第五 一回 ①
マタージ緑陵の嶮を度りて将兵を分かち
ウルゲン紅蓮の剣を翳して義君を奔らす
明朝、ジュゾウ救出を図るナオルら四将は、先んじて陣を離れた。インジャらは一旦軍を休めて翌日出発する手はずになっていた。敵軍の襲撃を警戒したが何ごともなく夜が明けた。
風の強い日であった。そしてその風は、下山したころに比べると明らかに冷たくなっていた。冬が近いことを感じて、焦らないものはなかった。
インジャは全軍に命令を発し、山塞軍は粛々と連丘を指して出発した。先鋒はベルダイ氏族長トシ・チノ。左右にカトラ、タミチという二人の勇将を従え、威風は辺りを圧する勢いである。
続いてインジャ率いる中軍。輝く宝剣を腰に、左右にサノウ、トオリル二人の知将を従えた姿は、これも稀代の英傑と呼ぶに相応しい。
最後にマタージ率いる一軍。これがもっとも数が多く、それもそのはず、連丘に数ある要地をすべて占めようという軍である。八人の好漢がこれに威を添える。
トシ・チノは間断なく辺りに気を配りながら連丘に分け入った。夥しい数の斥候が放たれ、セイネンの案内の下、カオルジを目指す。
メルヒル・ブカは静かに奥に広がり、敵の気配は微塵も感じられない。先と同じく、まことにウルゲン軍がいるのか疑わしいほど。
後方を進むマタージは、まず連丘に入って間もない小高い丘を指すと、サイドゥに諮って言った。
「入口を塞がれては当然窮する。ここに一軍を割こうと思うが如何?」
「それは卓見。しかし先もあることですから二千騎ほどの兵を分けておきましょう。主将はマジカン殿がよろしいでしょう」
それを受けて、マジカンが残ることになった。マタージは実兄に重任を託すにあたって言うには、
「兄上、ここは大事な地です。軽々しく離れないようお願いします」
「承知した。では武運あることを祈っている」
さらに進んでいくうちに、また険しい地勢に至った。顧みて、
「この左右の丘を制されたら、我が軍は窮するであろうな」
「もっともです。イエテンとタアバをして守らせましょう」
それぞれ千騎を率いて残ることになった。サイドゥはこれに言い聞かせて、
「ここに陣取っていることを隠す必要はありません。むしろ旗を増やし、大軍がいるように振る舞ってください。敵は恐れて近づきますまい」
二将は頷いて言葉のとおりにした。なおもしばらく行くと、道がみっつに分かれている。マタージはまた顧みて、
「この岐路を奪われてはなるまい」
「そのとおりです。シャジ殿を残していきましょう。シャジ殿は歴戦の勇者、むざむざ明け渡しはしないでしょう」
シャジは三千の兵を率いて道を固めることにした。サイドゥは続けて進言して、
「ここから左右の奥にも兵を派遣する必要があります。シャジ殿と連絡を密にし、掎角(注1)の勢を成しておくべきです」
そこで五百騎ずつ四手に分けて、計二千の兵を周囲の丘に配した。サイドゥが布陣の指示をしたのは言うまでもない。そこに斥候の一人が駆けてきて言った。
「この右の道を進んだ先に、我らの布陣を一望できる小高い丘があります」
サイドゥは馬を走らせて、その丘を検分した。
「なるほど、これはいかん。ここにも兵を割く必要がある」
斥候を賞すると、さらに千騎を派して固めさせた。やはり旗を多くし、炊事の竈を三倍作らせた。戻ると告げて、
「これより前は十分です。中軍を追いましょう」
こうして展望の利く丘には兵を配置し、中でも要所には将を残しつつ進んだ。道が分かれていればその先も探索し、高い丘には登ってみて周辺の地形を確かめた。
こうして途中でコヤンサン、ハツチ、ナハンコルジの三人が軍勢とともに残された。さらにところどころに偽兵を立て、罠を設けて万全を期した。
マタージ軍は中軍の進んだあとを着々と固めていった。細かく兵を分けたために、すでに手許にあるのは六千騎となっていた。そこで中軍に向けて伝令を送った。風のごとく駆けてインジャに伝えて言うには、
「後方の主な要地はすべて確保しました。どこから敵が来ても手の出しようがないでしょう。そこでマタージ様は、まだ先鋒は敵軍に遭遇しないのかとおっしゃっています」
おおいに満足して言うには、
「こちらはまだ誰も敵を見ていない。しかしカオルジは目前だ。まだ二、三、険隘の地が残っている。そこも固めるように伝えよ」
伝令が去ると、サノウに向かって、
「敵は姿を見せぬが、どうしたことだろう? 奇策を封じられて手を束ねているのだろうか」
尋ねられた軍師は、考えた末に言った。
「かの策士は尋常のものではありません。我らがこの手に出るのを予測できなかったはずはないのですが。となると、相応の策を用意しているはずです」
「さすがにそこまではどうだろう。過大に評価しているのやもしれん」
「だとよいのですが……」
釈然としない様子で前方を見据える。
(注1)【掎角】前後呼応して敵を制すること。




