表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
草原演義  作者: 秋田大介
巻四
188/783

第四 七回 ④

ヒィ河南に神都を囲んで奸人を驚かし

インジャ堂下に好漢を集めて下山を議す

「意見も何も、明日にでも出陣できますぞ!」


 ドクトが杯を突き上げて叫ぶ。方々から「そうだ、そうだ!」と同意(ヂェー)(ダウン)。インジャは笑みを浮かべてそれを制すると、サノウに向かって尋ねた。


「諸将はああ言っているが、軍師の意見は?」


 みな、しんと静まりかえってこれを注視する。サノウは(アマン)を開くと、


「この二年の間、みなよく辛抱しました。機は熟したかと思われます。すでに糧食(イヂェ)は足り、兵甲は整い、軍馬(アクタ)厩舎(アラチュグ)に溢れています。今をおいて下山のときはありません。ジュゾウに由れば、マシゲルの衰退で中原にはヤクマン以外の雄族はないとか。これに伴ってサルカキタンらが小族を吸収しつつあります。彼奴らが勢いを取り戻す前にこれを討たねばなりません」


 決然とした口調に諸将の興奮は頂点に達した。マタージが立ち上がって言った。


「ただ、下山してアイルを展開すれば、早晩ヤクマン部とことを構えることになろう。それを(エレグ)に銘じておかねばならん」


 セイネンが頷いて続ける。


「ヤクマン部は騎兵十万を擁する大族。失地回復したとて気は抜けぬ」


 軍政を(つかさど)るシャジが立って言うには、


「我が兵力はジョルチ軍が、フドウ氏四千、ジョンシ氏四千、キャラハン氏一千、ズラベレン氏三千、ベルダイ氏六千、アイヅム氏二千の計二万騎。それにタロト軍が中軍一万五千、右軍五千、左軍五千の計二万五千騎。そのほか、カミタ氏一千、ドノル氏一千、イタノウ氏一千で、総計四万八千騎ほどになる。すなわちヤクマン部の半分(ヂアリム)にも満たない」


 諸将はそれを聞いて、それぞれ考え込む。するとサノウが珍しく笑いながら、


(オロ)に留めておけばよい。これまでどおり焦ることなく牧地(ヌントゥグ)(ひろ)げていけば、憂うることはない」


 一同は愁眉を開き、また勢いを取り戻す。さらにサノウが言うには、


「まずは積年の仇敵(オソル)、サルカキタンを討ちましょう。ベルダイ右派(バラウン)は誰の助力(トゥサ)もなく草原(ケエル)に孤立しています。擁する兵力は僅か数千に過ぎません。その後、軍を()ってウルゲン率いる小ジョンシを滅ぼせば、広大(ハブタガイ)な牧地を得ることがかないます」


「そのあとは?」


 トシ・チノが先を(うなが)す。答えて言うには、


「西進してタムヤを収めましょう。ウリャンハタ撤退後、タムヤは自治に委ねられています。かの(バリク)の民は久しく英主の登場を待ち望んでいます」


 タムヤの名を聞いて、インジャはエジシを思い出す。それとともにハクヒのこと(注1)が鮮明に脳裏に浮かんで、思わず涙を零した。傍ら(デルゲ)のナオルがそれに気づいてそっと(カンチュ)を引く。インジャははっとして(ニドゥ)(ぬぐ)うと、笑顔を作って言うには、


「明日、編成を発表しよう。今夜は心行くまで飲もう」


 みな久々に爽快な気分で杯を傾けたが、くどくどしい話は抜きにする。


 散会してから、インジャはムウチを訪ねて、下山が決まったことを報告した。さらにタムヤを収めようとしていることを告げれば、おおいに喜んで、


「タムヤは第二の故郷。きっとエジシ様が難儀をしているはず。無事に成功することを祈っております」


はい(ヂェー)。エジシ様は我が師、草原に出る機会(チャク)を作ってくださった恩は忘れません。早く失地を回復してタムヤに行けるよう努めます」


 インジャはゲルを辞したあと、星空を眺めながらまたハクヒの死を思って悄然としていたが、そこへ(にわ)かに声をかけたものがあった。


「何を考えているの?」


 顧みれば何とチハル・アネクであった。その白い面に(サル)の光を浴びながら嫣然(えんぜん)(注2)として立っている。インジャは少なからず狼狽(うろた)えて、幾度か咳払いすると、


いや(ブルウ)、何でもない。月があまりに綺麗だから眺めていた。それより夜風は身体(ビイ)(さわ)る。戻って休んだほうがよい」


 そう言ってごまかす。しかしアネクは立ち去ろうとせず、その大きな瞳でインジャを見返すと、


「……ハクヒ殿のことを考えていたのでしょう?」


 インジャはやや驚いて、ふうと溜息を()くと、


そうだ(ヂェー)。貴女の目は欺けないな。……ハクヒのためにも必ず仇敵を討ち、草原を回復しなければ」


 するとアネクはしばし躊躇している様子だったが、やがて(ささや)くように言うには、


「今度の出兵、必ず成功させると、ここでテンゲリに誓ってはいけないかしら」


 言い添えて、


「……二人で」


 インジャはどきりとして瞬時(トゥルバス)(チフ)まで朱く染めると、あわてて言うには、


「どうしていけないものか。よし、誓おう。うん、二人で」


 アネクは莞爾と笑う。二人はともにテンゲリを仰いで心中誓いを立てたが、この話はここまでにする。


 翌日から山塞は俄かに活況を呈し、出征の準備に忙しくなった。再び諸将が本塞に集められ、軍の編成が発表された。テムルチ、マルケ、トシロル、コニバン、カナッサの五名を除くすべての将が下山することになった。


前軍(アルギンチ)はトシ・チノ率いるベルダイ軍六千、先鋒(ウトゥラヂュ)はチハル・アネク! 副先鋒はカトラとタミチ……」


 シャジが次々と名を呼び、諸将は嬉々として(カラ)を受けた。総じて四万数千で草原に討って出ることになる。インジャが諸将を励まして、


(オブル)が来る前にサルカキタンを滅ぼすぞ! 中軍(ゴル)の命に従い、独断専行は慎め。ともに名を成すことをテンゲリに誓おうではないか!」


 かくして山塞の英傑好漢は、旌旗(トグ)を立てて下山することになった。集まった二十九人はいずれ劣らぬ有能の士、義においては盟主インジャ、副主ナオルがあり、武においてはトシ・チノ、アネク、ドクト、コヤンサンらがあり、智においてはサノウ、セイネン、サイドゥ、トオリルらがある。


 これをもってこれを()れば、このまま朽ち果てるはずもなく、再び世に出るは自明の理と言ったところ、果たしてインジャの下山はいかなる顛末(ヨス)を辿るか。それは次回で。

(注1)【ハクヒのこと】ハクヒがインジャを逃すために自ら囮となって戦死したこと。第二 五回③参照。エジシとハクヒの関係については、第 二 回②などを参照。


(注2)【嫣然(えんぜん)】にっこりと(あで)やかに笑うさま。多く美女の微笑についていう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 面白い! 一気読みしてもた
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ