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草原演義  作者: 秋田大介
巻四
207/785

第五 二回 ③

インジャ天に祈りて三軍(ようや)く陥穽を脱し

チルゲイ春に現れて山塞新たな好漢を見る

 数日が経って、インジャは諸将を一堂に集めた。今回の(ソオル)(かえり)みて、まずは仇敵(オソル)たるベルダイ右派(バラウン)を滅ぼしたことを嘉賞し、サイドゥとトシ・チノを賞した。また小ジョンシに敗れたことに言及して報復を誓った。言うには、


「この怨みは独り我々の怨みではない。連丘に(ガル)を放つとは言語道断、とても人の為せる業とは思えない。テンゲリに替わってこれを誅殺せねば何の義軍か。(オブル)が去ったら、必ず大地(エトゥゲン)の果てまでもあの悪鬼(チュトグル)どもを追って葬ろうぞ!」


 次いで、マジカンの葬儀を行った。居並ぶ好漢(エレ)は等しく悲痛な面持ちで(ムル)を震わせた。インジャは(ヂャカ)を濡らしつつマタージに言った。


「ハクヒを失ったとき、二度と兄弟を失うまいと誓ったが、私が及ばぬせいでまた一人の仲間(イル)を死なせてしまった。マジカンとはウリャンハタ部との戦より命運(ヂヤー)をともにしてきたが、(オロ)半ばで(たお)れたことで、さぞ私を怨んでいることだろう」


 答えて言うには、


いや(ブルウ)(アカ)は決して義兄上を怨んではおりません。奇縁あって義兄上と行をともにできたことを喜びこそすれ、何で怨みましょう。これからは我らの守護神(ネンドゥ・クトゥグ)となって、常にこの愚弟に加護を与えてくれることでしょう。兄の果たせなかった分まで、義兄上の大義のためにはたらきます」


 するとインジャが言った。


「私の大義ではない。それは君の大義でもあり、みなの大義でもある。敷衍(ふえん)(注1)すれば、テンゲリの大義と云うべきもの。この乱世に道が行われるまで、ともに(クチ)を併せようではないか」


 こうして冬の間、喪に服すことになったが、くどくどしい話は抜きにする。




 インジャが族長(ノヤン)になって七回目の冬がやってきた。草原(ケエル)回復の望みはまさかの敗戦によって水泡に帰したが、来たるべき(ハバル)に備えて好漢たちは英気を養った。


 ジュゾウは、四頭豹ドルベン・トルゲについて熱心に(しら)べた。もしウルゲンの下に彼がなければ、すでにジョルチ部は統一されているはずであった。それを阻止したドルベンとはいかなるものか、誰もが知りたがったのである。


 ところが四頭豹はおろか、小ジョンシの行方さえも(よう)として知れない。ただ連丘放火の悪名は、独りウルゲンが負っていた。四頭豹は巧みに名を隠したのである。


 またそれに伴って、当然インジャらの敗退も噂となっていた。かつてウリャンハタ軍に(ノロウ)を向けたときには、山塞の戦で一矢を報いたが、今回は撤退した事実があるだけであった。英傑好漢がおおいに悔しがったのは言うまでもない。


 しかしサノウは、なぜか連丘の敗戦をしきりに喧伝させた。


 どういうことかと云えばすなわち、インジャが季節外れの豪雨で大火を脱したのは天命を受けた英雄だからである、彼に(くみ)することはテンゲリの恩恵を分かち合うことである、テンゲリに逆らったウルゲンは近いうちに必ず(むく)いを受けるであろう、などと盛大に触れ回ったのである。


 噂は大きく(ふく)れ上がりながら草原(ミノウル)中に広がった。サノウがあるときナオルに説いて言うには、


「戦を行うからには必ず利がなくてはならない。まずは勝つことだが、昨今では戦に勝ったにも関わらず、害を招くものがあとを絶たない。卑近なところではウリャンハタだ。緒戦に勝利を収めながら、戦果を得ることを怠ったばかりに、ついに敗れた。これでは何のためにはるばる遠征したのか判らぬではないか。『戦のために戦をする』とはこのことだ」


 眉間に皺を寄せつつ続けて、


「かつてのジョルチの内乱(ブルガルドゥアン)はさらに酷い。ウリャンハタは一時にしろ勝利を得たが、あの内乱は言わば勝者なき争い。百害こそあれ、ただの一利を得るものもなかった。兵書にも『兵を用いて益なきは、百戦百勝といえども必ず(ウルス)(やぶ)る』とあるとおりだ」


 感心して聞いていると、さらに言うには、


「勝って利を得ることはまだ易い。名将とは、敗れてますます強くなるものである。ゆえに兵書に『敗れてなお利を取らんものは、戦うごとに必ず強を益す』と謂う。これは小童(チャガ)でも解る道理(ヨス)だが、実践できるものは少ない。私は連丘では(ブルガ)の軍師に及ばなかったが、あの戦から僅かなりとも利を得ようと思うのだ」


 ナオルは感嘆して、


「軍師はまさに古今の知恵者(セチェン)に比肩する」


 そう讃えたが、この話もここまでにする。




 草原(ミノウル)では特に大きな動きもなく、表面上は平穏(オルグ)に春を迎えた。そのころ、山塞には相次いでふた組の客人(ヂョチ)があり、それぞれ大きな情報をもたらすことになる。


 まずは例の一行、すなわちチルゲイ、ミヤーン、ナユテの三人。ある(ウドゥル)、突然やってきた彼らは、山麓でまずジョンシ氏の牧人(ホニチド)(とが)められた。


「これ、どこへ行く。ここより先はインジャ様の山塞だぞ」


 奇人は呵々大笑して、


「では(モル)は違ってないな。そのインジャ殿に用があって参ったのだ。君では話にならぬ。誰か話の解るものを呼んでこい」


 牧人はもちろんむっとしたが、やがて一人の好漢を連れて戻ってきた。これぞ誰あろう、山塞にその人ありと知られた副主ナオル。ひと目でこの一行がただものではないのを看取したので、あわてて拱手して名乗った。


 チルゲイも高名(ネルテイ)なナオルの丁重な挨拶に応えて拱手すると、


「私は天下を旅しているチルゲイという小人です。以前神都(カムトタオ)でインジャ殿にお会いしたことがあるので、旧交を温めようとはるばる参った次第です。どうかお取り次ぎくださるようお願いします」


 ナオルは前からその名を(チフ)にしていたので喜色を浮かべて礼を返すと、三人を案内して山塞へと向かった。牧人は呆然としてそれを見送る。


 (ネグ)の門、(ホイル)の門を過ぎて、(ようや)く本塞に至る。チルゲイらは名高いオロンテンゲルの山塞の堅牢(ヌドゥグセン)(ニドゥ)(みは)って大喜び。


 ナオルは彼らを待たせて、一人で中へ入っていった。するとほどなくインジャ自ら走り出てきて、満面の笑みで彼らを迎える。


「おお、チルゲイ殿、ミヤーン殿、よくぞいらっしゃいました!」


 拱手して返礼すると、あえて(おごそ)かな口調を装って、


「インジャ殿も息災で何よりです。ご尊顔を拝することがかない、これに勝る喜び(ヂルガラン)はございません」


 その大仰な所作にインジャは大笑いして彼らを導き入れる。そこにはサノウとセイネンが端座していたが、ともに奇人の姿(カラア)を見ておおいに驚いた。

(注1)【敷衍(ふえん)】意味、趣旨をおし広げて説明すること。例などを挙げて、詳しく説明すること。

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