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草原演義  作者: 秋田大介
巻四
199/783

第五 〇回 ③

四頭豹ナオルの背を襲いて之を(くる)しめ

雷霆子ウルゲンの虚を衝きて(これ)を走らす

 実際のところ、ナオルらは予想(ヂョン)以上の苦戦を()いられていた。もともと下から上に向かって攻めるのは兵法の忌むところ、しかも山塞軍はもとの(モル)を戻る以外に方途がないため、兵の運用に融通が()かない。


 ウルゲン側もそれを解っていて、その方面に厚く(デム)を張っている。アネクらの武威はもとより(バルアナチャ)を圧して余りあったが、劣勢を(くつがえ)すには至らない。次々に迫る敵兵は尽きる(エチュルテレ)ことを知らぬかのようであった。


 (ドブン)の上で戦況を見守っていたウルゲンは、敵中にナオルの姿(カラア)を認めると小躍りして喜んだ。傍ら(デルゲ)のドルベン・トルゲに言うには、


「おお、我が不悌(ふてい)(注1)の(デウ)がいるぞ! ははは、ざまを見ろ! (アカ)(ないがし)ろにした報いじゃ!」


 ドルベンは冷ややかに一瞥をくれただけで、また戦場に視線を戻す。ときどき思い出したように指令を出す。応じて背後に控える兵が(トグ)(バラウン)(ヂェウン)に動かすと、即座に眼下の軍勢に伝わってナオルらの進路をたちまち(ふさ)ぐ。


 ウルゲンは変幻自在(ダルカラン)に兵が動くのを見て、子ども(クウヘド)のように(はしゃ)いだ。


「ははは、必死のようじゃのう! あのナオルが我が軍の前に逃げ惑っておるわ。やれ、やれ! あの驕慢の(ハマル)をへし折ってやれ!」


 ドルベンはますますこれを軽蔑したが、微塵も(ヌル)に出すことなく無言で指揮に集中した。


 さすがのナオルらも次第に疲労しつつあった。狭い道でただただ突撃を強いられる戦闘(カドクルドゥアン)は、被害を徐々に大きくしていく。傍らで奮戦するドクトが(たま)りかねて叫んだ。


「とても突っ切ることはできぬ! ここはわしが(ハルハ)になろう。退いて別の道に賭けてはどうか!」


 ナオルは(ニドゥ)をかっと見開いて叫び返す。


「言ったはずだ、一人も欠けてはならぬ! みなで義兄上に復命するのだ! もう一度弱音を吐いてみろ、あとで散々に殴り飛ばすぞ!」


 すでにみな返り血で真っ赤に染まっている。傷を負わぬものもなく、従う兵も減りはじめていた。軍は前後を分断されて四分五裂の有様であった。


 また後方ではオノチが独り奮闘していた。冷静に戦況を見極め、寄せ来たる(ブルガ)に片端から矢を浴びせる。その(エルデム)鬼神(チュトグル)も避けて通るほど。確実に敵の急所を射抜いていく。これに兵衆も勇を得て、一心に敵に向かっていく。


 ナオルたちがぎりぎりのところで崩れなかったのは、アネクやナオルらの強固な意志(オロ)と奮戦に加えて、このオノチの神技に因るところが大きかった。ウルゲン軍も攻めあぐねて戦闘は長引く。


 オノチは次々に矢を放ちつつ思うには、


「ナオルによると、ウルゲンは怯懦な男と聞く。ひとつ驚かせてやろう」


 (にわ)かに怒号を挙げると、守っていた箇所を捨てて手勢とともに敵の一角へ突っ込んだ。あまりの勢いに敵も思わず道を空ける。オノチは手勢をその間隙に()じ込むと、ひと息にウルゲンのいる丘に取りついた。


「むっ、何ごとじゃ!」


 ウルゲンは目を()いて驚愕する。


 オノチはかまわず猛進する。その間にさっと矢をつがえると、迷うことなくひょうと放つ。矢は空を裂いて飛び、何とウルゲンの()った(アクタ)足許(あしもと)にどんと突き立った。馬は驚いて前脚(カア)を高々と上げる。


「わわわ」


 ウルゲンは(あや)うく落馬を(まぬが)れて、おたおたと体勢を立て直す。それを見てオノチは常々出したこともないような大声で、


「お前の(アミン)などいつでも頂戴できるのだぞ!」


 とてぱっと馬首を(めぐ)らし、乱戦の中へと返っていった。ウルゲンはすっかり(エレグ)を潰して、真っ青な顔で四頭豹に言うには、


「もう十分じゃ、退却の合図を! 敵には天王(フルムスタ)の加護があるぞ! 退却せよ、退却じゃ!」


 ドルベンは面喰らって、


「何をおっしゃるのです、もうひと押しではありませんか! ここで兵を退くなど、そんな愚かな策がありましょうか!」


「うるさい! あの神技を見なかったのか。奴の弓はいつでもわしを狙っているのだぞ、退却じゃ!」


「あんな虚勢を真に受けるとは……。勝利は目前ですぞ!」


 さすがの四頭豹もおおいにあわてる。しかしウルゲンは聞く(チフ)も持たず、一散に馬首を(めぐ)らすと丘の反対側へ駆け降りてしまった。


 ドルベンはしばらく開いた(アマン)(ふさ)がらなかったが、やがて首を振ると静かに退却の(カラ)を下した。


 応じて戦場に銅鑼の音が轟いた。双方の兵はともにはっとする。ウルゲン軍に明らかに動揺の色が走った。少しの間、判断を迷っているようだったが、再度銅鑼が鳴るのを聞いて(ようや)く退却に転じた。


 信じられない思いはナオルらも同様であった。退いていく敵を呆然と見送るばかり。トオリルが真っ先に我に返って尋ねた。


「ナオル様、追いますか?」


いや(ブルウ)、よい。何か変事が起こったのだろうか。なぜここまで優位に進めた戦を放棄するのか理解に苦しむが……」


 セイネンが駆け寄って、これを()かして言うには、


「この機に連丘を脱しましょう。いつ敵の気が変わるか判りません」


「罠ではなかろうな?」


いや(ブルウ)、敵兵の反応を観るに、彼らにとっても意外な命令だったに違いありません。帰りましょう」


 その言葉(ウゲ)(したが)って、ナオル軍も撤退する。独りオノチだけは内心大笑いしつつ思うに、


「これほどうまくいくとは。同じ(ツォサン)を分けながら、ナオルとはえらい違いだ」


 さて丘の上ではドルベンが最後まで留まって(オロウル)を噛んでいた。自軍の撤退を見届けると、


豎子(ニルカ)め! (ノガイ)にでも喰われて死ぬがいい」


 そう吐き捨てて馬首を(めぐ)らす。

(注1)【不悌(ふてい)】兄や年長者に対して、年少者としての道を守らないこと。 また、そのさま。

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