第五 〇回 ②
四頭豹ナオルの背を襲いて之を困しめ
雷霆子ウルゲンの虚を衝きて是を走らす
また別の斥候が飛び込んでくる。
「前方に敵旗発見! 三百騎から五百騎!」
ナオルらは顔を見合わす。
「次はどうかな……?」
辿り着けば、やはり旗だけが立てられていた。それが幾度も繰り返される。ナオル軍は次第に連丘の奥へと進んでいく。セイネンが苛立って、
「偽兵ばかりだ。敵の狙いが判らぬ」
ナオルがこれを窘めて、
「しかし我々は確実に奥へと導かれている」
「そろそろ何かしら罠があってもよいころですが……」
トオリルが首を傾げる。そこにまた斥候があわてて駆け込んでくる。
「またか! 今度はどこだ?」
息を切らしながら絞り出すように言うには、
「こ、後方の丘に敵の旗が……。左も右も敵旗で埋まっています。その数は、計り知れません!」
「どうせまた偽兵だろう!」
セイネンが内心おおいにあわてつつ吐き捨てれば、
「いえ……。人馬の影が、た、確かに……」
ナオルが舌打ちして、
「なるほど、ついに来たか」
呟くや、辺りを見廻して言った。
「用心していたつもりだったが、見よ! いつの間にか下りに差しかかっているぞ。後方の敵を相手にするということは、高所に向かって戦うということだ。また単純な策にかかったものよ。近くに目を奪われて大計を損なったわ」
さらに言葉を継いで、
「敵はじっと息を潜めて、我らが通過するのを待っていたのだろう。まったくよく訓練された兵ではないか」
トオリルが青ざめた顔で言った。
「感心しているときではありません。後方から攻められるのは非常に不利ですぞ。当然のことですが退路の目印は通過した道にしかなく、よそにはありません。つまり脱出するためにはもと来た道を引き返す以外にないのです。ほかの道に入り込んだが最後、あてもなく走り回らなければなりません」
ナオルは不敵にも微笑すら浮かべつつ言った。
「先刻承知している。ふふ、敵ながらすばらしい。己の愚かしさを呪いたくなるわ。ここは心を決めねばなるまい。何としても敵を蹴散らして帰るぞ」
その言葉に諸将は奮い立った。
「さあ、生きて義兄上に見えるか、ここで屍を晒すか、ふたつにひとつだ! ともに生きようというものは我に続け!」
とて、腰の剣をさっと抜き放つと、頭上高々と掲げた。全軍それを見て大喊声を挙げる。
「参れ!」
セイネン、トオリルに声をかけると真っ先に馬腹を蹴る。二将はあわててこれに従う。すぐにアネクとドクトが両脇を固める。次々と命は下って、
「トオリル、君は目印に気を配り、我が軍をして道を過たしむるな!」
「承知!」
次いで、
「アネク、貴女は存分に敵を討ち、道を開け!」
「委せといて!」
頭を廻らせて、
「ドクト。オノチはどうした?」
「後方を守っているはず」
再び前方に向き直って叫ぶ。
「よし! 義兄上より命を受けた大将として、一人たりとも欠けることは許さん! 何としてもみなで帰るぞ!」
四人はおうと応えて得物を握り直す。すなわちセイネン、トオリルは剣を、アネクは二条の鉄鞭を、ドクトは槍をそれぞれ掲げる。
斥候の言ったとおり、左右の丘には無数の雑多な旗が林立し、凄まじい金鼓の轟きと、辺りを圧する喊声が巻き起こる。続々と敵兵が姿を現し、地を埋めていく。
「来たな。何から何までこちらの動きを読み尽くしている。まったく恐ろしい知恵者がいたものだ」
ナオルが言えば、セイネンも感嘆して、
「いつの間にあれだけの兵を背後に回したのだろう。おそらく大半の兵を動員しているに違いない」
みるみるうちに両軍は矢の届く間合いに入った。丘の上から一斉に矢が放たれてテンゲリを覆う。ナオルらはそれを薙ぎ払いつつ坂を上りはじめた。
そのころ外で待機していた諸将は、不意に彼方から金鼓が轟き、喊声が挙がったのでおおいに驚いていた。
「始まったか」
インジャが苦々しい口調で呟く。諸将は見えるはずもない彼方をじっと睨んで拳を握りしめた。マタージが馬を寄せて言った。
「義兄上、心配は要りません。ナオル兄は胆力衆に卓れた真の良将、きっと涼しい顔で戻ってくるに違いありません」
「もちろんだ」
彼らはナオルを厚く信頼していたが、奥でどのような戦闘が展開されているか知る由もなく、ただはらはらするばかりであった。