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草原演義  作者: 秋田大介
巻一
2/782

第 一 回 ②

草原乱れてジョルチ(とも)に争い(たお)

族長(しゅっ)してフドウ(たちま)(のが)れ走る

 時は過ぎ、季節は(ゾン)に差しかかろうというある夜のこと、ムウチはなぜか胸騒ぎがして寝つけずにいた。フウは、アイヅム氏の族長(ノヤン)テクズスの婚礼(ホリム)に招待されて今朝早くに出かけていき、今はいない。


 テクズスとはフウの盟友(アンダ)である。盟友(アンダ)とは義兄弟の誓いを交わして同盟を結んだ関係のことをいう。


 乱世にあって、盟友(アンダ)は極めて重んじられた。血族(ウイエ・カヤ)さえも心許せぬこの時代に、盟友(アンダ)こそもっとも信頼(イトゥゲルテン)できる味方(イル)だったからである。


 その誓いは、草原(ミノウル)(ヂャサ)氏族(オノル)の誇り、相互の仁義などに拠る神聖(ダルハン)な契約である。これに(そむ)くことはそのすべての放棄を意味した。


 それは上天(テンゲリ)に逆らうことであり、草原(ミノウル)の民としてもっとも恥ずべき行為であった。


 さて、ムウチはゲルの外に出てみた。(サルヒ)もなく、空にはひっそりと(サル)が浮かんでいる。その優しい光が風景を青く照らしている。


「なぜだか今夜は悪い予感(ヂョン)がしていたのだけれどきっと気のせいだわ。こんな静か(ヌタ)な夜に何もあるわけがない」


 戻ろうとしたところ、突然遠くに馬蹄(トゥル)の音を聞いた。はっとして彼方を窺えば、一騎息せき切って駆けてくるものがある。何ごとかと身構えていると、それはフウの従弟ツウティであった。彼はフウに従ってテクズスの婚礼に行っていたはずである。


「どうしたの、お前は族長(ノヤン)と一緒ではなかったのかい」


 そう聞いた顔が心なしか青ざめていたのは、何も月の光のせいだけではなかっただろう。ツウティは下馬するや、ムウチの前に平伏した。(ムル)が大きく揺れている。


「どうしたというの」


 しかしツウティは息が切れて即答すべくもない。とりあえずこれを助け起こしてゲルに入る。落ち着くのを待って事の次第を尋ねると、(オロウル)をぶるぶると震わせ、(ニドゥ)には涙を浮かべつつ、絞り出すように言うには、


「……う、裏切られました! 族長(ノヤン)はテクズスの罠に()まり、こ、殺され(アラアサアル)ました……。私だけが(あや)うく難を逃れ、ほかの従者(コトチン)はみな……。申し訳ありませぬ」


 ついにその目から大粒の涙が溢れる。ムウチはそれを聞くや、あっと(ダウン)を挙げて気を失ってしまった。ツウティはあわてて人を呼び、これを介抱した。


 また、フドウ氏の長老(モル・ベキ)でフウの叔父(アバガ)にあたるオラジュイと、フウの(アカ)のハクヒを呼んで、悲報を伝えた。聞くやオラジュイは、


「何と卑劣な! 盟友(アンダ)(おとしい)れて殺すとは草原(ミノウル)の民にあるまじき悪行。即刻仇討ち(オソン)せねばならぬ!」


 おおいに怒ったが、ハクヒが制して言うには、


「お待ちください、叔父上。族長(ノヤン)亡き今、(バルアナチャ)をまとめるものがおりませぬ。加えて夫人は身重であります。とりあえずは安寧(オルグ)の地を(もと)めるのが先決。もし今、テクズスに襲われたらひとたまりもございません」


 老将の怒り(アウルラアス)は治まらぬようだったが、ハクヒはかまわず一同を集めるように命じた。


 ムウチのゲルの前に篝火(かがりび)が焚かれ、瞬く間(トゥルバス)人衆(ウルス)が集まる。しかし点呼すると、早くも幾人か逃亡(オロア)したものがあった。


「何と恥知らずな! それでもフドウの民か!」


 オラジュイは今にも卒倒せんばかり。

 ハクヒは両手を広げて告げた。


「聞いたであろう。我が族長(ノヤン)が、アイヅム氏のテクズスに騙し討ちに遭った。今がフドウ存亡の(とき)。夫人が世嗣をお産みになるまで、(クチ)を尽くしてお守りせねばならん。これより急ぎ移動(ヌーフ)する。ひとつにはテクズスの(ガル)から逃れるため、ひとつには夫人と我が氏族(オノル)の安寧の地を(もと)めるためだ。よいな、至急出立の準備を整えよ!」


 これを聞いて心中穏やかなるものはなかったが、ともかく旅装を整えるため各々ゲルへと帰っていった。ハクヒとツウティは交々(こもごも)オラジュイを(なだ)めつつ、ムウチのゲルに入った。


「大兄、早くも逃げたものがおりました。今後も用心せねば、逃げ出すものがあとを絶たないでしょう」


 ハクヒは眉間に深い皺を寄せて、


「お前の言うとおりだ。しからばツウティ、ここはよいからみなの準備を督促して回れ。逃げ去るものあらば追いかけて、事の次第によっては斬れ(オンラヂドクン)


はい(ヂェー)! それではムウチ様をよろしくお願いします」


 ツウティが(ウルドゥ)を引っ()げて出ていったあと、(ようや)くムウチが目を覚ました。しかし目は虚空をさまよい、あらぬ方を見ているといった有様。


「ご夫人、しっかりしてください。まもなく移動しますぞ」


 肩を揺すって声をかけたが答えるでもない。


「しかたあるまい、あまりに突然のことであったからな。夫人は大切な身体。そっとしておくがよかろう」


 オラジュイが言うので、ともにそこを辞してあとを従者に任せ、自身も準備を整えるべく己のゲルへと向かった。




 半刻もせぬうちに移動の準備は整った。その間に逃亡を企てて斬られたものは十数人にも及んだが、いちいち(いきどお)っている暇もない。


「ひとまず西(バラウン)へと向かう! メンドゥ(ムレン)を目指すのだ!」


 ハクヒの号令で、フドウの一群は数多の家畜(アドオスン)を追い立てつつ、一斉に移動を開始した。ムウチを(テルゲン)に乗せて先頭に立て、ハクヒ自らがこれを護る。最後尾にはツウティを配して引き続き逃亡に備えさせ、オラジュイは壮丁(ヂャラウス)を率いて家畜を守る格好とした。


 (はや)る気に反して移動は思ったようには(はかど)らなかった。なぜならひとつにはムウチの身体を気遣って強行軍とはいかなかったからであり、ひとつには逃亡者が続出し、しかもその連中が必ず(モリ)(ホニ)を盗んでいこうとしたからである。ツウティもオラジュイも家畜を奪還せんと休む間もなかった。

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