第四 八回 ②
インジャ野人を囲んで佞姦の徒を裁き
コヤンサン先鋒を請いて空陣の計に落つ
アネクらは勢いに乗ってこれを追い立てる。カトラ、タミチの二将もそれぞれ敵将を討ち取って武勇を示す。サルカキタンがあわてて兵を繰り出してきたところで、速やかに退いた。
緒戦から右派は数多の将兵を失い、左派の士気はおおいに揚がった。サイドゥはアネクらを迎えると、言葉を尽くしてこれを賞賛した。そして言うには、
「これぐらいにして中軍の到着を待とう。もはや敵に戦意はない」
そこで兵を休めて互いに睨み合ったままときを過ごした。やがて中軍が到着する。インジャは先鋒の三将の活躍を聞くと、これを称揚してそれぞれ馬を賜った。アネクらはおおいに喜んでそれを受けた。
サイドゥの献策により、インジャらはその大軍をもってサルカキタンを幾重にも包囲した。
「まもなく野人から軍使が来ましょうが、お会いになる必要はありません」
その言葉どおり敵陣から一騎が軍使と称して駆けてきたが、会わずに返した。そのまま陽は没して夜になった。インジャの天幕にサイドゥが訪ねてきて言った。
「敵は必ず夜襲をかけてきます」
そう言うので各軍に命を下して待っていると、果たして夜半に右派が攻めてきたが、備えていたので苦もなくこれを退ける。インジャはサイドゥの先知に感心してこれを賞すると、にやりと笑って言うには、
「明朝、もしかしたらおもしろいことが起きるかもしれません」
あとは何を尋ねても笑うばかりで答えない。明けて翌朝、インジャのもとにタンヤンが飛び込んできた。
「何ごとだ」
「表に出て、ご覧ください」
訝りながら外に出ると、陣中がざわざわと異様な空気に包まれている。みな敵陣のほうを見ながら、思い思いに喋っている。
「どうしたのだ、これは」
そこにセイネンとサノウが来て言った。
「敵が降ってまいります」
「何だと?」
驚いて彼方を見れば、続々と武装を解いた兵衆が馬を牽いて歩いてくる。先頭の兵だけが高く旗を掲げていたが、よく見ればその先端に人の首が括り付けられている。インジャの陣中から期せずして声が挙がる。
「大人の首だ!」
やがて降兵たちは陣前に至った。セイネンが駆けていってこれを留めると、代表の数人だけを伴ってインジャに見えさせた。彼らは平伏してサルカキタンの首級を捧げる。インジャは、それには一瞥をくれただけでまた向き直る。
言葉がかからないので一人が進み出ると、卑屈な薄笑いを浮かべつつ言うには、
「私は大人の側近くに仕えておりましたもので、ウヌグルと申します。大人の暴虐ぶりに嫌気が差し、あたら無用の血を流すことなきよう、昨夜これを討ち果たしたもの。ベルダイ右派の人衆は、長きに亘ってインジャ様の徳を太陽のごとく仰いでおりました。何とぞ降伏を容れていただきますようお願い申し上げます」
するとインジャの顔はみるみる険しくなり、ついに言うには、
「サルカキタン大人とは相争うこと幾年にもなる。かつてはこれと結んだテクズスに、我が父フウを謀殺され(注1)、私が族長になってからは連丘に六駒を破り(注2)、ウリャンハタ部とともに寄せ来るを山塞に退けた(注3)。大人は奸佞暴虐にしていたずらに無辜の民を苦しめ、苦言を退け、甘言を喜び、乱を好み、利を争い、まさに草原に害を為す暴君であった」
「まったくそのとおりでございます」
ウヌグルは上目遣いでへらへらと諂笑(注4)する。するとインジャは卒かに語気荒く言うには、
「だがその間、お前らは何をしていた。側近くに仕えながら諌めることを怠り、大人の意を迎えて忠義の士を陥れることにのみ汲々としていたではないか。それが戦に利あらず、苦境に落ちた途端に掌を返すように主君に叛き、あまつさえその命を奪って敵に売るとは何ごとだ!」
ウヌグルらは真っ青になって、がたがたと震えだした。
「右派の降伏は容れるが、お前ら小人を生かしておくことはできぬ。冥府で大人に詫びよ」
人差し指を突きつけて言い放つと、憤然と席を立つ。ウヌグルらは必死で命乞いをしたが、すでにインジャの耳には届かなかった。佞臣数名はたちまち陣の中央に引き出され、麻の袋に入れられて殴殺された。
右派の騎兵約三千五百が降って、ここに草原に暴戻を尽くしたサルカキタンの勢力は消滅した。野人に相応しい愚かな最期であった。
その後、すぐに右派の家畜などを接収するためにナオルが派遣された。夥しい数の馬、羊が運ばれ、捕虜の数は一万に上った。それらは降兵とともにゴルタが五千の兵で山塞に護送した。
インジャらは留まって野営することにした。呆気ない勝利だったがみな大喜びで、早速お決まりの宴となった。兵にも酒食が行きわたり、歌って踊って大騒ぎ。インジャは重ねてサイドゥの先知を称えて、
「俚諺に謂うところの『手綱が長い』とはまさに君のことだ」
そう言ったことから、サイドゥは「長韁縄(長い手綱の意)」と渾名されることになった。
(注1)【フウを謀殺され】第 一 回②参照。
(注2)【連丘に六駒を破り】第 七 回②~第 八 回④参照。
(注3)【山塞に退けた】第二 九回③参照。
(注4)【諂笑】諂って愛想笑いをすること。