれからもう二年以上経ちます。その後もミヤーンと方々を旅して、多くの好漢と交わりを結んでまいりましたが、どこへ行ってもインジャ殿の名は轟いておりましたぞ」
「旅の話はゆっくり伺うとして、お連れの方はいったいどういう方ですか? よろしければご紹介ください」
チルゲイは殊更にはっとしてみせると、
「おお、おお。インジャ殿は初対面でしたな」
そう言ってナユテを見遣れば、自ら名乗って、
「ナユテと申します。チルゲイとはホアルンで知り合いました。貴公の名を耳にして、是非お目にかかろうとて参りました。占卜を生業としているので、周りからは神道子の渾名を頂戴しております」
傍らからチルゲイが言うには、
「この神道子の占いはいまだ一度も外れたことがないという神業です。道中も幾度となく助けられました。まあ、その話はおいおいと」
インジャらは感心して互いに礼を交わす。そしてまた言うには、
「そちらの方は?」
さてさて、実は奇人はもう一人の好漢を伴っていたのである。その人となりはと云えば、
身の丈七尺足らず、年のころは二十歳を過ぎ、目眦は下がり、耳朶は尖り、鼻梁は通り、門歯は張り、頬を緩めれば和を生じ、頭を廻らせれば策を出す、才徳兼ね備えた真の好漢。
彼は笑みを浮かべて名乗った。
「神都で商人をしておりましたチャオと申します。商売の仲間からは『銀算盤』の名で呼ばれております。ミヤーンとは旧知の間柄で、このたび神都での商売を諦めたのを機に、彼らに合流した次第。オロンテンゲルのインジャ様を訪ねると聞いて、それなら是非にと面識がないのもかまわず参上いたしました。以後お見知りおきを」
やはりそれぞれ名乗り合う。チャオは、はたと膝を打って、
「サノウ殿のご高名は街にいたころから承っておりました。一度お会いしたかったのですが、まさかここでお会いできるとは!」
「商売を諦めたとおっしゃいましたが、何かあったのですか?」
するとチャオは笑みを収めて険しい表情になると、
「はい。ヒスワの征西以来、商売はやりづらくなる一方だったのですが、いよいよこれはということがありまして」
インジャも居住まいを正して、
「それはいったい……?」
「はい。昨年のナルモント部との戦(注1)が不首尾に終わってから、奸人ヒスワは虎視眈々と機会を窺っていたのでしょう。新年明けて早々のことでしたが、彼奴は卒かに軍を掌握して大院を占拠したのです。そして元首のワラカン様以下、大臣も上卿も処刑して、クルイエそのものを廃してしまったのです。これでジュチ・ドルチ以来、百年続いた神都の伝統も絶たれてしまいました」
居並ぶ諸将は唖然として声も出ない。さらに続けて言うには、
「それからヒスワは、こともあろうに皇帝を僭称して独裁を始めました。戒厳が宣告され、投獄されていた呼擾虎グルカシュが衙門将に任じられて再び権勢を振るっております。私はやっとのことで脱出してイシにミヤーンを訪ねる途中、マシゲルで偶々彼らと遇ったというわけです」
これを聞いて驚かぬものはなかった。あまりの暴挙にしばらくは言うべき言葉も知らなかったが、漸くサノウが低い声で呟く。
「何という……。狂人か? クルイエを廃して自ら皇帝を称するとは……」
チャオが頷いて、
「ゴロも同じことを言っていました。また、早晩ヒスワは身を亡ぼすだろうとも」
「それにしても、たかが長者の家宰が皇帝とは……」
みな首を振って嘆息する。チャオが言った。
「ヒスワは自らをジュレン帝国宗家の末裔と称して、帝国復興を掲げています。しかし奴がゴロの家宰だったことを知らぬものはないので、誰もそんな偽言は信じちゃいませんが、恐れて口を噤んでいます」
果てしないヒスワの野望に好漢たちは慄然とする。そこでチルゲイが卒かに高い声を挙げて、重苦しい空気を払った。
「さあ、インジャ殿。旅の話をいたしましょう!」
みなほっとして熱心にこれを促す。チルゲイは身振り手振りを交えながら、数多の俊英たちの話を披露した。英傑たちは縦横無尽に駆け回り、テンゲリに替わって道を行い、不義を討って獅子奮迅、もちろん神道子の占卜の妙も語られた。
インジャは感嘆して言った。
「広い草原には、まだまだ多くの好漢がいるのだなあ。是非一度お会いしてみたいものだ。そして天下のことについて語り合ったら、どんなに愉快だろう」
その夜は山塞中の僚友が改めて一堂に会し、新たな客人を歓待した。チルゲイはまた得意満面で旅の顛末を語る。
みなは話中に旧知の消息が伝えられると、おおと声を挙げて喜んだ。すなわちゴロやギィを知るものはもとより多々あり、ヒィ・チノについてはオノチがこれを知り、……といった調子。
そのまま奇人たちはしばらく逗留することになり、連日のように諸将に招かれて宴に興じた。どこへ行っても意気投合せざるはなかったが、それというのもみなテンゲリの定めた宿星だったからである。
こうした平和な空気は、もう一人の客人を迎えたことで一変する。たちまち旧怨は炎のごとく燃え上がり、一朝出兵を決すということになるのだが、果たしてその客人とは誰であったか。それは次回で。
(注1)【昨年のナルモント部との戦】ヒスワがセペート部と結んで、ナルモント部の留守を襲ったこと。司命娘子ショルコウの活躍もあって退けられた。第四 五回③、第四 五回④、また第四 七回①参照。




