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草原演義  作者: 秋田大介
巻四
190/783

第四 八回 ②

インジャ野人を囲んで佞姦の徒を裁き

コヤンサン先鋒を請いて空陣の計に落つ

 アネクらは勢いに乗ってこれを追い立てる。カトラ、タミチの二将もそれぞれ敵将を討ち取って武勇を示す。サルカキタンがあわてて兵を繰り出してきたところで、速やかに退いた。


 緒戦から右派(バラウン)は数多の将兵を失い、左派(ヂェウン)の士気はおおいに揚がった。サイドゥはアネクらを迎えると、言葉(ウゲ)を尽くしてこれを賞賛した。そして言うには、


「これぐらいにして中軍(イェケ・ゴル)の到着を待とう。もはや(ブルガ)に戦意はない」


 そこで兵を休めて互いに睨み合ったままときを過ごした。やがて中軍が到着する。インジャは先鋒(ウトゥラヂュ)の三将の活躍を聞くと、これを称揚してそれぞれ(アクタ)を賜った。アネクらはおおいに喜んでそれを受けた。


 サイドゥの献策により、インジャらはその大軍をもってサルカキタンを幾重にも包囲(ボソヂュ)した。


「まもなく野人から軍使が来ましょうが、お会いになる必要(ヘレグテイ)はありません」


 その言葉どおり敵陣から一騎が軍使と称して駆けてきたが、会わずに返した。そのまま(ナラン)は没して夜になった。インジャの天幕(チャチル)にサイドゥが訪ねてきて言った。


「敵は必ず夜襲をかけてきます」


 そう言うので各軍に(カラ)を下して待っていると、果たして夜半に右派が攻めてきたが、備えていたので苦もなくこれを退ける。インジャはサイドゥの先知に感心してこれを賞すると、にやりと笑って言うには、


「明朝、もしかしたらおもしろい(ソニルホルトイ)ことが起きるかもしれません」


 あとは何を尋ねても笑うばかりで答えない。明けて翌朝、インジャのもとにタンヤンが飛び込んできた。


「何ごとだ」


「表に出て、ご覧ください」


 (いぶか)りながら外に出ると、陣中がざわざわと異様な空気に包まれている。みな敵陣のほうを見ながら、思い思いに喋っている。


「どうしたのだ、これは」


 そこにセイネンとサノウが来て言った。


「敵が降ってまいります」


「何だと?」


 驚いて彼方を見れば、続々と武装を解いた兵衆が馬を()いて歩いてくる。先頭の兵だけが高く(トグ)を掲げていたが、よく見ればその先端に人の首が(くく)り付けられている。インジャの陣中から期せずして声が挙がる。


「大人の首だ!」


 やがて降兵たちは陣前に至った。セイネンが駆けていってこれを留めると、代表の数人だけを伴ってインジャに(まみ)えさせた。彼らは平伏してサルカキタンの首級を捧げる。インジャは、それには一瞥をくれただけでまた向き直る。


 言葉がかからないので一人が進み出ると、卑屈な薄笑いを浮かべつつ言うには、


「私は大人の側近くに仕えておりましたもので、ウヌグルと申します。大人の暴虐ぶりに嫌気が差し、あたら無用の(ツォサン)を流すことなきよう、昨夜これを討ち果たしたもの。ベルダイ右派の人衆(ウルス)は、長きに(わた)ってインジャ様の徳を太陽(ナラン)のごとく仰いでおりました。何とぞ降伏を容れていただきますようお願い申し上げます」


 するとインジャの(ヌル)はみるみる険しくなり、ついに言うには、


「サルカキタン大人とは相争う(ブルガルドゥクイ)こと幾年にもなる。かつてはこれと結んだテクズスに、我が(エチゲ)フウを謀殺され(注1)、私が族長(ノヤン)になってからは連丘に六駒を破り(注2)、ウリャンハタ部とともに寄せ(きた)るを山塞に退けた(注3)。大人は奸佞暴虐にしていたずらに無辜(むこ)の民を苦しめ、苦言を退け、甘言を喜び、乱を好み、利を争い、まさに草原(ミノウル)に害を為す暴君(ハラ・エルキム)であった」


「まったくそのとおりでございます」


 ウヌグルは上目遣(うわめづか)いでへらへらと諂笑(てんしょう)(注4)する。するとインジャは(にわ)かに語気荒く言うには、


「だがその間、お前らは何をしていた。側近くに仕えながら諌めることを怠り、大人の意を迎えて忠義の士を(おとしい)れることにのみ汲々としていたではないか。それが(ソオル)に利あらず、苦境に落ちた途端に掌を返すように主君(エヂェン)に叛き、あまつさえその(アミン)を奪って敵に売るとは何ごとだ!」


 ウヌグルらは真っ青になって、がたがたと震えだした。


「右派の降伏は容れるが、お前ら小人を生かしておくことはできぬ。冥府(バルドゥ)で大人に詫びよ」


 人差し指を突きつけて言い放つと、憤然と席を立つ。ウヌグルらは必死で命乞いをしたが、すでにインジャの(チフ)には届かなかった。佞臣数名はたちまち(トイ)中央(オルゴル)に引き出され、麻の袋に入れられて殴殺された。


 右派の騎兵約三千五百が降って、ここに草原(ミノウル)暴戻(ぼうれい)を尽くしたサルカキタンの勢力は消滅(ブレルテレ)した。野人に相応しい愚かな最期であった。


 その後、すぐに右派の家畜(アドオスン)などを接収するためにナオルが派遣された。(おびただ)しい数の馬、(ホニデイ)が運ばれ、捕虜の数は一万(トゥメン)に上った。それらは降兵とともにゴルタが五千の兵で山塞に護送した。


 インジャらは留まって野営することにした。呆気ない勝利だったがみな大喜びで、早速お決まりの宴となった。兵にも酒食が行きわたり、歌って踊って大騒ぎ。インジャは重ねてサイドゥの先知を(たた)えて、


「俚諺に謂うところの『手綱が長い(デロア・オルトゥ)』とはまさに君のことだ」


 そう言ったことから、サイドゥは「長韁縄(ちょうきょうじょう)(長い手綱の意)」と渾名(あだな)されることになった。

(注1)【フウを謀殺され】第 一 回②参照。


(注2)【連丘に六駒を破り】第 七 回②~第 八 回④参照。


(注3)【山塞に退けた】第二 九回③参照。


(注4)【諂笑(てんしょう)(へつら)って愛想笑いをすること。

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