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草原演義  作者: 秋田大介
巻四
182/783

第四 六回 ②

ヂェベ勇名を争いて身を戦陣に虚しくし

ヒィ・チノ朋友を迎えて憂を河畔に解く

 さて、陣中では厳しく箝口令を()いたにも関わらず、ついに留守陣(アウルグ)危機(アヨール)が噂されはじめた。おかげで士気は低下し、軍務に支障を(きた)すこともしばしばであった。


 そこでヒィ・チノは全軍の兵を集めた。みな固唾(かたず)を呑んで壇上の主君(エヂェン)を見つめる。ヒィはおもむろに(アマン)を開くと言うには、


「私は諸君に詫びねばならない。噂には聞いているだろうが、留守地がジュレン軍に奇襲された。その事実をこれまで秘していた。有利に(ソオル)を進めながらここまで退いてきた理由はそれだ」


 兵は落胆の色も(あらわ)に、ざわざわと騒ぎはじめる。ヒィはそれを鎮めると、(ダウン)を張り上げて言った。


「しかし諸君、留守地の危機は回避されたぞ! 名将ベルンの遺子ショルコウが、巧みに敵兵を退けたのだ。よって家畜(アドオスン)家族(ゲルブル)もみな無事だ。天運は我がナルモントにある! ともに河南へ帰ろうぞ!」


 居並ぶ将兵は愁眉を開き、歓呼の声が辺りをどよもした。


「舟が集まり次第渡河する。その前にエバ・ハーンが最後の攻撃をかけてくるだろうが、(クチ)を併せてこれを撃退するのだ!」


 士気が再び高まったのは言うまでもない。翌日からは一隊を()いての(いかだ)造りも始まった。




 セペート部のエバ・ハーンは、まだジュレン軍の奇襲が失敗したことを知らなかったので、今度こそナルモント軍を撃ち破ろうと軍を整えて出撃した。


「憎き翻天竜の息子(ティギン)を、ズイエ(ムレン)に叩き込むのだ!」


 出立したのは四万騎。先鋒(ウトゥラヂュ)はやはりケルン・カーン。後続にズベダイを配し、自ら中軍(ゴル)(ひき)いて、ナルモント軍の野営するシルガ平原に赴いた。キセイより報を受けたヒィも、三万数千騎ことごとく布陣して敵軍を待つ。


 かくしてシルガ平原の戦が始まった。前半は数でやや勝るセペート軍が押していたが、ナルモント軍も力戦して激しく矛を交えること半日、やっとこれを退けた。両軍とも(おびただ)しい損害を出す。屍は野を埋め、(ツォサン)(ムレン)となって流れた。


 ナルモント軍が死力を尽くせたのも、そもそも後方のアケンカム軍がジュレン軍を喰い止めたからであり、それはすべてショルコウの功績であった。ヒィ・チノはじめ諸将はみなこれに感謝し、賛辞を惜しまなかった。


 従軍しているアケンカム氏族長(ノヤン)ヂェベは、どこに行っても姪のショルコウへの賛辞を聞かぬことはなかった。決して悪い気はしなかったが、思うに、


「アケンカムは独りショルコウだけではないということを、ハーンにお見せしなければならん。一族挙げて名を得るのが娘一人とあっては恥だ。ここで功を立てねば、心ない連中はアケンカムの男を(わら)うに違いない」


 そこでヂェベは夜半密かに三千騎を率いて(トイ)を離れた。(アクタ)の口に(ばい)(ふく)ませ、疾駆(ツォギオ)すること十数里、ついにセペート軍の夜営地に達した。自慢の大弓に鏑矢(かぶらや)をつがえると、テンゲリに向かってひょうと放つ。その鳴らす音が静寂(ヌタ)を裂き、三千騎は一丸となって突撃した。


 アケンカム軍が陣を離れたことに最初に気づいたのは、(サーハルト)に営していたタラント氏であった。すぐに主将のモゲトに伝えられ、彼は急いでヒィに報告した。ヒィはおおいに驚くと、近侍する病大牛ゾンゲルに命じて、


「ツジャンを呼べ!」


 ゾンゲルは眠っていたツジャンを叩き起こして連れてくる。事の次第を聞いたツジャンは、眠気も一時に吹き飛んで、


「単独で夜襲を試みたに相違ありません。ヂェベ殿は直情の士、ショルコウ殿の活躍を聞いて奮起したのでしょう」


 かっとして言った。


「愚かな! 奴の手勢は三千、いかに奇襲とはいえ十数倍する(ブルガ)に立ち向かえようか。(ホニ)(チノ)の巣に飛び込むようなものだ!」


「すぐに出陣の手配をいたしましょう」


 それから陣中は上を下への大騒ぎ。みな欠伸(あくび)を噛み殺しながら馬に(また)がる。駆け出したころには(ヂェウン)の空が白みはじめていた。


「駆けよ、駆けよ! ヂェベ殿を死なせてはショルコウ殿に顔向けできぬぞ!」


 先鋒のモゲト以下、懸命に敵の夜営地を目指した。(ようや)く前方にそれらしきものが見えてきたが、しんと静まりかえっていて戦をした様子もない。


「遅かったか……」


 下唇を噛んだときである。敵陣から突如金鼓が鳴り響いたかと思うと、悠々と一騎進み出てくるものがある。


「あれは、ケルン・カーン!」


 モゲトは敵の計略を恐れて全軍に停止を命じた。ケルンは臆することなく馬を進めてくる。(ガル)にした(ヂダ)を見れば先端に何か突き刺さって(カドゥグタダアス)いる。


「あれは……?」


 ケルンは十分に近づくと、不意に槍をさっと振るった。と、刺さっていた()()がモゲトらの目の前に転がってくる。


「あっ!」


「昨夜の(ヂョチ)をお返しいたす! 夜分の訪問にはもう少し気を(つか)われよ」


 そして馬首を(めぐ)らすと、鼻歌混じりに去っていく。モゲトらの眼前に残されたのは、はたしてヂェベの首級であった。


「お、おお、ヂェベ殿……。(ゆる)さん! この(オソル)、倍にして返してくれよう!」

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