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草原演義  作者: 秋田大介
巻四
202/785

第五 一回 ②

マタージ緑陵の(けん)(はか)りて将兵を分かち

ウルゲン紅蓮の剣を(かざ)して義君を(はし)らす

 そのころ先鋒(ウトゥラヂュ)のトシ・チノは、ついにカオルジを視界に(とら)えていた。セイネンに向かって言うには、


「敵影を見ぬままここまで来たが、後方は無事だろうか」


「マタージとサイドゥの(ニドゥ)を欺くことはできますまい。ひょっとするとカオルジで迎え撃つ(はら)かもしれません」


 カトラがそれを聞いて、ううむと唸る。


「それではナオルらが困るのではないか」


 タミチも(フムスグ)(しか)めたが、言うには、


「ナオルのことだ。無理はするまい。何とか(ブルガ)を誘い出す方策を練ろう」


 なおも警戒を怠らず進む。カオルジが徐々に近づいてくる。やはり敵は現れない。と、一(サウリ)斥候(カラウル)があわてて戻ってくるのに出合った。


「どうした?」


「ジュ、ジュゾウ様を発見しました! 何とナオル様もご一緒です!」


「何だと!?」


 諸将は続く言葉(ウゲ)を失って、(ヌル)を見合わせた。軍を留めて待っていると、ナオルをはじめジュゾウ救出に向かった面々が駆けてくる。


「おお、まことだ! これはいったい……?」


 ナオルたちは、なぜかおおいにあわてている様子。(いぶか)しく思っていると、ナオルが(にわ)かに凄まじい形相で叫んだ。


「すぐに軍を返せ! 恐ろしいことになるぞ!」


「待て、待て。急にそんなことを言われても呑み込めぬ。敵軍はどうしたのだ? 我らは出合わなかったぞ」


 呆気にとられつつ尋ねれば、何と答えたかといえば、


「ウルゲンたちはもうここにはおらぬ!」


 居並ぶ諸将はおおいに驚いて、口々に騒ぎだす。ナオルはそれを鎮めて、


「カオルジはすでに引き払われ、ジュゾウだけが独り縛られたまま残されていたのだ。我らはこれぞ天佑とて助け出したのだが、ジュゾウが言うには……」


 するとジュゾウ本人があとを引き取って、早口にまくしたてる。


「トシの兄貴、聞いてくれ。敵は昨日のうちに(トイ)を引き払ったんだ。そこへ俺を騙した四頭豹のドルベン・トルゲって奴がやってきて言うには、『愚かな山塞の小僧(ニルカ)どもは明日連丘に入るだろう。そのときがお前らの最期だ。この忌まわしい連丘ごと焼き払ってくれるわ』、……つまり、火計の準備が整っているって寸法だ! まさか、まさかインジャの兄貴は連丘に入ってはいるまいね?」


 誰もがみるみる青ざめる。セイネンが震える(ダウン)で答えて、


「……義兄上どころか、我が軍は一人残らず連丘に入っている。義兄上も相当奥まで来ているはずだ」


 ナオルは顔色を変えて言った。


「とにかくすぐに撤退だ! 後方には我々が伝える!」


 そう叫ぶや、馬腹を蹴って駈けだした。アネクらもこれに続く。


 トシらはこれを呆然と見送ったが、その直後には大混乱に(おちい)った。相次ぐ怒号と、それを鎮めようとする諸将の声が交錯した。やっとのことで(カラ)が伝わり、進路を転じる。


 ナオルらは散々に(アクタ)を飛ばして、インジャ率いる中軍(イェケ・ゴル)に駆け込んだ。再会を喜び合う暇もなく、こちらもたちまち恐慌に(おちい)る。


「連丘に(ガル)をかけるとは、テンゲリをも恐れぬ所業!」


 インジャは怒り(アウルラアス)に面を染めて声を荒らげた。サノウがこれを(なだ)めて退却の指示を出す。


 ナオルらは次いでマタージの軍へと向かおうとする。そこでトオリルから、後軍(ゲヂゲレウル)は幾手にも分かれて点在していることを聞いて、思わずテンゲリを仰ぐ。


 そのときである。突然方々から何かが(はじ)けたような轟音が巻き起こった。かと思うと、ごおんと(ガヂャル)を揺るがして鈍い震動が伝わってくる。ジュゾウがはっとして叫ぶ。


火薬(ダリ)だ! 火薬を使ったに違いない!」


「間に合うか?」


 ナオルらは腕も折れよとばかりに(タショウル)を振るう。駆けていくとマタージ軍が困惑して(フル)を止めているのに出合った。


「マタージ!」


「おお、ナオル兄! ジュゾウも無事であったか。……ところで今の音は何だ?」


「火薬だ! 敵人(ダイスンクン)が火薬を使ったんだ! 連丘は火の海(ガルチュ・ダライ)になるぞ!」


 ナオルが叫ぶ。さすがの長韁縄(デロア・オルトゥ)サイドゥも、これにはおおいに驚いて、


「信じられぬ! 連丘に火を放てばどのような惨事になるか、考えなかったのか!?」


 ドクトが()れて大声で叫ぶ。


「とにかく早く脱出だ! みなやられるぞ!」


 ジュゾウがサイドゥに向かって、


「兵を分けたと聞いたが、どこに在るかわかるか。今から俺の部下を走らせる」


 そこであわてて十人(アルバン)ほどの兵を呼ぶと、


「このものらが知っている。疾く!」


 ところが、マタージがそれを制した。ジュゾウが苛立って、


「なぜ止める!」


「……あ、あ、あれを見よ」


 その指差したほうを見れば、すでに灰白色の濃煙が舞い上がっている。それはまさしく連丘の入口、すなわち彼らの退路にあたる方角であった。


「ちぃっ! なるほど、敵は賢い!」


 舌打ちして叫ぶと、


「とにかく事の次第を伝えて、火の手から逃れるよう説いてくる!」


 そう言ってサイドゥの配下とともに駆け去った。あとに残ったナオルは舞い上がる濃煙を睨みながら、


「あれでは後方には脱けられまい……。別のモルを探さなくては……」


 アネクがはっとして、


「いけない! インジャ様たちが退いてくるわ! 止めなくては……」


 ドクトとオノチがその役を引き受けて、また奥に向かって駆けだした。そのとき再びごうんと火薬が爆発する音が轟いた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 自分達が世論を気にしてできなかった事を相手は躊躇なくしてきたのか。
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